グミシップへ乗ろうとした瞬間、突然視界が激しく霞み、気がついたら狭い部屋の中にいた。

「えっ?」

 きちんと並べられた包丁、清潔なまな板、コンロの上に置かれた鍋。混乱の中、キッチンの中にいることだけはすぐに分かるが

「リトルシェフのところと違う」

 トワイライトタウンにある、彼の広いレストランとは似つかない簡素なキッチンだった。

「ソラ、ドナルド、グーフィー?」

 一緒にいたはずの彼らもいない。信じられないが、私だけ突然ここに来たようだ。
 何気なく周囲を見ると、そう遠くない場所でじっとこちらを見つめている黒コートの男に気づく。小さく悲鳴をあげて飛び上がる。いたのは若かりし時のゼアノート。穏やかな笑みをたたえる美貌は恐怖だ。慈愛に満ちたまなざしに見えるそれは、実のところ、すべてを観察物として見下しているように感じるから。

「言ったろ。隙だらけだから、いつでも連れてゆけると」

 何か言い返そうとして口を開き、けれども言葉が浮かんでこない。「ソラの元へ戻せ」と言っても無駄だろうし、力づくで言うことを聞かせられる相手でもない。今は敵意を感じないが、突然襲ってくるときもあるのでうかつに刺激すると危険だ。彼相手に、感情任せに当たることが一番悪手。落ち着くためにも、一度ため息を吐いてから改めて向き直った。

「私に何か用なの」
「ああ」

 ゼアノートは笑みを深めて台所の一角を指した。冷蔵庫の前に食材――チョコレートにレモン、バターが並んでいるのを見つける。

「おまえは、あのネズミに料理を教わっているようだな」
「教わってるっていうか……ただ、お手伝いしているだけだけど」

 ゼアノートが言わんとしてることが想像でき、戸惑う。

「まさか、私に料理してほしいの?」

 話が早い、と彼は頷く。なぜ、とか何のために、とかよりも、期待されてることに焦った。

「でも私、難しいものはできないよ」
「作るものは何でもいい。終わったら、ソラの元へ返してやろう」

 頑張って作っても下手って言われたら悲しいし、かと言ってわざと変なものを作るのは食材を作ってくれた人に失礼だ。現状、断るという選択肢はこちらにはなかった。

「お料理したら、本当にソラたちの所へ帰してくれる? 嘘や意地悪みたいなことしない?」
「ああ。うまくできたらな」

 「うまく」にアクセントが置かれているところにプレッシャーを感じる。罠を張ったり、人を攫うような人だけど、自分から言い出した約束を破る人ではないと、信じるしかなかった。





 キッチンにあった食材を確認し、リトルシェフに教わったレシピで思い浮かんだのは、ムースショコラだった。あれなら調理に長く時間はかからないし、私でもそれなりの味に作れるはずだ。
 早速、チョコを刻み、湯煎の準備を始める。ゼアノートは壁際でじっとこちらを眺めている。その視線が気になってチラッと見ると、話しかけてきた。

「イカロスという男の話を知っているか」
「知らないって、分かってるのに聞くの」

 上機嫌な表情のゼアノートから視線を離し、卵黄を取り分ける。この後生クリームを泡だてなければならないため、ボウルを探す。

「光に焦がれ、光に近づくために蝋を固めた翼で飛び立って……結果、光に近づいたばかりにその翼は熱で溶け、地に落ちた」

 なんとも皮肉な話だろう、と彼は笑う。この人は、きっと無駄なことはしない。この料理も、イカロスの話もきっと何か意味があるはず……光の勇者たちにくっついてまわる自分を嘲ているだけなのかもしれないが。
 作業に没頭してるふりをして答えずにいると、それきり彼も黙ってしまった。しばらくカシャカシャ生クリームを泡立てる音だけが響く。夢中で泡だてて、少し腕が疲れてきたと感じたころ、頬に黒い手袋が伸びてきた。

「なっ……に?」

 唐突のゼアノートの接近に驚き、危うく抱えてたボウルを落としかける。艶のある銀髪、薄目の唇、長いまつげが美しくて息をのんだ。
 ゼアノートは何を思ったのか、一度手を引っ込め手袋をゆっくり外すと、指で私の髪の一房を耳にかけた。そして満足したのかまた元の立ち位置へ戻って手袋をはめ直した。

「あ、ありがとう……?」

 触れられた耳で彼の指の温度を強烈に意識してしまって、胸を打つ鼓動は、ムースショコラ完成するまで収まらなかった。





「できたよ」

 ムースショコラを皿に飾り付けて、そっと離れる。リトルシェフにはきっと負けるけど、一生懸命作った。きっと美味しいはずだ。

「ほぉ。よく出来たじゃないか」

 意外だった。このチョコを何かに利用するのかと余ったら、ゼアノートはフォークを取るなりムースショコラをパクッと食べてしまった。

「おいしい、のかな……?」

 恐ろしい敵のはずなのに、美味しそうにチョコを頬張る姿はまるでソラやリクのように年相応のものであり、不本意ながらもこの人のために懸命に作ったものなので、喜んでもらえるのは嬉しい。
 あっという間に完食し、ゼアノートは「甘かった」と言いながらフォークを置いた。

「では、約束通り、ソラたちの元へ返してやろう」

 よかった。ホッと胸をなでおろす。ソラたちは、きっと今頃心配して私を探してくれているはずだ。

「あ、付いてるよ」

 ふと見ると、ゼアノートの口元わずかにチョコが付いていたので指で拭ってあげた。先程親近感など覚えたばかりに、くすっと笑ってそんなことをしてしまった。
 すると、彼の顔色が一転、ぐっと近づいてきて壁に背を押しつけられた。

「えーー」

 なんだ、なんだ?
 唐突の豹変についていけておらず、顎を持ち上げられ、ゼアノートと鼻先が触れ、ぐっと唇が重なって

「ーーフィリア!」

 ビクッと目を開けると、ソラの心配そうな顔が真上にあった。
 目を開けたのだから、寝ていたようだ。心臓がドクドク跳ね、冷や汗が頬を伝う。

「突然倒れたから、びっくりしたよ」

 ソラが眉を下げて笑う。
 寝ていたらしい場所は、グミシップの搭乗口だった。そういえば、乗ろうとしていた。グーフィーやドナルドも不安そうな表情で、口々に心配してくれた。
 私はグミシップに乗る前に倒れて、ゼアノートの夢を見ていた?

「ごめん、もう大丈夫」

 なんだ、夢だったのか。
 笑顔を作って、グミシップの中へ。自分の席に座って、何故かあの時の感触が残っている唇を指でなぞった。





H31.2.15




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