【話しかける】

「リク」

 呼んだ声は、緊張していたせいでフィリアの予定よりずっと小さい音で出た。しかし、風のざわめきで掻き消えそうな呼び声を彼はしっかり聞き取り、フィリアの方を振り向いた。
 フィリアはその時、まるで初めてリクを見たような気分になった。こちらを振り向いた青年は、きらめく銀髪と整った美貌はもとより、庭園に咲き誇る花々と夕闇に包まれて、神秘的な雰囲気があった。なにより、その緑の瞳は宝石のように輝いていて、いつまで見つめても飽きないと感じるほどに美しい。
 無言で見つめ合ったのは数秒のはずなのに、フィリアには数分にも数十分にも感じられた。

「いま戻ってきたのか。すごい荷物だな」
「これから戦う生活になるからって、テラがいろいろ買ってくれたの」
「重いだろ。手伝おう」

 断ろうか悩む暇もなく、リクがフィリアの荷物の大部分を持ってくれたため、彼と二人きりの時間は続く。

「リクは、あそこで何をしていたの?」
「別に何も。ソラに休めと言われたから、ボーッとしていた」

 リクは正面を見つめたまま退屈そうに言った。長い脚がフィリアの速度でゆったり動いている。まさかこんなに早くリクとふたりで歩く時がくるなんて思っていなかったフィリアは、視線をウロウロさ迷わせて、何の話題も提供できなかった。
 無言で廊下を進み続け、あと角をふたつ曲がれば目的地だ。ふと、リズムよくコツコツ動いていた隣の足音が、廊下に飾られた大きな天使の油絵の前で止まる。

「ヴァンパイアハンターになること」

 思わずぴくっと肩が揺れた。フィリアがおそるおそる見上げると、ジッと見てくる無表情と視線が合う。

「今から撤回しても、誰もフィリアを責めたりしない」

 朝方とは違い、静かなまなざしと優しい声音だったので、フィリアは腹がたたなかった。
 天使よりも美しい青年に向き直り、フィリアは胸いっぱいに息を吸うと、ぐっと腹に力をこめて自分なりにキリッとした表情を作る。

「決心は、変わりません」
「なぜだ?」

 リクが、やや早口でフィリアににじり寄ってくる。

「泣きながら逃げ回った時もあっただろう。戦うなら、あれ以上に恐ろしい思いをすることになる。死んだほうがマシと思えるような目にあう可能性もある」

 デミックスから逃げ回った夜。知り合いで、笑顔を絶やさない相手でさえあんなに恐ろしかった。フィリアは少し俯いた。
 リクが最期のチャンスを与えてくれているのが分かった。少なくてもフィリアだけは平和に、安全に暮らせる未来を選べる機会のチャンスを。

「本当にありがとう。リク」

 フィリアの口から零れたのは感謝だった。すると、初めてリクの表情が変わる。瞳が丸くなり、唇が無防備に少し開く。

「でも私、ロクサスたちを諦めたくないの。ロクサスは、とても苦しそうだった。それなのに、私を迎えに来てくれていた……」

 言葉で表現することによって、初めてフィリアは自分でも己の決意が固まってゆくのを感じた。己を巡る運命や使命がまるで星座のように、見えずとも側にあり、導かれているのを理解する。

「本当は、私に何ができるかは分からないし、すごく怖い。けれど、あの時、キーブレードは私の手に現れた。きっと、私にしかできないこと、しなければならないことがある。まるで、心に命じられてるみたい。そう感じているの」

 リクは黙って聞いている。フィリアは一歩、彼に寄った。

「何もしないうちから、諦めて逃げたくないって、生まれて初めて思ったの。リクの言う通り、私は足りないところがたくさんあるけれど、がんばるから――決めつけないで。信じてほしい」

 しばらくの沈黙の後、リクがふうと息を吐いた。そして、初めて僅かだがフィリアを見て微笑んだ。

「あんたは、自分の考えを黙っているタイプだと思っていた」

急に照れくさくなって、フィリアははにかんだ。

「リクに認めてほしくて、つい、熱くなっちゃった」
「それに、まるで、ソラみたいなことを言う」
「えっ、そうなの?」

 彼がいつもソラに向けているような微笑みを向けられて、フィリアは己の頬が紅潮するのを感じた。

「わかった。今度こそ、俺もあんたを信じることにする。ただし、キーブレードが出せなければ、カイリのところへ行く約束は守ってほしい」
「リク……うん」

 フィリアはもう一度、彼に礼を言った。今度は、しゃんと背筋をのばし、少し緊張の解けた笑顔で。


2.6.12




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