エンジンの音が獣の唸り声に聞こえる。スタートライン最前列で、俺は手に汗握る緊張感を味わっていた。
“3……2……1……START!”
笛の音と共に、マシンを勢い良く発進させる。これはカントリーコースのショートカット。たった三周で勝敗が決まってしまう。
大きくて緩いカーブを曲がっていると、ジャンプ台とそこから続く高所への道が見えてきた。近道だろうか。
ジャンプ台に登るためマシンの進路を調節していると、背後から猛烈に追い上げてくる、強力な風の気配がした。振り向くと同時にかけられる大きな怒声。
「どけぃっ!」
「うわ!?」
――ザルディンだった。六本の槍を風で竜の形にして、凄まじい速さで追い抜いていく。すぐ側を通り抜けられた俺は暴風の余波のせいでバランスを崩し、気が付けばジャンプ台を通り過ぎてしまった。逆走は禁止されてる。もう近道は諦めるしかない。
「……別に、勝ちたいなんて思ってなかったけど」
砂煙りの中、小さくなってゆくザルディンの後ろ姿に、腹の底からムカムカと熱くなるような衝動が湧き上がってくる。
負けるもんか!
強く踏みしめ、マシンを加速させる。三つのダッシュリングをくぐり抜ければ、ザルディンとの距離はすぐに縮まった。
マシンの音が届いたのか、ザルディンが俺に気づいて鼻を鳴らす。
「小癪な。もう追いついてきたのか」
「俺だって負けないからな!」
「……フン」
竜が口がぐるりと俺の方へ向けられる。げっ、絶望の風だ。あいつどこまで本気なんだよ!
急いで身を隠す場所を探したが、前進のみを許されている狭い一本道にそんなものがあるはずない。
「吹き飛ぶがいい!」
突風がやってくる。ああもう、ヤケだ!
スピードは落とさず、後ろ足に力を込めてマシンの先端を少し浮かせた。直後に襲ってくる強い風。
砂煙が舞い上がる視界の中、ザルディンがニヤリと歪むのが見えた。そして、それがどんどん驚愕と焦燥に変わるのも。
「なんだと!?」
ザルディンが愕然とするのも無理はない……というか、実は俺も驚いていた。俺は吹き飛ばされず、そのまま絶望の風の上を走っていたのだ。
案外、乗ってしまえばなんとかなるもので、俺のマシンは風の流れに乗って一気にザルディンに接近し、そのまま追い抜いて再びトップに返り咲いた。
「俺の風を逆手にとるとは」
「お先に!」
障害である竜巻を回避しながら、気持ちよく先へ走り出す。最後のカーブを曲がったら、長い直線の道が続いていた。
「ロクサス!」
遠くない距離からザルディンが呼んでいる。まぁ、あれで諦めるようだったら初めから参加しているわけがないか。
「これならどう――ぐぁ!」
「え?」
ポコーンと間抜けな音がしたと思ったら、俺の頭上を飛び越えて、ザルディンがコースアウトしていった。
いったい、何が?
振り向くと、先ほどまでザルディンがいた場所に、大きな桃色の巨鎌をカマキリのように構えた銀のノーバディがいた。
「勝負に熱くなるのは結構だが、後方注意が足りていなかったようだな」
「マールーシャ!?」
よく見ると、ノーバディの頭の上からマールーシャが生えて、否、乗っている。
「それがマールーシャのマシンなのか?」
「スペクターという。ただ移動するだけならばブルームシャークでも良かったが、あれは前が見えぬのでな」
「……?」
自信満々に語られるが、俺には何のことかよくわからない。それよりも、スペクターと呼ばれたマシンはとにかく大きくて、道の幅のほとんどをその機体で占めている。俺の横を追い抜ていくなんて器用さは無さそうだ。
マールーシャが右腕を上げると、同じようにスペクターの右鎌が持ち上がった。
「さぁ、道をあけろ。でなければ、ザルディンと同じ運命になるぞ」
「無茶言うなよ。そんな大きな機体相手に、どうやって退ければいいんだ」
「それもそうだな。では、退いてもらうまでだ」
くそー、軽く言ってくれる。
限界速度で走っていても、マールーシャの機体はジワジワと迫ってきていた。悔しいが最大速度はあちらの方が上、しかし、機動力はこちらが上だろう。
スタートラインを超え、二周目に突入した。また緩いカーブを曲がってゆく。マールーシャとの距離を稼ぐため、今度こそあのジャンプ台に登らなければ。
「ロクサス、おまえの考えは読めているぞ。ここでさらばだ」
「えっ!?」
その時、俺に鎌が届くにはまだ距離があるというのに、スペクターの右鎌が俺に向かって振り下ろされた。
まずい、やばい。
直感に従ってマシンを道の限界まで左に寄せると、真空波が真横を通り抜け、先にあったジャンプ台をまっぷたつにした。ギョッとする間もなく、次は左鎌が。慌てて減速し、右端へと移動する。コース左側の柵が真空波で派手に壊れた。
「ほう。よく躱せたな」
「コースを壊すなよ!」
「おまえが避けなければ壊れなかった」
「俺が消滅するだろ!」
あいつ、言ってることめちゃくちゃだ!
アテにしていたジャンプ台が壊れた今、背後にいるマールーシャ相手に攻撃手段がない以上、この先のダッシュリングを使うしかないが……ジャンプ台と同じく壊される可能性の方が高い。リフレクを張ってダッシュリングに駆け込むか? でも、今ダッシュリングを壊されたら次の周で逃げられない。
やはりマールーシャを、いや、あの鎌だけでもなんとかしなくちゃ。思いつく限り、何でもやってみよう。
俺はスピードを落とし、ワザとマールーシャを接近させた。鎌が届きそうで届かない距離を慎重に計算する。
「ロクサス。いつまでもそこにいられては目障りだ。悪いが退場してもらうぞ」
「できるものなら、やってみろ!」
「いい返事だ」
煽り返せば、スペクターが両鎌を構えた。それを待っていたんだ!
「おりゃあっ!」
鎌が振り下ろされる瞬間を狙って、俺はマシンをスピンさせるように回した。マシンの翼の部分が回転刃となり、スペクターの鎌を破壊する。
「なにぃ!?」
「やった!」
ボロいからこっちのマシンが壊れる可能性もあったけど、うまくいった!
「鎌がなければ、ダッシュリングを壊せないだろ?」
そして、そんな大きな機体ではダッシュリングを潜れないはず。俺の勝ちだ!
……あれ?
勝利を確信した高揚に、何か物足りなさ――違和感があった。マールーシャの余裕が消えていない?
「この程度で調子に乗られては困るな」
言葉と共に、スペクターが高く飛び上がった。まさか、そのまま押しつぶす気か? 慌ててマシンを加速させた。
「今更焦っても遅い。――行くぞ!」
マールーシャが叫び、スペクターが俺に向かって急降下してくる。今までにない速さ、だめだ、直撃する!
思わず強く目を瞑ると、優しい鈴の音と爆発の音がして熱風と振動に襲われた。マシンがコマのようにぐるぐる回り、振り落とされないよう姿勢を低くして耐える。
「……う……」
薄ら目を開くと、一番初めに見えたのは銀の光。俺はきらきら輝く魔法の膜に包まれていた。
「これは……フィリアが言っていたシールド、か?」
さすがシールド。すさまじい爆発だったというのに、俺もマシンも傷ひとつない。ついでに、どれほどコースを見回してもマールーシャの姿もない。
「ばかな……」
「あ」
声がしてはじめて、柵の外側でマールーシャが花びらを散らして倒れていることに気がついた。ところどころ焦げて煙をあげていたけれど、消滅するほどではなさそうだ。たぶん、マールーシャの攻撃の威力が強かった分、シールドの反射も凄かったんだろう。
シマリスの救急班がマールーシャに駆けつけてくるのを尻目に、俺は再びマシンを発進させた。
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