【話しかけない】

 リクに気づかれないよう、フィリアはそっとその場を離れた。
 どうせ彼と話しても、また反対されたり、否定されたりするだけで互いに気分が悪くなるだけだろう。
 重い荷物を部屋に運び込むと、疲れた腕を撫でながら、さっさと寝支度をしてベッドの中にもぐりこんだ。疲労がたまっていたらしく、さほど長く考える前にすうっと意識は睡眠の底へ沈んでいった。



 深く眠っていたはずなのに、真夜中にパチッと目が覚めた。フィリア自身よくわからないが、どうしてか頭は冴えていた。
 外から虫やフクロウの声すら聞こえない、恐ろしいほどに静かな夜だ。再びベッドに身を沈めて眠ればいいのに、どうしてか胸騒ぎがする。フィリアはベッドの上で身を起こし、テラに教えられた通りに枕の下にしまっていた銃とナイフを取り出して、胸の前で握りしめた。
 なんだか怖い。誰かといたい。部屋の外に出てみようか。ソラは眠っているだろうか。おそるおそる天蓋のカーテンを開いたとき、カチンと扉が開錠した。

「えっ……」

 鉄が軋む音と共に扉がゆっくりと開いてゆく。
 爛爛と闇に浮かぶ、翠の瞳と目が合った。

「眠れないのか?」

 さも当然のように部屋に足を踏み入れてくる彼は、開くのと同じくらい静かに扉を閉めてフィリアを見下ろしてきた。美しい青年の銀髪がキラキラ月の光に輝いている様は、まるで夜の祝福をうけているかのよう。
 フィリアは胸元の凶器を抱きしめる。向けるわけにはいかないが、手放すこともできなかった。

「そんなに強く武器を握りしめて、どうしたんだ?」

 彼が場に似つかわしくないほど親しげに笑む。フィリアは彼をむっと睨んだ。

「夜中に勝手に部屋に入ってくる人がいたら、警戒するでしょ」
「そうだな。だが、武器は向けなければ意味がないし、当たらなければ意味がない」
「だって、リクに向けるなんて」
「俺に向けられないのなら、ロクサスにはできるのか?」

 フィリアが答えられずにいると、リクは長く息を吐いて、どこか遠くを見ているような、うつろな目つきをした。

「今日、ずっとあんたのことを考えていた」

 そこで言葉をきって、リクが動いたと思った瞬間、フィリアはベッドに倒れていた。フィリアの腕を押さえつけながら上にのしかかっているリクは、もう微笑んではいない。武器がベッドから落ちる音が静寂の中やけに大きく響いた気がした。

「この程度の動きも見切れないあんたが戦場に出ても、すぐに死ぬ。殺される。奴らに支配されて、更に犠牲者を増やすだけだ――」

 ギリッと締め上げられる手首の痛みに、フィリアは顔をゆがめる。指摘された通り、先ほどのリクの動きはフィリアには全く見えていなかった。それどころか、リクの瞳の輝きから目が離せなくて、抵抗しなければとか、助けを呼ぶべきだと分かっているのに、実行する決断が下せない。

「頼む。諦めてくれ。いまならまだ間に合う」

 諦める。ヴァンパイアハンターになることを。ロクサスや、ナミネたちのことを。彼らの顔が次々と脳裏に思い浮かび、フィリアはハッと己を思い出した。

「イヤ。できない。どうして? 朝は、キーブレードを出せるまで待ってくれると……」

 言葉の途中、リクの瞳が細まった時、フィリアの喉から突然声が出なくなった。

「やはり、他に魅了されている場合は、この程度じゃだめか」

 リクの掌が、そうっとフィリアの頬に添えられる。つめたい手は、不器用だが優しく撫でてきて、脈打つ首筋の上で止まった。とくとく早鳴るそこを凝視したリクが熱い吐息を吐く。

「俺はもう血は吸わない。だから、悪い。こんな方法しか」

 リクの発言を理解する前に、彼が身体をぐっと近づけてきたのでフィリアは貞操の危機をやっと思い出して振り払おうと試みたが、ちょっともがくだけで終わる。

「できれば抵抗しないでくれ。せめて優しくしたい」

 泣きそうなのに笑顔をみせたリクが、再度小さく「すまない」と言った。
 フィリアは必死にリクに「待って」と出ない声で懇願した。しかし、次第に意識は流され、混濁し、抵抗する気力すらなくなった時には、フィリアはロクサスのことを思い出しもしなくなった。



BADEND-1




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