箱庭から一番近い村の古宿。小さな一室には最低限の家具と弾力の悪いベッドが二つ置かれていて、その片方にフィリアはちんまり腰掛けていた。
箱庭が全焼した後、ナミネ以外の無事だった者は他の施設へ移ることになったのだが、フィリアだけは二人に連れてこられた。
水が溜められる音が響く。白湯を入れたコップを、リクがフィリアの顔の前に差し出した。
「こんなものしかないが、暖かいものを飲めば少しは落ち着く」
「……ありがとう」
コップを受け取り傾けると、湯は喉を通りじんわり胃を暖めた。自然と肩の力が抜けフィリアは微かに息を吐く。
「あちっ!」
同じように白湯を口にしたソラが木で造られた丸イスから落ちかけた。それに「なにやってるんだよ」と呆れ顔を向けながら、リクがフィリアの正面にあるもうひとつのベッドに座る。
「まずは自己紹介から始めるか。俺はリク」
「俺はソラ!」
「フィリア、です……」
フィリアがおずおずと名乗り返すと、リクが持っていた湯のみを手の内で回転させた。
「俺たちはいわゆるヴァンパイアハンターってやつで、ヴァンパイアと戦いながら旅をしている」
「フィリアは、ヴァンパイアって知ってるか?」
「物語によくある、人の血を吸うとか、ニンニクが苦手とかいうものなら……」
「ニンニク……苦手だったっけ?」
ソラが唸りながら丸イスをギコギコ揺らすと、リクが少しだけ微笑んだ。
「一般的に広まっている知識もあながち間違ってはいない。ヴァンパイアは夜に活動し生物の血を啜る。最も好むのが人の血だ。奴らに血を吸われた人間は……ほとんどが死に至る」
「つまり、俺たちはヴァンパイアたちから人々を守るのが仕事ってこと!」
リクの説明にソラが口を挟むかたちで交互に説明してくるので、フィリアは頭の中を整理するよう心がけながら、質問してゆくことにした。
「その……ヴァンパイアハンターである二人がロクサスたちと戦っていたのは……やっぱり、ロクサスたちがヴァンパイアだったから?」
「うん」
「本当に?……勘違い、とかじゃなくて」
「間違いない」
二人が迷いなく頷くのを見て、フィリアは深く息を吐いた。
「ナミネは、食べられちゃうの?」
「彼女は奴らにとって重要な存在らしい。おそらくは無事だろう。むしろ今、俺たちから見て一番危険なのはフィリアの方だ」
「私が……?」
空になったコップがソラの指の上でくるくる回る。
「フィリアは、ヴァンパイアの花嫁って知ってる?」
フィリアが無言で知らないことを伝えると、ソラは一度リクを見て、またフィリアの方へ視線を戻した。
「ヴァンパイアに気に入られて手下にされちゃった人間のことをそう呼ぶんだ。フィリアはたぶん、ロクサスから花嫁に選ばれてる」
「私がロクサスの手下に……?」
手下というと、召使いのことだろうか。ロクサスに使役される自分の姿がいまいち想像できずにフィリアが困った顔で首を捻ると、黙っていたリクが口を開いた。
「人ではなくなるってことさ。滅ぼされるその日まで、永遠にヴァンパイアに支配され血の乾きに苦しみ続ける」
「血を……ヴァンパイアになるってこと?」
「そうだ。ひとつ違うのは、花嫁は支配するヴァンパイアの血に依存する。その乾きは誰にだって抗えるものじゃない」
リクの瞳に鋭く厳しい光が宿り、フィリアは身を強張らせる。慌ててソラが場の雰囲気にそぐわないほどの明るい声でフィリアに言った。
「だから、フィリアには解決するまで安全な場所にいてほしいんだ。それまで俺たちが絶対に守るから」
「また、ロクサスたちと戦うの?」
「……」
フィリアの質問で、カップを弄んでいたソラの指先の動きが止まる。リクの射抜くような眼差しに怯みそうになりながらも、フィリアは身を乗り出した。
「二人のやっていることを否定したいわけじゃない。けど、何か……ヴァンパイアたちと戦わない、共存できる手段はないの?」
「フィリア、それは……」
言いかけたソラを、リクが制す。
「それができたなら、俺たちがこんなことしているはずがないだろう。あっちから襲ってくるんだ、身を守るためには倒すしかない」
「でも」
「今にわかるさ。あいつらが別の生きものだってことが」
それ以上の言葉が浮かばず、フィリアはがっくり俯いた。
「……明日、俺たちは他の仲間と合流するために旅へ出るつもりだ。フィリアもそのつもりで荷物をまとめておいてくれ」
「おやすみ」と言い残し、リクは部屋を出て行った。続くようにソラもイスから立ち上がる。
「ナミネは俺たちが必ず助け出すからさ、その……元気だせって」
「…………ありがとう」
「じゃあ……おやすみ」
「おやすみなさい」
ソラが部屋の扉を閉めた瞬間、フィリアはベッドに顔を埋め、声を抑えながら泣き始めた。
原作沿い目次 / トップページ