どうして急に試練の塔に移動したのだろう。
窓からそうっと外を覗くと、はるか下に木のてっぺんが小さく見えた。確かこの塔は100階建てだ。なら、ここはだいたい50階くらいだろうか?
おそるおそる手の内の駒を見る。真っ白で王冠がついていたはずの駒は、黒側の角が長いヤギの駒に代わっていた。
ふと、遠くから花火のような音が響いてくる。なんだろう。もう一度窓の外へ目を向けた時だった。
「フィリア……?」
「あっ、ヴェル」
かわいい声に呼ばれて見ると、パタパタ足音をたてながらヴェルが階段を登ってきた。ヴェルは大きな目を更にまんまるにして、近寄るなり両肩をつかんでくる。
「どうしてここに。今までどこにいたの?」
普段のヴェルらしからぬ、せっぱつまった表情で詰め寄られて驚いた。たじたじになりながら答える。
「えぇと、私、自分の部屋から出たらいきなりここに立ってて……」
「どういうこと? フィリアの魔法が成功したあの日、急にいなくなったからみんなでずいぶん探したんだよ! エラクゥスとゼアノートなんて、何日も街じゅうを探して」
「待って、ヴェル。何日もって……魔法を成功させたのは、ついさっきのことでしょう?」
そこまで答えるとヴェルは少し黙り、困惑しながらも落ち着きを取り戻したようだった。
「そっか……フィリアの方はそうだったんだね」
ぎゅっとつかまれていた肩が解放される。ヴェルは悲しそうな笑顔で言った。
「私たちの方は、あれからもう何日も経ってるよ。承認試験に出た上級生たちがいなくなって、探索のために私たちも外の世界へ出ていたんだ」
「そう……なんだ」
どうやら、自分だけ時間の流れがずれてしまっているらしい。きっとこの駒のせい。どうしたらよいか分からず、おそるおそる駒をポケットにしまった。
ヴェルがふうと息を吐き、いつもの笑みになる。
「とにかく、また会えてうれしいよ。私、塔の屋上にいるマスター・ウォーデンに会いに行く途中だったんだ。フィリアも一緒に行こう」
「うん」
そうして、ヴェルといっしょに上へ続く階段へ歩き始めた時だった。背後からまたカツッと足音がする。
「ん?」
振り向くと誰かいた。日陰に立つふわふわの白髪の少年。正体を知り嬉しくなる。
「バルドル!」
「フィリアか」
ヴェルのようにバルドルも自分の登場に驚くと思ったら、彼は余裕のある態度でにっこりと笑った。
「まさか、このタイミングで会えるとはな」
あれ、と瞬きする。バルドルの雰囲気が、いつもと違うような?
ニコニコしているバルドルからおいでと手招きされたので、疑問に思いながらも彼の元へ行こうとした。すると、ヴェルがすっと自分とバルドルの間にずれて道をふさぐ。
「バルドル……久しぶりだね」
ヴェルに話しかけられて、バルドルの笑顔が一瞬消えた。ヴェルを見つめて不敵に笑う。
「俺はもう、おまえの知ってるバルドルじゃない……」
バルドルの言っている意味がわからず首を傾げるが、ヴェルには通じているようだった。彼女は気遣うようにそっと訊ねた。
「ヴィーザルたちからお姉さんこと聞いたよ……それが理由?」
ヴィーザルは上級生のひとり。そういえば、先ほどヴェルが上級生が失踪したとーーバルドルの姉のヘズのクラス。彼女に何があったのだろう。
予想に反して、バルドルはくつくつ笑った。自分の知っている彼らしくない笑い方だ。
「バルドルの姉、ヘズは俺が消滅させた……」
「えっ!?」
話しているのはバルドルなのに、まるでバルドル自身じゃないみたい。それに、お姉さんを手にかけたと言った?
「ヘズだけじゃない、ヘイムダルとヘルギにシグルーン、下級生のブラギとウルド、ヘルモーズはたやすかったぞ」
よく知っている名前が連ねられて、更に理解が遅れる。バルドルがみんなを消滅させた? ついさっきまで笑い合ってた友達まで? ウソ。バルドルがそんなことするはずない。
理解を拒否している間にバルドルはキーブレードを出し、薄笑いを浮かべたまま切っ先をヴェルに向けた。
「おまえで8つめだ」
「ヴェル、バルドルは何を言っているの……?」
バルドルはヴェルのことを“おまえ”呼ばわりしたことはない。それに、友達へキーブレードを向けるなんて。彼が悪い冗談を言っており、後ろからみんなが「ジャーン、嘘だよ〜!」なんて現れないか疑った。
すがるようにヴェルを見ると、彼女は小さな肩をわなわなと震わせていた。
「みんなを……」
ヴェルもキーブレードを出し、バルドルへ向ける。
「許さない!」
「待って、ヴェル!」
駆け出すヴェルの先で、バルドルがニヤッと笑ったのが見えた。
「ヴェル! バルドル!」
ヴェルから渾身の連撃が繰り出される。以前よりも上達した素早いキーブレードさばきは、余裕の笑みのバルドルにたやすく弾かれていた。
「ふたりとも、やめて!」
「フィリアは下がってて!」
模擬戦のレベルではない。これは殺し合いだ。ふたりを止めたいけれど、あの間に入れる実力はない。
耳に痛い音をたてて、何度もキーブレードがぶつかる。
「くぅっ!」
ある時、ヴェルの振り下ろしたキーブレードがバルドルに片手で掴まれた。振り払えないならばとヴェルが力づくで押し切ろうとして前のめりになると、バルドルが一瞬で上空へ移動し、支えを失いバランスを崩した彼女へ強力な一撃を与えようとしていた。
「だめ……!」
籠められた破壊力にゾッとする。あんな攻撃を当てられたらただでは済まない。間に合うか分からないがとにかくヴェルの元へ駆け出した時、ひゅっと誰かに追い抜かれた。すさまじい破壊音が鳴り、部屋が揺れる。
「ヴィーザル!?」
ヴェルの驚いた声が聞こえる。ヴァ―リがヴェルを抱え、ヴィーザルがキーブレードを振りぬいていた。自分の近くでもヴォルヴァがキーブレードを構えている。彼らが守ってくれたらしかった。
身軽な動きで、上級生たちが一か所に集まる。体勢を立て直したヴェルがまた再びキーブレードを構えた。皆、バルドルへキーブレードを向けていた。
「ヴィーザル、ヘイムダルはこいつに、闇に消滅させられたんだ」
ヴェルの涙声まじりの言葉を聞き、ヴィーザルが若干うつむく。
「やはり、そうだったか……ヘズの消滅がバルドルを闇に堕としてしまった。責任のいったんは俺たちにある」
「バルドルが、闇に堕ちた……?」
あの優しいバルドルが?
混乱したままバルドルを見ると、彼は否定せずニヤニヤ笑う。
「だったら、おとなしく消滅してくれるよな?」
誰かが怒りでキーブレードをきつく握りしめる音がする。寡黙そうなヴァーリが彼らしい落ち着いた声で言った。
「闇に堕ちたおまえに俺たちがしてやれることは一つ」
ヴォルヴァがメガネをくいと上げる。
「ヘズの尊厳を守る為に」
「安らかな消滅を……キーブレードが導く心のままに……」
ヴィーザルが絞り出すような声で、祈るように言った。バルドルがあざ笑う。
「やれるものか!」
四対一で圧倒的不利のはずなのに、バルドルは笑いながらキーブレードを振り下ろした。
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