異空の回廊に浮かぶ岩たちの間を、フィリアたちは水中の魚のようにすいすい進む。

「フィリア、斜め向かいから来てる」
「うん」

 スピードを落とさずに動きを合わせ、重心を少しだけ下にずらした。穴だらけの巨石が頭上を通り過ぎていくのを見送りながら、ずいぶん慣れたものだと他人ごとのように思う。
 いや、違う――――慣れたのは、きっと動作だけ。
 火照る頬に、耳にまで届く鼓動の音。そっとヴェントゥスの兜を見た。飛行中、いったいどんな表情をしているのか、ずっと気にしてばかりいる。

「フィリアは、次はどんな世界だと思う?」
「えっ、次の世界?」

 視線に気づいたのか、それとも単なる偶然なのか、ちょうどヴェントゥスが訊ねてきた。その声には動揺など微塵も感じられず、新しい出会いへの期待で満ち溢れている。
 なんだか肩を落とし、ため息をつきたいほどの落胆を感じながら、平然なフリをしてそれに答えた。

「私、海がある世界がいい」
「海……あぁ、人魚が住んでいて、魚たちが歌って暮らしている場所だっけ」
「本でしか見たことないから。永遠に波立つしょっぱい大きな池なんて、本当にあるのかな?」
「もし次の世界にあったら、泳いでみようよ。海では波乗りもできるみたいだし……ん……?」

 ヴェントゥスがふと言葉を止める。

「……俺、前にも…………」
「どうかしたの?」

 ぼんやりとした独り言。ヴェントゥス自身にも分からないのか、訊くとすぐにかぶりを振った。

「ううん、やっぱり気のせいだ」
「そう……?」

 気にはなったが、ヴェントゥスがそう言うのなら。
 後ろから接近してくる岩石に注意を向けながら、話を戻した。

「波乗りって、どういうのだったっけ?」
「確か、サーフィンって名前のやつ。一枚の板に乗って、水の上を走るんだ」
「それじゃあ、このキーブレードと似てるのかな」

 では、そのサーフィンをするときは、水着姿でヴェントゥスと抱き合うことになるのだろうか?
 今は鎧姿だから赤面をごまかせているものの、水着では顔を隠せないし、肌の露出が非常に高い。男の子の――しかもヴェントゥスとそんな状態になるだなんて、想像しただけで、顔からファイアを唱えられそうになってしまう。

「フィリア? 急に黙って、どうかした?」
[だ、だって……ヴェンは平気なの?」
「なにが?」
「なにがって、それは」

 恥ずかしくて、どう答えたらいいのか言葉に詰まる。まごつくと、ヴェントゥスの兜からくすりと笑い声が零れてきた。

「そんなに心配しなくてもだいじょうぶだよ。乗り方なら、これで慣れてるし」
「慣れてなんか――
「え?」

 思わず言ってしまった小さな本音を聞き逃さず、ヴェントゥスが首をかしげる。しかし、すぐに気づいたように「ああ」と頷いた。

「もしかして、この乗り方は辛かった? それじゃあ、次は別の乗り方に」
「あの、そういう意味じゃなくて」
「違うのか?」
「……うぅ……」

 気持ちのまま、がっくり項垂れた。やはり自分とこの乗り方をすることは、ヴェントゥスにとって何の意識も必要ない、普通で、平気なことらしい。
 しょげていると、背に回っているヴェントゥスの腕が不満そうに絞めてきた。

「フィリア。辛いことがあるなら、ちゃんと言ってよ」
「…………」

 ヴェントゥスの優しい言葉が恨めしく思えるのは、自分のわがまま。そんなことわかっている…………でも、だけど……!

「だいじょうぶだよ。辛いって意味じゃないの」
「本当?」
「うん」

 兜の中で頬を引きつらせながら答えると、ヴェントゥスからの力がゆるゆると緩まっていった。

「あのさ。やっぱり、次の世界で新しい乗り方を試してみないか。今、新しい乗り方を思いついたんだ」
「いいよ、どんなの?」
「まず俺が――

 再びヴェントゥスの言葉が途切れたが、今度は不自然だと思わなかった。
 こちらに急接近してくる気配。正面に顔を向けると、大きなモンスターが流れ星のように現れた。イカとクラゲが合わさったような姿で、胸のあたりにアンヴァースの刻印がある。
 巨大なアンヴァース――メタモルフォシスはすごい速さで自分たちの脇を通り抜けると、器用に転回し、もう一度掠めるようにすぐ側を追い抜いていった。
 一回目の衝撃はなんとか耐えたものの、二回目でキーブレードから足を滑らせ落ちてしまった。慌てて空気をかき分けるように手足をばたつかせみるも手応えはなく、浮力が狂った暗闇の中、むなしくどこかへ流されてゆく。

「わ、わ――風よ!」

 思いつきで後方にエアロを放ってみるも、ふわりと浮かんですぐ落ちてゆく。
 敵前で思うように動けないというなんとも情けない状態に困っていると、メタモルフォシスがぐるぐる体を回させ、こちらに向かって進み始める。あの勢いで体当たりされてしまったら、きっと異空の回廊の果てに弾き飛ばされてしまうだろう。

「かぜ――あっ」

 とにかくエアロガで避けようと思ったそのとき、ひゅっと素早く視界が動き、メタモルフォシスから回避していた。そして、左側に密着しているヴェントゥスの鎧。寸前で、ヴェントゥスが抱え上げてくれたようだ。

「間に合った」
「あ、ありがとう」

 ヴェントゥスは降ろしてくれるどころか、自分を抱く腕に力を籠める。

「ヴェン……?」
「あいつを倒すよ。しっかり掴まって」
「え、このまま!?」
「いくぞ!」

 声と共にキーブレードが加速する。ぐん、とかかる重力に、思わずヴェントゥスの首にしがみついた。





 メタモルフォシスは柔らかそうな見た目の割に頑丈で、しかも素早い。自分にできたことはせいぜいリフレクを唱えることだけで、あとはヴェントゥスから振り落とされないよう縋り付いていた。
 ヴェントゥスの何度目かの攻撃で、やっとメタモルフォシスの表面に傷が残る。手応えにヴェントゥスが歓声をあげた。

「やった!」
「あ。アンヴァース、逃げてくよ」

 負傷に怯えたのか、メタモルフォシスはこちらに背を向け、ぐんぐん遠くへ離れてゆく。

「逃がさないぞ!」

 ヴェントゥスが足に力を込め踏みしめる。抱きしめられる窮屈さも、それに比例して強くなった。

「ねぇ、ヴェン。追いかける前に降ろ――

 言い終わる前に、キーブレードが火を噴いて、メタモルフォシスを追いかけ始める。
 やがて見えてきたのは、暗闇を進む丸みを帯びた純白の船。追いつく前に、メタモルフォシスはその中に消えてしまった。




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