旅で立ち寄ったとある世界のお宿の中。
 夕ご飯も食べ終わって、あとはお風呂に入って寝るだけの時刻。寝室の窓を開けて夜の街を見回した。
 今日はまだ来ないんだ。
 少し気落ちした後に、ハッとして違う違うと首をふる。
 なぜか知らないが、どこにいても毎日のように会いに来るから、今日も来るんだろうなって思ってしまっただけである。みんなを苦しめる原因となった、いわば諸悪の根源であるあの男なんて――。

「別に、会う約束なんてしていないもの……」
「ほう」

 窓枠に肘をついてブツブツと呟いたとき、いつもの声から返事があって全身の毛が逆立ったかのごとく驚く。窓のすぐ上、屋根の上にいつもの彼――青年時代のゼアノートが立っていた。
 ヒィ、出たぁ! と怯える気持ちと、今日も自分に飽きてなかったんだなと、どこかホッとした気持ちが両方わく。驚いて後ずさりすると、ゼアノートはするっと部屋の中に入ってきた。
 こういうことが始まったばかりの時に「女の子の部屋に勝手に入ってこないで」って言ってみたことがある。けれど彼は観察物にそんな配慮いる? って顔をしただけだったので、こちらが疲れるだけのやりとりであると学んだ。興味のないことにはトコトン無関心なくせに、興味をもつと納得いくまで調べあげないと気が済まない性格みたい。(しつこい!)
 今日のゼアノートは上機嫌な様子で、余裕に満ちた笑顔をしていた。

「どうやら、待たせてしまったようだ」
「待ってない」

 プイっと顔をそらして、彼に対して背を向ける。この人は敵だから仲良くしちゃだめ。敵だから仲良くしちゃだめ。念仏のように頭の中で繰り返す。
 こちらの態度を全く気にしていないマイペースな彼は、コートからゴソゴソ何かを取り出した。

「そう拗ねるな。土産がある」
「拗ねてない……って、なぁに、これ……?」

 ほいっと渡されたのは、ポーションみたいなビンに入った、白くてトロトロして、ちょっと何かのカケラが浮かんでる液体だった。見るからに怪しい。

「惚れ薬」

 唐突に耳元で囁くような声音で言われ、ぎょっと瓶を落としてしまう。床に落ちる前にゼアノートがキャッチした。耳と頬が熱い。心臓がドクドクいっている。

「おい、扱いには気をつけろ。おまえに必要だから持ってきたのに」
「い、いらない。そんなものいらないから、持って帰って!」

 またこちらにビンを寄こそうとするので、ちょっと押しつけ合いになった。惚れ薬って、いつか読んだ物語で出てきたものと同じなら、飲んでしまったが最後。一番最初に見たの人を無条件に好きになってしまう魔法の薬だったはず。

「はぁ……強情だな」

 必死に突っ返していたら、やっとゼアノートが受け取ってくれた。ほうっと腹の底から安堵の息を吐く。そして、ゼアノートがきゅっとビンの口を空けたのを見てポカンとする。

「今すぐ飲むのと、飲まされるのと、どちらがいい?」
「えっ」

 まるでソラみたいな爽やかな笑顔で訊ねられ、やっと理解する。これは今夜の彼の実験らしい。
 いままで彼に抵抗して、自分を守りきれたことがあっただろうか。いやない。無理。飲む以外選択肢はない。
 諦めてビンを受け取る。飲めばいいんでしょ、飲めばッ!!
 半泣きのヤケクソでビンを口元に運ぶと、仄かにまろやかな甘みの香りがした。どうやら苦くないらしいことだけは救いだった。

「なんの味なんだろう。これ……」

 初めて口にする味だった。まずくはないが、好んでたくさん飲むような味でもない。カケラは舌先で押しつぶせるほどの柔らかさで、よく分からないうちに飲み終わった。
 ご要望どおり飲み下すと、部屋の扉へダッシュした。逃げる! しかし回り込まれてしまった! 慌てて目を閉じ、両手を瞼にかぶせて防御する。

「なぜ逃げる? なぜ目を閉じる」
「あなたは闇側の人間でしょ。好きになっちゃいけないもの!」

 えぇい、ぜ〜ったい見るもんか!
 こちらが見えないことをいいことに、ゼアノートが腕を掴み、顎を掴んでくる。ぐぎぎ……歯を食いしばって引きはがそうとするも、びくともしない。

「ああ。知っている。だから、惚れ薬のせいにすればいい」

 そっと唇に何かが触れたためパチッと目をあけてしまった。ゼアノートの涼やかな美貌が至近距離にある。彼の長い指が唇をなぞったらしかった。
 解放されたため側にあったベッドに腰掛けると、ゼアノートがクスッと笑った。

「フィリア。俺を見てしまったな?」

 甘く囁くような声に呼ばれてゾクッとする。まるで心臓が胸の骨を叩いているみたいに鳴っていた。
 ゼアノートが頬に触れてきて、再び顔を寄せてくる。コートから覗く褐色の肌の喉元がセクシーで、香水ではない、いい香りがした。
 敵とこんな風になれ合っちゃいけないのに。彼は目的のためなら誰でも傷つけてしまう人で、そんな彼を自分は変えることなどできないからだ――けれど。
 触れる直前で止まったゼアノートが、ジッと見つめてくる。イヤなら拒めということだろう。ここまで仕掛けておいて、こんなところで優しくするなんてずるい人。イヤなんかじゃない。本当はいつからか、彼が二度と自分の元へ来なくなることが怖くなっていた。
 目を閉じて、残りの距離を自分から詰める。優しく抱きしめてくる腕に素直に身を預けた。

「惚れ薬の効果って、どれくらい?」
「さぁ。一晩かもしれないし、ずっと続くかもしれない」
「そういう設定、キチッとしてると思ったのに」
「なら、二人きりのときだけ効果があるってことにしておけばいい」

 あたたかく、たくましい胸板に頬を寄せて、今だけ許された言葉を言う。

「本当は……あなたが好き」





 自分の秘めた想いを認めたけれど、やっぱり怖くて、効果は一晩だけにしようと言ってしまった。すると、ゼアノートに毎晩薬を飲めと言われるようになり、甘酒が続いたので文句を言ったらはちみつ湯になり、ココアになり、緑茶、カルピス、ほうじ茶、ミルク……と、飲み物展覧会が始まってゆくことになるが、それはまた別の話である。








2.6.25




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