ロクサスとリクが箱庭のとき以上の戦いを繰り広げている。フィリアは部屋の隅で縮こまっていた。外の火事は大分収まってきたようで、外からの光の強さと部屋の温度は大分本来のものに戻ってきていた。
「――はあっ!」
耳に痛いほどの金属音が絶えず響きわたる。目にも留まらぬ剣さばきで繰り広げられる戦いだったが、次第にロクサスが優勢らしいことが、リクが着ていた服が血で汚れてくことでフィリアにも分かった。
「彼女のことは諦めろ。ヴァンパイアに本当の愛情なんて掴めやしないんだ」
「黙れっ、おまえの方が負けてるくせに!」
じりじりと殺気が満ち――もう一度二人が衝突した。
すれ違うように着地した後、リクは膝をつき、ロクサスが袖で汗を乱暴に拭く。誰が見ても、これで勝敗が決したように見えた。
リクのほうを振り向き、ロクサスは表情を歪める。
「お前の血の匂いは、不快だ」
「だろうな――」
胸元を押さえひゅうひゅう息をきらしているリクに、ロクサスはふらつきながら近寄った。黒の剣を高く上げ、狙いを定める。
「トドメだ」
「――だめ!」
フィリアは慌ててロクサスに縋った。驚きで見開いたロクサスの青い瞳に、フィリアの心は吸い寄せられる。リクの説明で分かっていたとしても、やはりそれは息をのむほどに美しく、見つめ続けたいという願いにかられた。
「ロクサス。もうやめて」
「どうして? こいつはきっと、これからもずっと俺たちの邪魔をするよ」
「でも、リクは――――リクは私を何度も助けてくれた恩人なの。だから、おねがい」
葛藤するロクサスから視線を離さずに、フィリアは懇願し続けた。見つめ合って数十秒後――やっとロクサスの剣が渋々とおろされる。
「…………わかった。フィリアがそれほど頼むのなら……」
言って、ロクサスはもう一撃リクに向かって剣を振るった。衝撃波に直撃したリクは俯いて倒れてしまい、動かなくなる。
「リク!」
顔を青くするフィリアに、ロクサスは「殺してはいないよ」と投げやりに言った。
「それより、余裕がないんだ。早く契約の続きをしよう」
「……うん」
「悪いけど、今度は先にフィリアの血を俺にくれないか」
ロクサスの顔色は、ますます白くなっていた。
フィリアは部屋に落ちていた、先ほどのナイフを拾った。服の端で刀身の汚れを拭う。緊張で心臓が高く脈打っているのを感じながら、己の指にそっとあてた。覚悟を決め目をぎゅっと瞑ったとき、ロクサスが軽く笑む。
「あぁ、違うよ。俺は直接血が吸えるから。首を出して」
「あ――はい」
フィリアは服の襟元をのばし、首元から左肩にかけてロクサスにさらした。肌を見せることに恥ずかしさを覚えたが、自分の体に切れ目を入れるよりかは幾分マシだ。
ロクサスはフィリアの体を抱きしめて固定すると、首元に顔をうずめ深く息を吸った。
「フィリア、いい匂いがする」
「や、もう、ロクサス。ただでさえ恥ずかしいのに……」
「はは、ごめん――いくよ」
ロクサスの唇がそっと鎖骨あたりに触れる。血の流れを探るため舌が肌をつたい、その感覚にフィリアは思わず息をつめた。牙が立てられ、皮膚を破り沈もうとする――。
「――アレをやるしかないか」
気絶していたはずのリクの声。ロクサスの腕が離れた――フィリアが理解した次の瞬間には、ロクサスはフィリアの側から消え、壁にめり込むほどに強く叩きつけられていた。
「ロクサス!?」
フィリアはロクサスに駆け寄ろうとしたが、その前にリクが更にロクサスを攻撃し、彼の背後にあった壁が壊れた。教会から弾き飛ばされて、広場のひとごみの中にロクサスが派手に突っ込む。突然の事態に悲鳴があがり、人々は押し合って場所を広げた。倒れたままのロクサスは気絶してしまったのか、なかなか起き上がろうとしない。
「ロクサス! ひっ……」
フィリアが名を呼びながら駆け寄ろうとすれば、またしてもその道をリクに阻まれた。しかし、今回は様子がいつもと違う。無言だが、その視線は他人に有無を言わせず従わせるような強い圧力を秘めていて、フィリアはその場に打ち付けられたかのように動けなくなってしまった。
「ぐっ……うぅ……」
呻きながらようやくロクサスが目覚めた。相当な深手だったらしい。立ち上がるロクサスの瞳の色があの時のように変色をしはじめていた。
「――ヴァンパイアだ!」
広場にいた誰かがロクサスの瞳に気づいた。一瞬の間をおいて、更なるどよめきと混乱が伝染してゆく。だが、そんな周囲にかまわず、ロクサスは信じられないといった目つきでリクを見ていた。
「おまえ、いったいなんなんだ――それに、その力は?」
リクがロクサスに向かって走る。ロクサスは剣で応戦するが、圧倒的な力に負けてまた飛ばされた。
フィリアは己の見ているものがなまじ信じられなかった。リクはいま、あの剣を持っていない。彼の背後になにか別の、丸太のように大きく太い影――漆黒の腕がうっすら現れて、それがロクサスを攻撃していた。
「が、はっ……」
広場に面した高い壁に叩きつけられ、ロクサスが血を吐いた。このままでは――。やっとのことで戦慄く足を叱りつけ、フィリアはふたりのもとへ動き出す。
一瞬でロクサスのもとへ移動したリクの、背後の右腕が大きく拳を振りかぶる。ロクサスは剣で防御しようとしたが、血が足りずに眩暈をおこした。その隙に影の手はロクサスの体を乱暴に握りしめると、持ち上げ、ぎりぎり締めあげる。苦痛に、ロクサスは二本の剣をどちらも手放してしまった。
血を失いすぎた――。またあの感覚が蘇りそうで、ロクサスは必死に耐えていた。次に奥底で暴れだそうとうずく大きな力に身を任せたら、この男や広場の一般市民より先に、大好きで大好物なフィリアの血を、彼女の体から一滴も残さずに吸い尽くす確信があった。
一方で、ロクサスを拘束したリクの体には闇がまとわりついていた。開放した、封じ込めていたものが、いよいよ完璧なかたちで蘇ろうとしていた。
「――闇の力だ」
低く囁かれた声は、青年のものではない。
「やめてっ!」
強烈な痛みと飢えに耐えているロクサスの苦痛は、現れた一筋の輝きで緩んだ。光が漆黒の腕を斬りつけたのだ。思い切り、しかし、頼りなく。
地面に着地したロクサスを背後に庇い、フィリアはリクと対峙した。頼りなく構えるのは、あの簡素な部屋を脱出したときに力を貸してくれた鍵の剣だ。
怖じ気づきながらも敵意を発するフィリアを、リクは憮然として睨みつける。
「フィリア、何をしているのかわかっているのか?」
「もうやめて、リク」
リクの瞳を見続けることができず、フィリアは若干視線を下に移す。
「ごめんなさい……でも私、ロクサスと行きたい。そう決めたの」
「だめだ。人間とヴァンパイアは相容れない――あんたは、今ならまだ間に合う。ヴァンパイアになっても得るのは永遠に続く苦しみだけだ」
「もう、ロクサスといられるのなら、どうなってもかまわないの。これ以上ロクサスを傷つけるのなら、私、あなたと」
「キーブレード……?」
二人の口論を止めたのは、ロクサスの愕然とした呟きだった。フィリアの手元と顔を何度も見比べて、ポカンと口をあけている。
「ロクサス、だいじょうぶ?」
「どうして、フィリアがキーブレードを?」
フィリアはロクサスの側にしゃがみ、彼の苦痛を撫で癒そうとした。けれど、ロクサスは後ずさるようにそれを拒む。
「フィリア……そいつらの仲間になったのか?」
「え?」
それが責めるような声音になったことに、フィリアはひやりとする。
ロクサスが愕然とした表情で早口に責め立ててくる。
「俺を消滅させるために?」
「なにを言って……」
「その剣はその為にあるんだ」
フィリアが戸惑っている間に、ロクサスの瞳には金の色彩が宿ってゆく。
「フィリア、俺たちの敵になるんだな」
「そんな、違う、私はただ」
「下がれ」
リクに肩を引っ張られ、フィリアは後ろへしりもちをついた。ロクサスが剣を呼び出し勢いよく斬りかかったのを、器用にリクが受け止める。ロクサスの瞳は完全に金色へ変わっていて、ぎらぎらと輝いていた。
「どけっ! フィリアは俺の――」
そこで、唐突にロクサスの首がガクンと垂れる。いつの間に現れたのか――アクセルがロクサスを気絶させたようだった。アクセルはロクサスを脇に抱え、もう片方の手に持つチャクラムでリクをけん制する。
「アクセル……!」
「ようやく現れたか」
リクなの声は大して動揺していなかった。
アクセルはロクサスの無事を確認すると、ハッと息を吐き出して笑った。彼のコートに覆われていない箇所からは、黒いもやが発生している。
「――ったく、この結界の中は俺にはキツイぜ」
「なら、すぐに楽にしてやろうか」
「いや、いい」
アクセルはフィリアを見つめた。チャクラムが届く距離ではあるが、必ずリクが守るだろう。ロクサスを守りつつ、己が消滅しないうちに任務を遂行するのは不可能な状況だった――嘘はついていない。
「今夜はおまえたちの勝ちだ……俺達は引き上げる」
「ここでこんな規模の騒動を起こしたんだ。――いよいよ、始めるつもりか」
リクのぼかした質問は、アクセルにはちゃんとわかっているようだった。
「まぁな。次からはこんなぬるくないぜ――」
背後に闇の回廊を出し、気絶したロクサスごとアクセルたちが消えてゆく。
「ま、待って。ロクサス……!」
座った状態のままだったフィリアはあわてて手を伸ばしたが、しかし絶対に届かなかった。
* To be continue... *
2014.8.28
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