群青色の夜空に、満天の星。風はひんやりと心地よく、山の特有の澄んだ空気を運んでくる。いつもみんなで来る山頂は、今、私とヴェンの貸切だった。

「座ろっか」
「うん」

 ヴェンに続き、私はひとつだけあるベンチに向かう。以前よりスカートに気を配って腰掛けるようになったのは、ある日からヴェンに対する私の意識が変わったせいだ。流れ星から城までを一望できる素晴らしい夜景より、その横顔を眺めていたいと思うほどに、彼に対して特別な好意を寄せるようになっていた。
 星空に瞳を輝かせる横顔に見惚れていると、視線に気付いたのか、ヴェンが私を振り向いてにっこり笑う。

「すごいよな」
「え?」
「流れ星。今夜はいつもよりたくさん落ちてきてる気がしないか?」

 そう言って、ヴェンはまた空の方へ顔を向けた。その青い瞳に星が映り、きらきらしている。

「そうかも。とっても綺麗……」
「フィリアと一緒に見たかったんだ」

 優しく微笑まれて、胸が高鳴った。ヴェンは誰にでもこのようなことを平気で言うとわかっているのに、毎回、勘違いしてしまいそうになる。

「誘ってくれてありがとう。ちょうど眠れなかったところだったし、嬉しいよ」
「明日のこと? やっぱり緊張しちゃうよな」

 私は頷いて、暗闇に建つ城を見た。テラとアクアとマスターの部屋から、黄色の光が漏れている。

「マスター承認試験って、いったいどんなことをするんだろうね?」
「うーん……二人がマスターと戦うとか。勝てたら合格」
「難しすぎるよ。マスターに指定されたものを手に入れてくるっていうのは?」
「それって、フィリアの絵本にあった……確か、かぐや姫だっけ?」
「そうそう」

 いつもの調子で弾む会話に、だんだんと緊張が解れてくる。私は、ヴェンにちょっぴりいじわるな話題をふってみた。

「マスター承認試験って、いつか、ヴェンもマスターになるときに受けなくちゃいけないの?」
「たぶん。……やだなぁ、試験なんて」
「ヴェンが弱気だなんて、意外」
「もし筆記テストだったら、自信ないから」

 いたずらっぽく笑うヴェンに、私も笑う。こんな時間がいつまでも続けばいいのにと思っていたら、いきなりヴェンが真面目な表情になった。

「『いつか』って言えばさ」
「ん?」
「フィリアは先のこと、どうするって決めてるのか?」
――私?」
「うん。将来の夢ってある?」

 想像もしていなかった質問に、しばし首を傾げて考えてみた。そんなこと、考えたこともなかった。ヴェンたちとここで出会い、育ち、ずっと一緒に暮らしてゆく。それが当たり前で、変わってほしくなくて、私の考えられる最大の幸せだった。
 真剣な顔で――まるで食い入るように見てくるヴェンに、私は少し俯いて、見上げるようにぽそぽそ答えた。

「ない、かな。そういうこと、考えたことなかったし」
「よかった……!」
「どうしてヴェンがほっとするの?」
「それは……。ちょっと待って。心の準備をするから」
「うん?」

 ほっと笑ったかと思いきや、ヴェンは顔を真っ赤にさせたり、深呼吸を始めたり、咳払いしたりする。なんだか変だ。
 ヴェンは改めて私に向き直ると、ゆっくり言った。

「フィリアが良ければ、俺が貰いたいんだ」
「何を?」
「フィリアの未来」
「…………え?」

 私はしばらくポカンと口を開けて、言葉の意味を理解しようと努めていた。ヴェンが貰うということは、私があげることになるわけで。私の未来をヴェンにあげるということは――私の未来がなくなるってことになる?

「私を消すってこと?」

 おそるおそる訊ねると、ヴェンがガックリうな垂れる。

「俺がフィリアを消すわけないだろ。……アクアの言ったとおり、これじゃダメか……」
「アクアが? どういうこと?」

 疑問符をたくさん浮かべる私に、ヴェンは「つまり」と言いかけて、続ける前にひとつ深呼吸をした。

「俺、フィリアが好きだ。友達としてだけじゃなくて、特別って意味で」

 ハッと息を飲むような、それでいて惚けてしまう言葉だった。感動のあまり、私が何も言えずにいると、ヴェンが付け足すように、早口で言う。

「答えは今すぐじゃなくていい。けれど、もし、フィリアも俺のことをそう思ってくれたら、これからも……」
「……うぅ」
「フィリア!?」

 目の前のヴェンの顔がじわじわ歪み、私は両手で顔を覆った。ヴェンも私のことをそう思っていてくれたなんて、夢みたいだ。すぐに答えを伝えたいのに、胸がいっぱいで、涙が止まらなくて、上手く言葉が出てこない。

「泣くほど、嫌だった……?」

 ヴェンまで泣きそうな顔をして、オロオロと私の顔を覗きこんでくる。泣き顔なんて、きっとひどいから見て欲しくない。私は、必死に首を振ることで否定した。

「ううん。嬉しっ、て……」

 ひゃっくりで言葉が跳ねる。大切なことだから、ちゃんと笑顔で答えたい。私は何度も手で涙を拭い、出来る限りの笑顔を作った。

「私も、ヴェンのことが好き。大好き……!」

 ヴェンが目を丸くする。やっと想いを告げられたことに満足していると、いきなり腕を引かれ、背で交差したヴェンの腕に閉じ込められた。

「ヴェン?」
「……夢じゃ、ないよな?」

 ポツリと、ヴェンが呟く。ぎゅう、と腕の力が強くなった。

「ん……苦しいから、夢じゃないよ」
「あっ、ごめん。つい」

 腕の力が弱められて、私はほうっと息をつく。抱きしめられることは嬉しいけれど、さすが、普段鍛えているだけはある。そうっとヴェンの背に腕を回すと、想像以上にたくましくて驚いた。
 長いような、短い間抱き合った後、私たちはゆるゆるお互いを離し、顔を近くにしたまま見つめあった。ヴェンの瞳に映っているのが私だけで、まるでヴェンの全てを独り占めできたような気持ちになる。ヴェンの指先が私の頬を撫で、くすぐったい。その手がそっと頬に広がったので、任せるままに瞳を閉じると、唇に柔らかな感触がした。
 離れてゆくぬくもりが名残惜しい。お互いの息を感じながら目を開くと、ヴェンが切なげに訊ねてくる。

「もう一回、してもいい?」
「何度でも、ん……」

 私の承諾は、最後まで言えなかった。大きく脈打つ心音は、私のものなのか、ヴェンのものなのか――。その後、アクアたちがやってくるまで、私たちはお互いの手を離さなかった。











 水色の空に、白い雲がのんびりと流れてゆく。遠くまで続く山々は深い緑が鮮やかに萌え、この世界を縛る金鎖は、刻まれた模様のきらめきまでもが廊下からはっきり見えた。

「いい天気」

 いつもより世界が綺麗に見えるのは、私が幸福だからだろう。あの後、アクアに祝福してもらい、テラには涙ぐまれ(「嫁入りを見送る父親って、こういう気持ちなのか」とか言っていた)四人で一緒にお守りを持った。アクアが作ってくれた、つながりのお守り。ポケットにしまったそれを取り出すと、ガラス部分が朝日に透けて色影を映しだす。
 テラとアクアのマスター承認試験は、あと30分後に大広間で行われる。先ほど、珍しく黒い服を着た客人が訪ねてきていたが、試験に関係する人なのだろうか。

「いたいた。フィリア!」

 大広間に続く廊下からヴェンがきて、私に駆け寄ってくる。

「マスターが、もう大広間に集まれだって」
「わかった。……いよいよだね」
「ああ。二人がマスターになるの、楽しみだな」

 言って、ヴェンの左手が私の右手を握る。ぬくもりで昨夜のことを思い出し、ヴェンと本当に両想いになれたのだと実感する。嬉しさのあまり、我ながら大胆なことを言っていた気がするけれど……。熱くなった顔を左手で確認していると、気付いたヴェンが私を見た。

「どうしたの?」
「昨日のこと、思い出してて。ヴェンとこうしていられるの……すごく嬉しい」

 するとヴェンが目を細め、秘密を告げるように囁いてきた。

「フィリア、キスしたい」
「こ、ここで?」
「ダメ?」
「だって、今は明るいし……それに、誰かに見られちゃったら」
「テラとアクアはもう大広間に向かったよ。それに、明るさは関係ないだろ?」

 くすっと笑って、ヴェンが顔を近づけてくる。反射的に目を閉じると、昨日と同じ感触が、昨日より長く感じられた。不安な気持ちを忘てしまうほどに幸せな気分になるけれど、息を止めるので少し苦しい。

「キスって、思った以上に難しいね」
「そう? もっと練習する?」

 更に顔が熱くなる。そんな声で囁かれたら、「練習したい」と言いそうになってしまう。

「今はもうダメ。大広間に行かないと」
「そうだな。じゃあ、また後で」
「……ん」

 笑いあって、私たちは大広間へ向かった。

 私もヴェンも知らなかった。昨日も、この時も、私たちをすぐ側で見てた人がいたなんて。










 光の球が暴走し、私とヴェンに向かってくる。ヴェンがキーブレードを振り下ろすと、光の玉は透けるように消えていった。

「フィリア、マスターのところへ!」
「うん!」

 ヴェンの指示に従って、私はマスター・エラクゥスの元へ走った。途中、光の玉に襲われそうになったが、マスターのキーブレードの一閃で光の玉が消滅する。

「私の後ろに。離れるでないぞ」
「はい、マスター」

 マスターは光の玉を警戒しながらも、テラたちの戦いぶりを観察していた。私も、マスターの背に隠れながら三人の戦いを眺めていると、ぞっと背筋が冷たくなる。横からの視線……マスター・ゼアノートが、私を見ていた。

「…………」

 金色の、強い意思を宿した目に射抜かれて、私はなんだか怖くなった。縋るようにマスターの白い上着の端を掴むと、マスターも、マスター・ゼアノートの様子に気付く。

「その娘は、戦わないのか?」
「これは、そのように育てておらん」

 マスターが、左腕で私の背をそっと包む。まるで、マスター・ゼアノートから私を隠してくれるようで、少しだけ安心することができた。
 私たちを見つめたまま、マスター・ゼアノートが唇の端を上げる。皮肉ったような笑みだった。

――お前らしいな。エラクゥスよ」

 独り言のように言って、マスター・ゼアノートはテラたちに視線を戻した。ちょうど、テラたちが光の玉を全て倒したところだった。











 部屋に戻った私は、枕を抱いてベッドに寝転がっていた。少し前までヴェンのおかげで満たされていた気持ちは、今、とても空虚だった。

「テラ……だいじょうぶかな」

 試験は、アクアだけが合格した。テラはみんなに背を向けて、中庭に行ってしまった。やはり、追いかけたほうが良かっただろうか? けれど、ひとりになりたいと言っていたし……そっとしてあげるのが優しさなのだろうか。……よく、わからない。

「やっぱり、ヴェンに相談してみようかな……」

 そう思い、枕を置いて、部屋を出ようとしたときだった。突如、大きな鐘の音が城じゅうに響き渡る。何かが起こり、何かが始まるときの音だ。いつも、良い予感はしない。

「マスターのところに行かなくちゃ」

 私はヴェンの部屋に寄らず、まっすぐに大広間へ走り出した。











 マスター・エラクゥスから教えられたのは、新たな脅威と、マスター・ゼアノートの失踪だった。マスターはテラとアクアに任務を命じ、それに成功したら、改めてテラをマスターに承認したいと言っていた。

「帰ってきたら、二人のマスター承認のお祝いをしようね!」

 私はテラと中庭に向かいながら、スキップしたい気持ちで言った。テラがいつもの笑顔で「ああ」と答える。

「なるべく早く解決して戻ってくるから、ヴェンといい子で待っててくれ」
「もう、また子ども扱いする!」
「まだ、充分子どもだろ?」

 「充分」のところにアクセント置くテラを見上げ、ぷくーっと顔を膨らませると、わしわしと頭を撫でられた。髪がめちゃくちゃになってしまうけれど、嫌いじゃない。

「それじゃあ、行って来る」
「うん、いってらっしゃい」

 旅立つため、テラが私から数歩離れたとき、背後で扉が開く音がした。

「テラー!!」
「ん?」
「ヴェン?」

 大広間から飛び出してきたヴェンが、白い階段を跳ぶように降りてくる。辿り着き、息を切らすその髪をテラは先ほどの私にやったようにかき撫でた。

「うわっ?」
「だいじょうぶだ」

 言って、テラは、今度こそ鎧を纏って旅立っていった。青空に開かれた異空の回廊は、そこだけが夜空みたいだ。

「この任務が終わったら、テラもマスターになれるんだって。帰ってきたら、みんなでお祝いしようね」
「うん……」
「……どうかしたの?」

 一緒に楽しみにしてくれると思ったのに、ヴェンの顔は曇ったままだった。訊ねてみると、ヴェンは少し黙り、私をまっすぐに見る。

「フィリア。俺、ちょっと行ってくるよ。テラを追いかけなきゃ」
「テラを? どうして?」
「今は言えない。帰ったら教えるから」

 ヴェンが腕の装置を叩く。まぶしい光に包まれて、目を開いたときには、鎧姿のヴェンがいた。キーブレードをライドの形にし、それに飛び乗る。

「ヴェン!」
「すぐに戻るから!」

 私の周りを一周すると、ヴェンは空に向かって高度を上げてゆく。

「待って、ヴェン!」

 大広間からやってきていたアクアの静止も聞かず、ヴェンは異空の回廊の中へ飛び込んでいってしまった。











 アクアの旅立ちも見送った後、私は自分の部屋に戻ってきた。三人もいなくなってしまったので、城の中はとても静かだ。見上げた空にはもう異空の回廊はなく、すっかり元通りの青空だった。

「……ヴェンまで旅立っちゃうなんて……」

 理由も言わずにひとりで行ってしまったヴェンに、私は3割程の怒りと、7割の不安を感じていた。あの時のヴェンの目は本気で、いたずらに飛び出していったとは思えない。マスターのいいつけを破るほどに、重要なこととはなのだろうか。
 ため息をつきながら空を見ているとドアがノックされた。

「マスター? どうぞ」
「…………」
「……え」

 ゆっくり扉を開いて入ってきたのは、マスターではなく、知らない少年だった。黒い髪と金色の瞳が印象的で、片手に黒い仮面を抱えている。

「君は、だれ?」
「ヴァニタス」
「ヴァニタス?……私はフィリア。はじめまして」
「知っている」

 言って、ヴァニタスは部屋の戸を後ろ手で閉めた。名前はわかったが、いったい何の用だろう。どうしてこの世界にいるのだろう。少し怖いと思いつつも、ちょうど寂しかったこともあり、私は彼に興味を抱いた。

「ヴァニタス、マスター・エラクゥスを尋ねてきたの?」
「違う。おまえに会いにきた」
「私たち、初対面だよね?」
「あいつがいなくなったからな」

 ヴァニタスが私の方に歩いてくる。近すぎず、遠すぎず――ちょうど、手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まった。敵意も害意も感じない。私は首を傾げなお訊ねた。

「あいつ?……もしかして、ヴェンのこと?」
「バカなやつ。俺なら、おまえを置いていかない」
「え?」

 意味を理解しようと考えている隙に、ヴァニタスの手が私の後ろの壁に触れた。それに気をとられていると、今度はもう片方の手が仮面を落とし、私の頬に触れてくる。さすがに、私はその手をふり払おうとした。

「何を――
「俺を選べ」

 やんわりと強い力で上を向かせられ、近距離で視線が合う。なんて深くて鋭い気持ち――私は、その強い金色の瞳に見入ってしまった。

「ヴェントゥスは、おまえを守れない」





25.12.22




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