昨晩の出来事について、フィリアはマスターたちへ打ち明けることができなかった。
「フィリア。寝不足?」
「ちょっとだけ」
「無理はするなよ」
アクアに心配され、テラに頭を撫でられ、フィリアは良心が痛み曖昧に笑む。本当は、昨晩出会ったヴェントゥスの存在が頭から離れず一睡もできなかった。まるで鏡に映したかのようにロクサスと瓜二つの姿で、しかも同じヴァンパイアだなんて――実は彼がロクサスで、演技をしていた可能性を考えては、いいや別人だったとかぶりを振る思考の堂々巡りを繰り返していた。
「マスターたちに出会ったら、あの子も消滅させられてしまうのかな」
リクと戦ったロクサスを思い出し、フィリアは己の掌を見下ろす。あの時はロクサスを守りたい一心でキーブレードを呼び出すことができた――。
日中はキーブレードを出す修行をして、あっという間にまた夜になり、フィリアが部屋でひとり留守番していた時だ。コン、コン、とゆっくりノックが鳴った。ドアからではない。首をかしげつつフィリアが締め切っていたカーテンを開くと、ヴェントゥスがバルコニーから「やあ」と手を振っている。
「あなたは……!」
フィリアは驚いて――すっかり身に沁みついた――反射的に銃を構えると、彼はにっこり笑う。
「こんばんは」
「どうしてここが」
「ちょっと調べればすぐにわかるよ。それよりも、本当にそこから撃つの?」
静止している無機物にだってうまく当てられない腕前で、目にも留まらぬ速さで動くものを撃ちぬけるはずもない。いたずらにホテルを破壊するだけだと自覚しているフィリアは、苦々しく銃を下した。
ヴェントゥスがくったくなく笑う。
「出ておいでよ。今日は何もしないから」
「そんな言葉、信じると思う?」
「信用ないな。当然だけど」
口を尖らせ拗ねてみせる表情は、突然の任務に呼び出された時のロクサスを思い出した。
フィリアは意を決し、おそるおそるバルコニーへ出た。なるべくヴェントゥスから離れて立つが、それでも数歩で届く距離だ。
「なにしに来たの?」
「君と話したくて。君のことが知りたいんだ」
フィリアは動揺を隠すため、ふいと顔をそらした。
「わけがわからない。あなたにとって私は名前すら忘れる存在なんでしょ?」
「でも、今は最高の獲物だよ」
頭からつま先まで熱い視線を感じ、フィリアは思わず身を固くして銃を強く握りしめる。フィリアの警戒の強まりを察知したヴェントゥスが悪びれもなく笑った。
「あぁ、ごめん。つい」
このヒトはロクサスとは違う。親しくなりすぎると危険だ。頭ではわかっているが、感情がついていかないフィリアは、ためらいながらも口を開いた。
「名前、ヴェントゥスだったよね」
「うん」
「マスターが言ってた。あなたはゼアノートの仲間だって」
「ああ。俺のマスターだ」
「ゼアノートは人間を快楽目的で手にかけるヒト。あなたもそうなの?」
「違うって答えたら、信じてくれる?」
相手がロクサスだったら信じただろうか。この男は昨日、無遠慮に噛もうとしてきた。まだ信じることはできない。
フィリアが黙ると、ヴェントゥスが嗤った。
「必要があれば許すのか? 人間である君たちが、人間を喰らう俺たちを」
「それは……」
ヴェントゥスからの予想外な反論に、フィリアは面食らった。
「君のマスターは『ヴァンパイアは全てこの世から消す』って言ってるだろ」
確かに、マスターエラクゥスはヴァンパイア撲滅を掲げている。
「一緒にいる君も、そう思っているんじゃないの?」
フィリアは「違う!」と叫びたかった。よりにもよってこの顔にその言葉を言われるなんて――ロクサスにも誤解されたままだ。
しかし、ヴァンパイアハンターに身を寄せている身分でいくら「違う」と唱えても、先ほどのヴェントゥス同様、説得力など皆無。
悔しそうに顔をゆがめるフィリアの様子を怪訝そうに眺めていたヴェントゥスの姿がふわっと浮く。背にある羽で飛んでいた。
「今日はここまでにしよっか」
ひょいとバルコニーの柵を飛び越え、月をバックにすいすい飛ぶヴェントゥスを、フィリアは目で追いかける。彼は去り際、一方的に「また明日な」と言い捨てて飛び去って行った。
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