それは、そう遠くなくやってきた。
真夜中の誰もいない噴水公園。ヴェントゥスが少し仕掛けるだけでフィリアは面白いほど簡単にひとりでここへやってきた。無防備に歩いている後姿を羽根を隠しながら密やかに追う。目的の場所についたところでわざと足音をたててやれば、振り返ったフィリアはようやくヴェントゥスの存在に気がついた。
「だれ?」
「コンバンハ、お嬢さん」
ヴェントゥスがお決まりの挨拶をなげかけると、口元から鋭い牙がわずかに覗く。目を丸くしたフィリアはとっさにヴェントゥスに何かを向けた。銀に光るリボルバーだ。
「ヴァンパイア……!」
「俺はヴェントゥス。はじめまして、フィリア」
「どうして私の名を知っているの?」
フィリアの警戒の色がいっそう濃くなるのを感じるも、ヴェントゥスは顔に貼り付けた人懐こい笑みを崩さない。
「一応、マスターから獲物に対する礼儀だって教えられているから。もっとも――」
フィリアが目を見開くのと同時にヴェントゥスは音もなくそこから消えた。フィリアが次の瞬きを終えたときには、その手元から銃を取り上げ冷たい地面に押し倒していた。
「……!」
「食べ終わったときには忘れるけどね」
お互いの息を感じるほどに顔を寄せる。フィリアが逃れようともがいたため髪が流れ白いうなじが露わになった。――この皮膚の下に渇求したものがある。嬉しさのあまり、ヴェントゥスはその首元に顔を埋めて舌でなぞるように舐め上げた。ビクリと肩を跳ねさせる初々しい反応に、思わず笑いがこみ上げてくる。
「私を喰らうつもり……?」
「ああ。一滴も残さず食べてあげる」
ヴェントゥスが想像していたとおり、フィリアの肌はきめ細やかで滑らかだった。きっと血も甘くていい香りがするだろう。
襟元をはだけさせ、あとは牙を剥き欲望のままに噛みつくだけ――のはずが、ここまでにきてヴェントゥスは物足りなさに疑問を抱いた。先ほどの質問に答えてから、フィリアは抗うことはおろか身動きひとつしないのだ。いぶかしく思いヴェントゥスがフィリアの顔を覗き込むと、フィリアはただヴェントゥスを見つめていた。その目は恐怖も悔しさも、悲しみすら浮かべていない。
「ねぇ、もっと抵抗しないの?」
「そうしたら、放してくれる?」
「いや、それはしないけど……」
せっかく悲鳴を上げてもいいよう、誰もいない公園に誘導したのに意味がない。面白くない気持ちがヴェントゥスの胸に広がってゆく。
「見習いでも、君はヴァンパイアハンターだろ。このまま食べられちゃっていいの?」
「武器はあれしか持ってないし、力じゃあなたたちに敵わない。だから、私はここでおしまい」
「…………」
己の人生の終幕をどこか客観的に言い放つフィリアにヴェントゥスはきょとんとし、落胆した。ずいぶんと生に執着がない娘だ。それとも死に潔いだけなのか? この上等の獲物が泣き叫び、命乞いをし、吸血される快感に恍惚する様を楽しみにしていたというのに、これでは全く興醒めである。
ひとつため息を吐き出すと、ヴェントゥスは組み敷いたフィリアの上から身を退かした。
「喰らうんじゃなかったの?」
「今日はやめておくよ。もったいないから」
少し乱れた着衣を直し、ヴェントゥスは上体を起こしたフィリアを見やる。
「続きは、君がどうしても生きたいって思ったときにしよう」
「……次なんてあると思う?」
「あるよ。君は俺の獲物だから」
懐にしまいこんていた銀の銃をフィリアの方へ投げ捨てて、マントに隠していた羽根を広げる。フィリアが銃を拾い上げるのと同時に、ヴェントゥスは地を蹴って飛び立った。
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