大階段を降りたあと、城門広場へは行かず、別の廊下への扉へ向かった。手を引く彼がよどみなく進むおかげで顔が見えず、いったい誰なのかと不安になったが、心を感じれば、よく知っている人のものだ。
 扉の先は大広間とは一転して静かな雰囲気の廊下だった。明かりも最小限で、人の気配もない。大きな窓の前で立ち止まるなりパッと手が離された。弾んだ息を整えたあと、改めて彼を見る。

「ヴァニタス。ありがとう」
「別に」

 いつもの禍々しいスーツ姿ではなく正装だったので、新鮮だった。ヴァニタスは襟元のタイを緩めながらそっけなく視線を逸らす。

「ヴァニタスも舞踏会に来ていたんだね」
「マスターの命令で仕方なくだ」
「その格好は、どうしたの?」
「これは、来るなり怪しげな女に魔法をかけられて……」

 ヴァニタスはその出来事を「不覚」と思っているらしく、苦々しい顔をした。

「すごく、よく似合ってるよ」
「こんなもの、堅苦しいだけだ。戦いにも向かない」

 冷たい返事をしつつも、心からは穏やかな感情が伝わってくる。嫌がられてはないようだ。
 ヴァニタスの服、よく見るとヴェンの服のデザインに似てるなぁ、なんて考えていると、ヴァニタスが言った。

「俺には理解できない」
「ん?」
「こんな妬みや欲望で渦巻いている場所の、いったいどこが楽しんだ?」
「妬みや、欲望……」

 負の感情に敏い彼には、そればかりが目に付きやすいのだろう。確かに、先ほどの女性たちも嫉妬と恨みの感情で満ち溢れていたし。

「あ……ねぇこっち、音楽が聞こえる」

 返答を考えていると、廊下の奥から調べが流れてきていることに気がついた。広間が近いのだろう。ヴァニタスを連れてそちらへ進む。
 廊下は控え室へ、小さな控え室は大広間へのバルコニーに通じていた。大広間の明るさや賑やかさと控え室の薄暗さや清閑さが厚いカーテン一枚で隔てられている。

「ここから、ダンスホールが一望できるんだね」

 ヴァニタスを振り向くと、つまらなそうに腕を組んで壁に寄りかかってしまっていた。せっかく楽しい場所にきたのだ。彼にも良い思い出を作ってもらいたい。
 ヴァニタスの前に立ち、手を差し出した。不可解そうな顔へ笑顔を返す。

「ヴァニタス、踊ろう」
「は?」

 ヴァニタスは、信じられないものを見たかのような目つきで私を見た。

「せっかくの舞踏会なんだから、楽しもうよ!」
「別に俺は楽しまなくても――
「私がヴァニタスと楽しみたいの。ね?」

 ヴァニタスの手袋をはめた左手と右手を繋ぎ、もう片方の手を腰に回してもらう。ヴァニタスは驚いて言葉もないのか、されるがままだ。
 密着する格好は照れるけど、ヴェンとのキーブレードの二人乗りに似ている。

「ステップは知らないから、足を踏まないように気をつけよう。せーの……!」

 見よう見まねで狭い控え室のなか、ぎこちなく踊る。初めは足運びが気になって下ばかり見ていたけれど、すぐに呼吸をつかみよどみなく動けるようになる。曲に合わせ、くるくる、くるくる。

「なんとか形になってきたね」

 しかし、いくら慣れてもヴァニタスの表情は硬いまま。視線を合わせようとしてくれない。こんなに顔が近いのに寂しく思えてくる。

「ねえ、ヴァニタス。どうして目を見てくれないの?」
「…………」

 嫌われていないようなのに、視線をそらす理由――考えられるとしたらなんだろうか。

「やっぱり、メイド服が相手じゃあ」
「そうじゃない」

 すぐさま否定してくれるのに、理由を言ってくれない。ぶーっと膨れ顔になっていると、突然ステップが止まった。手を組んだまま、ピクリともしない。

「ヴァニタス?」
「なぜ恐れない」
「へ?」

 ヴァニタスが繋いでいた手を胸の前、正面にまで動かす。

「俺はおまえを何度も傷つけて、痛めつけた」

 手袋ごしに触れるヴァニタスの手の感触はがっしり硬く、マスターにテラ、ヴェンと同じく、正しく剣をふるう手だった。

「憎まれて当然のはずだ」

 伏せられた目。後悔はないけれど、辛い。そんな気持ちが響いてくる。

「……そうだね。いろいろあったから、キミを恨んだこともあったかも――――でも、今はね」

 スカートを抓んでいた手を離し、ヴァニタスの手を両手で包む。白い手袋は、スーツを着ている時と違ってほんのりとぬくもりを伝えてくれた。

「守ろうとしてくれていたことも、知ってるよ」

 さっきも助けてくれたでしょ。そう続けると、ヴァニタスの瞳は驚愕によって真ん丸くなり、ゆっくりと落ち着いていった。
 それから、まるで初めて目があったかのようにジッと見つめられた。まっすぐ、心の中まで覗き込むようなほど真剣な目。鋭さがあるけれど、薄暗さからか金色の瞳に複雑な色彩が浮かんでいる。引き込まれそうなほど強烈で、ちょっぴり怖いと思うも、やっぱりきれいだ。
 しかし、踊りもせずただ見つめ合うだけという状況は次第に耐えられないものになってくる。ヴァニタスの視線の熱を肌に感じるような気がするし、妙に異性だと強く意識してしまうというか、ヴェンといるときと似た気持ちになるというか、変な雰囲気になってゆくというか――
 限界がきて、ついに私から顔を背けた。

「なぜ、目をそらす?」
「だ、だって。そんなに見つめられると恥ずかしくなってくるよ……」
「おまえが見ろと言ったんだろう」
「それは、踊っている時のことで」

 じれったさをどうすれば伝えられるのかもどかしく思っていると、ヴァニタスの顔が近づくのが気配でわかった。

「顔をあげろ」

 低い囁き声のせいで、勝手に肩が跳ねる。反射的に離れようとしてみるも、腰にある手が背に回って逃げられなかった。

「ヴァニタス、あの、ダンス」
「俺を見ろ」
「あ、や、ちょっとまっ……!」

 ヴァニタスとの隙間が無くなってゆく。どうしてこうなった。どうすれば。恥ずかしさを通り越し大混乱――もう頭の中がくらくらしてしまって、抵抗も忘れてぎゅっと目を瞑った。


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