「好きになってくれてありがとう……でも、ごめんなさい」
 彼の顔が悲しげに曇ったことに、胸が痛んだ。
「私ね、好きな人がいるの」
 顔を見続けることができなくて、深々と頭を下げる。
 長く感じられた数秒後、彼は「そっか」と言ってくしゃりと笑った。

 彼との出会いは突然だった。通いなれた道をのほほんと歩いていたら、見慣れぬ黒髪の少年が突っ立っていて、どこの子かな、なんて考えていたら突然魔物が現れて、死んじゃう! って思ったとき、その子が不思議な武器で助けてくれた。
 その瞬間は、この先も一生忘れられそうにない。ひとめ惚れって、本当にあるんだって思った。
 私はもっと彼のことを知りたいと願ったが、何も言わず不機嫌そうな顔のまま、彼はどこかへ去っていってしまった。

 彼との出会いのきっかけは私だった。生傷をたくさんこさえた金髪の男の子が、しかしそれを構おうともせずに歩いていたので放っておけず声をかけ、簡単な手当てをすると家まで引っ張っていったのだ。初めは遠慮していた彼だったが、結局、夕飯までおなかいっぱい食べていった。すると次の日から「お礼をしたい」とか「また怪我したから」とか理由をつけてしょっちゅう顔をのぞかせるようになって、その時は、子犬のようにかわいい弟ができたなと嬉しく思ったものだった。

 彼と再会したのは子犬の彼と会ってしばらく経ってから。偶然、以前と同じ道で頬にかすり傷をつけて歩いていたので、絆創膏を渡すのを口実にちょこっとお話することができた。彼は始終迷惑そうだったけれど、こちらの話を無理やり切り上げようとはしなかった。

 子犬君の怪我は、出会ったときに比べれば、軽いものになっていった。本人が言うには「強くなってきたから」らしい。よく分からないけれど、怪我が少ないことは良いことだ。

「よければ、好きな人ってダレか教えてくれないか?」
「え?」
「嫌ならいいんだッ! ただ、できれば俺、協力したくて……」
「あ、ううん。そうじゃなくて……実は、まだその人の名前も知らないの」
「は……え? 名前、知らないの?」
「う、うん」
「…………」
「…………変、かな?」
「……ねぇ、これからも俺と、変わらず友達でいてくれる?」
「それは、もちろん! 君さえ良ければ」
「ありがとう」
 いつものような微笑だったはずなのに、なぜか胸がざわつくような違和感を覚えたのは、その時からだっただろうか。

 黒髪から血を滴らせるほどの怪我をした彼を見つけたときは、卒倒するかと思った。強引に手当てをし、前より会話をすることができた。押し付けがましい親切に彼は迷惑そうな顔をしていたが、私の手を振りほどこうとはしなかった。でも、意気地なし。名前を聞くことは、またできなかった。

 子犬のような顔から子どもっぽさが抜け始めてしまったなとしみじみ思った頃には、彼は怪我をしなくなった。いつも余裕のある仕草で、優しく微笑んでいる。気がつけば、なんでも受け入れ包み込んでくれるような雰囲気に甘え、意中の彼とのカタツムリのような進展を相談するようになっていた。もう子犬なんて呼べないなあ。

「どうしていつも、そんな顔をしてるの?」
「別に、意識してしてるわけじゃない」
「もっと笑えばいいのに」
「そんなことに、どんな意味がある」
「意味がなければ、しないの?」
 それにはムッツリ無言になる。肯定なのだろうか。なんにせよ、ちょっと話題を変えたほうが良さそうだ。包帯を巻きつけながら、適当に質問する。
「君って、いったい何に興味があるの?」
「今は……おまえに興味がある」
 言われたとき、赤面を隠せなかった。

「好きな人の名前、まだわからないの?」
「ここまでくると、逆に聞けなくて」
「そっか……ねぇ、もしかしてその人ってさ……」
「ん?」
「…………やっぱり、なんでもない」

「キミのことが好きなの」
 あるとき、ついに勇気をだして告白をした。彼は少し驚いた表情をしたが、すぐに「くだらない」と言い捨てた。
「そんな感情に、どんな意味があるっていうんだ」
 血が滲む包帯を眺めながら、彼は退屈そうな顔で言った。

 その夜は、まぁ泣いた。自分でも驚くくらいにベッドの中で泣き喚いていた。するとどうしてこんなタイミングで現れるかな。彼が来た。「帰って」と頼んだが、聞いてくれなかった。落ち着くまで一緒にいたいと申し出てくれた。
 嬉しくなかったはずがない。でもフラれたから前に告白してくれた彼に甘えるなど調子の良いことを自分に許せなくて、招き入れることはしなかった。次の日、ずっと一晩外に立っていたと知り、泣きはらした顔をどうしようなんて気持ちが吹っ飛んだ。

 ちょっと純粋すぎるけど、この時も、まだかわいい弟って思っていた。
 その関係が終わりを告げたのは、あの日、あんな場所に行ったせいだ。

 ダレも寄り付かない、人の通りが少ない場所。普段は使わないのにその日はなんでか近道しようと思って通ってしまった。
 そこで、彼と彼がいっしょにいるのを見つけた。戦っていた。血が、派手にあちこちに散っていた。
 なんで戦っているの。二人は知り合いだったの。
 二人の会話から、今まで彼らを手当てしていたのはこの戦いのせいだと知った。

「別に隠していたわけじゃない。あんな危険なヤツ、紹介したくなかっただけ」
 詰め寄って問いただすと、ある日突然襲われてから、ずっと顔を合わせるたびに戦ってきたのだという。
「だからって、あんな、血まみれになるまで戦わなくたって……!」
「そんなことよりもさ。好きな人ってあいつのことだろ? でも、あいつだけはやめたほうがいい。そういう感情なんて全く分からない奴だから」
「あの人のこと、悪く言わないで」
 フラれたけど、まだ好きなのだ。
「なんで、よりによってあいつなの?」
 パキ、と小さく音がした。彼が小枝を踏んだ音らしかった。反射的に彼の方を見ると、光の差し具合のせいだろうか、澄んで輝いていた青い瞳に今までみたことのないような、別の色が混じっているように感じられた。
 まるで別人のように。
「……俺なら、ぜったいに幸せにしてあげるのに」
 ゾッとするほど低い声。思わず数歩後ずさる。
 彼はしばし無言のままこちらを見つめ、そして「今日はこれで帰るよ」と去っていった。

 血まみれで倒れていた彼を運び込み、目覚めたところで戦いの理由を尋ねてみた。彼は「きーぶれーど≠ノなるためだ」と呟いた。
「そのために俺はいる。きーぶれーど≠ノなれなければ、俺という存在には意味がない」
 彼は何にしても意味、理由を求めていた。
「あの子と戦えば、キミはそのきーぶれーど≠ノなれるの?」
 いいや、と彼は首を振った。
「もう十分に時は満ちたはずだ。なのに、まだ成れない」
「どうして」
「力はとっくにあいつの方が上回った。しかし、あいつの心の中の光が弱すぎる」
「どういうこと?」
「あいつは闇に堕ちかけている。闇と闇では、きーぶれーど≠ヘ作れない」
 でも自分の存在意味をなくしたくなくて戦いを続けているのだと、彼は怯えた顔で言った。

「聞いて! すごいことがわかったんだ!」
 頬を高潮させ、ひどく興奮した様子で彼が尋ねてきた。なにがわかったのか、質問する暇もなく両手を包むように掴まれる。
「俺たち、両想いだったんだ!」
「おれたち、って?」
「俺と君だよ! あいつは俺だったんだ。だから、両想いだったんだよ!」
 さっぱり意味がわからない。突然、いったいどうしたのだろう。
「君は君、あの子はあの子。ぜんぜん別人じゃない」
「あぁもう、そうなんだけど、違うんだって。俺たちはもともとひとつだったんだ」
「はいはい。とっても疲れてるのね。少しウチで休んで行った方がいいよ」
「違うってば、ちゃんと真面目に聞いてくれよ!」
 真面目に聞いたほうが馬鹿を見るような話だ。それからしばらく熱心に奇説を並び立てる彼の話を聞き流しながら、包帯のストックを確認した。

「おまえとこうして会うのも、これが最後だ」
 唐突に突きつけられた別れの言葉に、ボトボト包帯の束を落としてしまった。ミイラ男のように包帯を巻きつけた彼は、どこか虚ろな瞳でそれを拾う。
「どうして……?」
「この体も限界がきている。もう俺はきーぶれーど≠ノはなれない」
「そんな!」
 必死に言葉を並べて、彼を励ましたり、慰めようとしたけれど、出会った頃の美しい彼には戻らなかった。
 家を出る前に、彼は言った。
「もう俺を追うな」
 拒絶の言葉の裏にあった、本当の意味を知ったのは、もう少し後のこと。

「ね、言ったとおりだったでしょ」
 憧れていたあの金の目がとろりと微笑む。
「俺たち、両想いだったって」
 気安く触れてこようとする手を叩き、凛と振舞うよう努力した。
「どういうこと?」
「ちゃんと前に言ったよね。何もおかしなことはないよ。ただ、全部がもとに戻っただけ」
 あいつは俺の中に帰ってこられたし、君も俺もめでたくこれで両想い。物語でいうなら文句なしのハッピーエンドだ。そんな風に語る彼が、まったく知らない人に見えた。
「帰ったって何? あの子はどこへ行ってしまったの?」
「どこって……ここ。目の前にいるだろ?」
「キミは、あの子じゃない」
「俺だよ」
「ちがう」
「ちがくない」
「やだ、やめて!」
「ちゃんと見てよ」
 ギチッと音がしそうなほどに手首を締められて、思わず悲鳴をあげていた。逃げたくて暴れようとしたが、それすら力で捻じ伏せられる。
「ちゃんと、俺をよく見て。もう分かってるだろ?」
「分からないし、知らないよ!……もう離して!」
 割れ物の茶器が派手に机から落ちて割れる。それでもなお、彼は退かない。もみ合っているうちに床に倒れ、背を打つ痛みに息を忘れた。
「……なんでだよ」
 震える声が降ってきて、ハッと見上げた。気がつけば彼は大粒の涙を零していて、それが頬にポタポタ落ちてきていた。
「ずっと好きだったんだ。やっと両想いになれたのに、なんで、そんなに、俺を否定するの……?」
 くしゃりと顔をしかめ、本格的に泣き出してしまった。金色の瞳からこぼれる涙。どうしても彼を思い出す。先ほどまで怖いと思っていたのに、暴力に近いことをされていたのに、罪悪感で胸がいっぱいになってしまった。
「ずるいよ……泣かないでよ…………泣かないで」
 離された手首には、赤い痕がついていた。今日いっぱいは残るだろう。そっと彼の涙を指でぬぐってやると、しくしくと幼子のように抱きついてきた。突き放すわけにもいかず、よしよしと背を撫でてやる。
「好きだ」
「…………」
「好きだ」
「うん」
 どれくらいそうしていたのか。私も彼も泣いて、泣いて、泣いて、泣きつくしたところで眠くなってきて、うとうとまぶたを落としてゆく。絞られる視界のなか、彼の口元がニィとつりあがるのがぼんやり見えた。
「ああ、これで、やっと……」
 夢か現か、眠りに落ちる寸前に、そんな嘲笑が聞こえた気がした。



H26.05.23




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