【起】



「……う〜ん……」

 真夜中。ベッドでゴロゴロしていても、なぜだか眠気がやってこない。明日もハードな任務があるはずだから早く眠ってしまいたいのに。無理矢理あくびをしてみても、生理的な涙が溢れるだけで、やっぱり目が冴えてしまう。
 難しい本でも読めば内容を理解する前に、昼でもぐっすり眠れるけれど……寝る前に読んだら夢に見そう。
 ホットミルクでも飲んでみようかな。寝巻きのままキッチンまで行くことにした。
 城の中は、不気味に静まり返ってる。他の機関員はみんな眠ってしまったのだろうか。シグバールとかルクソードは夜更ししていそうなのだけれど。
 キッチンに着くと、さっそく鍋にミルクを入れ、弱火にかけた。コップ一杯分なのだからすぐに温まるはずなのに、静寂の中待つ時は長く感じられる。
 木べらでぼーっと鍋をかき混ぜていると、いきなりガタッと音がして思わず「びぇっ!?」と声をあげてしまった。

「こんな時間に何をしている」

 キッチンの新たな訪問者に、内心「げっ」と顔を顰めた。いつもきっつ〜い任務を渡してくるサイクスだったのだ。報告書を出せば「やり直せ」って叱ってくるし、任務に失敗するとガミガミとイヤミを言ってくるから嫌い……苦手な相手。

「なんだか眠れなくて」

 彼はぶすっとした顔のまま私の鍋の中を一瞥すると、大したリアクションもなく、棚の上にあるヤカンへ視線を移した。相変わらずの仏頂面。せっかくかっこいい顔をしているのだから、微笑みのひとつでも浮かべればいいのにと思う。
 鍋の前にいると「どけ」と言われ、隣のコンロにヤカンが置かれる。彼が次に取り出したのはコーヒーの粉。他にも粉をろ過する道具などを取り出し始める。
 ミルクがふつふつ言い出した。火を止めて、鍋からカップに移し替える。砂糖を入れようと広くないキッチンを見回すと、サイクスの側にあった。

「サイクス、砂糖とって……ありがと」

 渡してもらえるも、無言……。
 こんな人の側では安らげる気などしないが、部屋に帰るとまたカップをキッチンへ持ってこなくてはならなくなる。面倒なので、さっさと飲んで退散しよう。
 砂糖を突っ込んで、スプーンで溶かしながら口を付ける。猫舌なので、一気飲みはできない。サイクスがコーヒーを入れる後ろ姿を観察しながら、チマチマカップを傾けていた。
 湯が沸いて、茶色のフィルター中に入れられた豆へ湯が注がれる。キッチンに心地よい水音と、濃い香りが充満した。
 コーヒーの匂いって、嫌いではないけど、一度も飲んだことがない。

「サイクス。コーヒーって、美味しいの?」

 よくシグバールやルクソードがソファで飲んでいるのを見たことあるが、これほど丁寧に扱っていただろうか?
 溜まっては手を止め、流れては湯を足す行為を繰り返してる背に訊ねてみると、彼はコーヒーの泡を見つめたまま言った。

「まずいと思うものを飲む趣味はない」
「まぁ、そうだよね…………私もそれ、ひとくち飲んでみたい」

 何気ない思いつきのような興味。サイクスのような男がこれほど慎重に淹れる価値のある飲み物が、どんなに素晴らしいものなのか知りたくなった。
 けれど、返答はつれないもの。

「子どもには早い」

 その子どもに過酷な任務を寄越すくせに。なんだか馬鹿にされたような気分だった。そう言われて私が「はい、そうですか」なんて諦めると思っているのだろうか。

「子どもじゃないもん」
「眠れなくなるぞ」
「サイクスだって、今から飲むんでしょ?」
「俺はこれから報告書に目を通さなくてはならない」
「ふぅん?」

 その点については、「任務で別世界に行かない分、彼はそこで苦労する分担なのだな」としか思わなかった。

「とにかく、ちょっとだけでいいから飲ませてよ。どんな味なのか、気になって眠れないかも」
「しつこい奴だ……」

 「面倒」と言わんばかりのため息を吐いて、彼がもうひとつカップを用意してくれた。半分も入って無かったけれど、真っ黒な液体を渡される。
 淹れたてのコーヒー。甘いふわふわした感じがなく、ハッキリとストレートに届いてくる香り。コーヒーは苦い、大人の味などという文句はよく聞くけれど、コーヒーゼリーは甘くて美味しい。
 期待を抱きつつ熱い液をひとくち舐めて「ピギャッ!」となった。全身の毛が逆立つような衝撃。体を突っ走る鋭い苦味。

「〜〜にっがーい!」
「だから言っただろう」

 サイクスの顔は任務に失敗したデミックスを見るときと同じものになっていて、「この馬鹿」と言われた気がした。
 私はひーひー息を繰り返して、湯気を上げるブラックホールの水面を見つめた。

「なにこれぇ、舌がひりひりする……!」
「それはただのヤケドだ。飲みきれないのなら、捨てろ」

 コーヒーの道具を片付けながら、サイクスが呆れ声で言い捨てる。
 確かに、こんな量でも飲みきるには難しい味だった。けれど、あんなに手間暇かけて淹れているところを見て、無理を言ってもらったあげく捨てるなんて。

「やだ……絶対、全部飲む……」
「意地を張るな」

 道具と一緒にカップを片そうとしてくるので、慌てて守る。

「み、ミルクと交互に飲めば平気……」
「おい」
「飲むったら!」

 思わず声を荒げると、はぁ、とため息をつかれた。

「……貸せ」

 有無を言わさぬ迫力にしぶしぶコーヒーを手渡すと、ミルクのカップもよこせと言われる。何をするつもりかと思ったら、ミルクのカップにコーヒーを投入された。

「これならどうだ?」

 帰ってきたカップの中身は、大分ミルクが多かったので薄茶色になっていた。恐る恐る口に含めば、苦味はあるが、とても柔らかく甘い味。

「……おいしい!」

 感想を呟いた、その瞬間だった。
 戦闘で、不意をついてきた敵の攻撃を防御するか回避するかを判断するような、まばたきをするような一瞬。サイクスが、とても――とても優しく笑ったので、息をのむ。

「さっさと飲んで寝ろ」

 片付けを終えたサイクスが、真っ黒な中身のカップを持って闇の回廊の中に消えてゆく。不覚にも、私はろくな返事も返せぬまま、ぬるくなってゆくカップを抱え、ひとり残されたキッチンに立ちすくしていた。先ほど見たサイクスの微笑みのことばかり考えていた。




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