また、その次の夜。
 今日もフィリアは一人で留守番していた。昨日のようにバルコニーから彼女を呼んでみると、素直に窓を開き現れた。

「君は夜の見回りに行かないの?」
「昨日『また明日』って言ったのはあなたの方」

 予想外の返答にヴェントゥスは一驚する。己を獲物と呼ぶ敵からの一方的な約束をフィリアは律儀に守ったというのだろうか。

「へー……嬉しいな。俺を待っててくれたんだ」

 遠くほろにがい記憶が蘇りそうになるのを抑えながら、ヴェントゥスは今日もフィリアを熱視した。初めて彼女を見たときより少しばかり痩せた気がする。いくらヴァンパイアハンターといってもまだ少女だ。“バケモノ”に付け狙われ、食欲が落ちるのも無理もない。フィリアの健康状態が損なわれるのはヴェントゥスにとっても望ましいことではなかったが、少しやつれた姿はかえってなまめかしくもあった。

「勘違いしないで。今日私がここにいたのは」

 突然ヴェントゥスの視線を遮ってフィリアの手もとが銀に光り、鳴る。

「――あなたを倒すためだから」

 あの銃だった。両手に包まれるように構えられヴェントゥスに向けられている。長いような短い間、二人の間にピンと張り詰めたような空気が流れた――が、すぐにヴェントゥスの笑い声にかき消された。

「君には無理だよ」
「そんなの、やってみなきゃわからないでしょ」
「試すのは構わないけど、ここの備品を壊すだけだ」
「私が見習いだから見くびっているの?」
「逆だよ。君が俺を甘く見てる」

 ヴェントゥスは己の胸元に手を広げた。その笑みにはいつの間にか嘲りが含まれている。

「俺を消したいのなら俺の心を壊さないと。ヴァンパイアの倒し方、まさか知らないわけじゃないだろう?」

 驚異的な回復能力をもつ不老不死の肉体はいくら傷ついても快癒できるが、壊れた心の修復はヴァンパイアにも不可能だ。故にヴァンパイアハンターたちはヴァンパイアの心を壊す。それには特別な剣が必要で、フィリアの持っている銃はその剣を扱えない者たちが携えるせいぜい護身用程度のものだった。
 ヴェントゥスは腰掛けていたバルコニーの柵から立ち上がり、一歩フィリアの方へ踏みだした。

「俺がここに来ること、あの三人に言ってないのか」
「近づかないで」

 わずかにフィリアが後退った。それに合わせてヴェントゥスも進む。

「どうして剣を持っているあいつらに頼らなかったんだ?」
「あなたに言う必要はない」

 言葉は強気だが声は弱い。かよわい生きものを追い詰めてゆく悦びを感じながら、なおヴェントゥスは彼女に歩み寄った。フィリアが慌てて銃の標準を定めなおす。

「だから、そんな玩具じゃダメだって」
「銀の弾でも、心臓や脳に当たればいくらあなたたちだって……」
「確かに銀の傷は治療に時間がかかるけど……それは『当たったら』の話だろ」
「ちょっと、それ以上は本当に……」

 トリガーにかけた指に力が篭められる。警告にかまわず、ヴェントゥスの唇は弧を描いた。

「それとも、そうやって俺を誘ってるの?」
「――!」

 銃声が響く。
 小銃はバルコニーの床をくるくる滑り、銀の弾は天上に穿かれていた。
 ヴェントゥスは窓に押し付けたフィリアを見下ろす。屈辱に怒り煌く瞳が綺麗だった。

「銃、向いてないよ。小型とはいえリボルバーは力もいるし」
「……余計なお世話」

 生意気な言葉の裏で必死に強がっているのが分かる。クスクスと笑いながらヴェントゥスはフィリアの首に顔を近づけた。今ならば……そう思った途端に動きが止まる。

「――また、そうやって諦める」

 以前のようにあっさり無抵抗になったフィリアにヴェントゥスが文句を言うと、フィリアもヴェントゥスと同じ機嫌の顔をした。

「逃がさないくせに足掻けだなんて――悪趣味」
「し、仕方ないだろ。ヴァンパイアはみんなこんな食べ方が好きなんだから……」

 少なくても、ヴェントゥスの周りはそうだ。ゼアノートは精神的に、ヴァニタスは肉体的に獲物を追い詰め切り刻む。永く生きれば生きるほどに何かが麻痺し、情を失い残虐性を増してゆく。

「不満があるなら、別に食べなくていいのだけれど」
「いやだ。今は君以外食べる気しない」
「……変なヒト」
「えっ、そうかな?……って、君の方が変だろ。生きたくないの?」

 呆れ顔でヴェントゥスがフィリアから手を放すと、掌から得た熱がゆっくりと逃げていった。やれやれと再び手すりの上に腰掛けたとき、フィリアが掴まれていた手首を見つめてポツリと言った。

「生きなきゃ、とは思ってる……」
「なんだよ、それ?」
「…………」

 まるで自分のためではないと言わんばかりの口ぶりにヴェントゥスが更に問うも、フィリアはそれきり口を閉ざした。無言の拒絶にヴェントゥスは焦れてくる。言葉を交わせば交わすほど、この少女のことがわからない。
 ふとフィリアがバルコニーの下を覗く。ヴェントゥスもそれに気付いた。何かがホテルへ近づいてきている。人間が二人――ヴァンパイアハンターたちだ。

「テラたちが戻ってきた。もう帰って」
「俺を逃がすの? 君にとっては助けだろ?」
「いいから、早く」

 静かだが有無を言わさぬ迫力にヴェントゥスはますます混乱した。ヴァンパイアを庇うヴァンパイアハンターなんて、今まで聞いたことがない。

「……わかったよ。それじゃ、またな」

 ヴェントゥスはバルコニーから落ちるように飛び立った。返事はなかったが、嫌な顔はされなかった。




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