ぐす、ぐす、とひゃくりあげながら目元を何度もぬぐう。ひとり正面通路を歩いていた。
飾り彫りがされた扉をそっと開くと、冷えた空気が頬を撫でる。城前広場は噴水の音がはっきりと聞こえるほどに静まり返っていて、さすがに外には誰もいないようだった。ひとりでいたかったので、少しほっとする。
自然と足が噴水へ向かう。縁に腰掛け、残りの涙を払ってしまうとするも、次から次へとあふれてくる。
「何を泣いているんだ?」
そうしてしばらく泣いていたとき、ひとりだと思っていたのに低い声がして飛び上がった。いつからいたのだろう、銀髪で褐色の肌の青年が隣に腰掛けこちらを見ていた。怜悧な美貌で、漆黒の正装を着こみ、長い脚をもて余したように組んでいる。
「あなたは?」
どこか、不安を覚える人だった。金色の瞳は凪のように静かだが、深遠はどれほどのものか計り知れない。どこか人を寄せ付けない、近寄りがたさを持っていた。
「ただの通りすがりだ。……話くらいは聞いてやれる」
氷が溶けるように笑んだ表情は人をドキリとさせる魅力があったが、甘く、優しい声音にとろけるような温度はない。
こんな時に話しかけてくるなんて、優しい人なのだろうか。信じられる人なのだろうか。光も闇もある普通の心――その奥に激しい何かが潜んでいる気がしてならないが……。
「美しいな」
「……えっ!?」
脈絡もなく言われたので、ワンテンポ遅れて容姿を誉められたのかと赤面してしまったが、すぐに彼の目がドレスに向いていたことに気づく。
あ、美しいってドレスのこと……。
確かに、メイド服から一転、お姫様のようなドレスは私には勿体ないほどに綺麗だった。もう二度と着られないかもしれないのに、一番見てほしい人たちの元へ戻る勇気はない。
「……舞踏会、みんなで楽しむはずだったの」
ヴェンの要望は叶えることはできない。彼を、彼らのすべてが大好きなのだ。彼なら全部愛してしまう。それに心の光も闇もない。彼に関する全てを欲張りたいし、ひとつの心の片側だけなどと境界を定める考え方はおかしいとすら思う。
「けど、私のせいでだいなしになっちゃった……もう、どうしたらいいのか……」
できたことは、ただただ逃げ出し駄々っ子のように泣くことだけ。
泣きじゃくりながらの言葉を、隣の彼は相槌もうたず静かに聞いていた。こんな断片的な説明じゃあ何も分からないだろう。立ち上がる気配に、呆れて行ってしまうんだと思った。
「苦しいのか」
意図が分からない質問に、目もとをぬぐいながら素直に頷く。
「なら、俺がその苦しみから救ってやろう」
唐突に掌を差し出されて、顔を上げる。青年は不敵に微笑んでいた。
「あなたが? どうやって?」
彼は答える前に、私の片手を優雅な仕草で掬い取った。笑みが深くなり、伏せ気味の瞳に長い睫毛が影を作る。
「そいつらのことは忘れて、俺のもとへ来るといい」
有無を言わさぬ迫力を持った瞳が鈍く光った。息も瞬きも、思考も止まり――呑まれそうになる。
「なにを……言って……」
「俺に従え。導いてやる」
「は、離して!」
手を振り払おうとしたが、ガッシリと掴まれていて叶わず、逆に引き寄せられてしまった。
よ、よくわからないけれど――この人、危険ッ!
頬に押し付けられた胸板はテラのように硬く、鍛えられている。力では勝ち目がない。こうなったら、至近距離だけど魔法を!
「――凍、んっ」
魔法の具現の瞬間、見計らったようなタイミングで口を掌で押さえられた。目の前に闇の回廊が開き、それに向かって進んでゆく。
この人は闇の住人、このままではあの中に? 今はドレスで、鎧がない!
「んぅー、んんんー!」
じたばた暴れてみるも効果を感じられない。そうこうしているうちに、闇の渦はすぐそこまで迫っていた。
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