嬉しそうに細めた瞳。
控えめに弧を描いた唇。
――気に入らない。
「ヴァニタス」
「遅い」
約束の時刻よりやや遅れ、フィリアが集合場所の裏路地にやって来た。
俺が壁に寄りかかったまま軽く睨むと、フィリアは立ち止まって弾んだ息を整える。
「ごめんなさい。この世界、とても広いから迷っちゃって」
下手な嘘だ。まぁ、フィリアは俺とあいつの関係を知らないから、仕方ないのかもしれないが。
俺はあえてそれを放置し、まずは定期的に行っている情報交換を済ませてしまうことにした。
「この世界に奴らを集めた。一度三人を再会させる」
「そう……」
フィリアが表情が苦くなるが、俺は気づかないフリをして言葉を続ける。
「この世界では、お前はマスターの手伝いをしなくていい。今まで通り、プリンセスの探索と監視を続けていろ」
「……了解。こちらからの報告は特にないわ。それじゃ」
「待て」
早々に背を向けて去ろうとしたフィリアの手を掴み止めれば、フィリアの体が強張った。顔だけで振り向いた視線には、少し不満が含まれている。
「まだ何か――きゃっ」
言いかけた言葉を無視し、その手を引いた。いきなり引っ張られてバランスを崩したフィリアを、そのまま近くの壁に押し付ける。両手を頭上で交差させ、それを逃げられないよう片手で押さえた。
いきなり押さえつけられたフィリアは目を瞬かせていたが、すぐに冷ややかな目つきで俺を見上げた。
「いきなり何するの。放して」
平静を装っているが、ひどく動揺しているのが触れた手から伝わってくる。振り解けないよう握った手への力を強めると、フィリアが痛みに顔を顰めた。
「ヴァニタス、痛い」
「なぁ、フィリア。俺に隠してることがあるんじゃないのか?」
「そんなこと、くっ」
望まぬ返答に、更に力を調節する。フィリアは身を捩って逃れようと試みるが、俺はそれを許さずに、囁くように言ってやる。
「俺が、その程度の嘘も見抜けないマヌケだと思ってたのか」
「何を言って――あっ、ちょっと!」
あくまでとぼけるつもりらしい。
俺は口元で笑いながら、もう片方の手でフィリアのスカートのポケットを探った。すぐに見つかる冷たい手触り。そいつを引き出すと、鎖の音を立てながら、緑色の石がはめ込まれた銀色のキーチャームが現れた。
キーチャームをフィリアの目の前にぶら下げれば、フィリアの表情が凍りつく。
「ヴェントゥスから貰ったものだな」
「どう、して……」
キーチャームが揺れ、鎖が鳴る。フィリアの声は震えていた。先ほどヴェントゥスからコレを受け取っていたために、フィリアは俺との待ち合わせに遅れたのだ。
呆然としているフィリアに向かって、俺は笑みを消して話しかける。
「あいつらと馴れ合うな。そう命令したはずだ」
「そんな、つもりじゃ……」
「なら、これは何だ? どうしてお前が、ヴェントゥスのキーチャームを大事に持ち歩いている?」
「……、……」
俺の追及に、フィリアは口を開いて何かを言おうとしたようだが、結局何も言わずに口を閉じた。視線を右下に逸らした後、目を伏せる。
フィリアの無言の回答拒否に、俺の苛立ちは増していった。どうして何も答えない。こんなもの、いくらでも言い訳はできるはずだ。
思い至った答えは一つ。気付けば、俺は笑っていた。
「……あいつに、惚れたのか」
「!――ちがうっ」
俺の言葉に、フィリアが弾かれたように俺を見上げた。しかし、またすぐに下へと逸らしてしまう。
「あの子は、敵よ。敵を好きになんて、なるわけない……!」
自分に言い聞かせるような、弱い口調。いつも冷静を装っているフィリアらしくない。それが俺にどう映るのか、考える余裕もないようだ。
「……そうだ。あいつは敵だ」
胸の中にどす黒いものが広がってゆくのを感じながら、俺はキーチャームを地面へ放った。キーチャームは石畳の上を跳ね、俺たちから少し離れた場所に転がる。
「あ……」
「フィリア。一つ、教えてやる」
フィリアの顎を掴み、キーチャームを追っていた視線を無理矢理奪う。絶対に視線が逸らせぬよう、少し動けば唇が触れてしまいそうな距離まで顔を近づけると、フィリアが小さく息を飲みこんだ。
「お前がいくらあいつのことを気に入っても、俺から逃げることは許さない。お前はずっと俺のものだ。――絶対に」
「!……っ、放して!」
フィリアが、渾身の力で俺の拘束を振り払おうと暴れ出す。素直にフィリアを放してやると、フィリアは逃げるように俺から離れ、きつく睨みつけてきた。
「どうして? どうしてヴァニタスは……前はそうじゃなかったのに……」
『何がだ?』と言い返そうとした俺は、フィリアの目に浮かんできた涙に気づき、絶句する。
「私は、あなたの道具じゃない!」
フィリアはそう叫ぶと、表通りの方へ走っていった。
フィリアの足音が聞こえなくなり、俺だけが立つ裏路地は不気味なほどに静かになる。
俺はフィリアの後を追うこともせずに、しばらくフィリアが去った方向を見つめていた。頭の中は真っ白だ。強がりなフィリアの涙を見たのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。
「……道具じゃない、か」
フィリアの残した言葉を復唱し、自嘲する。今までフィリアがそう感じるように振舞ってきたくせに、泣かれたらこのザマか。
「……?」
ふと、視界の橋で何かが光った。見れば、先ほど捨てたヴェントゥスのキーチャーム。裏路地の微かな明るさの中で、鈍く銀に光っている。
コレをフィリアに贈ったときの、ヴェントゥスの気持ちを思い出すと腹が立つ。俺の気持ちは、時が来るまで伝えることすら許されないのに。
俺はキーチャームの上に片足を浮かせた。このまま踏めば、粉々だ。
『――これを、私に?』
「……っ」
脳裏に浮かぶ声に、下ろしかけた足が止まる。
『うん』
『でも、これはあなたの大切なものでしょ?』
『大切だから、フィリアにあげるんだ』
『……?』
『フィリアのは、この前俺を庇って壊れちゃったろ? それに俺、キーチャームは他にもたくさん持ってるから』
『……』
『あ。もしかして、気に入らない……?』
『そんなこと。……私、人から物を貰うなんて初めてで……その、ありがとう』
『!』
『……どうかした?』
『フィリアの笑顔、初めて見た』
『え……』
『笑顔の方がかわいいよ。ねぇ、もっとよく見せて!』
『! わ、私、人と待ち合わせしてるから。さよならっ』
『あっ、フィリア!』
――やめろ。やめろやめろ!
「……無駄だ」
俺はキーチャームを通し、もう一人の自分に言う。
「お前がフィリアを好きになろうと、フィリアがお前に惚れようと……」
全部、全部、無駄なコト。
もし二人が想い合うようになったとしても、計画が予定通りに進めば、いずれヴェントゥスも俺になる。修正の必要すらない程度の問題。何があっても、フィリアは結局俺の側から離れられないように仕組んである。
そう。全ての未来は、すでにマスターと俺によって必然として動いているのだ。……それなのに。
「……くそっ」
俺はキーチャームをそのままに、表通りに向かって歩き出す。次の計画の実行まで、もうあまり時間が残っていない。
差し込んでくる光に目をくらませながら、昔はよく眺めていたフィリアの笑顔を思い出してみたが、この気持ちが晴れることはなかった。
2010.12.20
\やるやるやる〜/
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