皿がカチャカチャ音をたてる。
 アクアは昼食を食べ終え、食器を洗い桶に入れた。蛇口を捻って水を張っているとヴェントゥスが使った食器を運んでくる。

「ありがとう」

 ヴェントゥスがこくりと頷きながら食器を差し出してくる。無表情は相変わらずだが、当初に比べかなり変わった。毎日いろんなことを覚えて――取り戻しているようだ。
 テーブルに視線を向けると、テラが食事に手もつけず暗い表情で俯いていた。

「テラ、冷めちゃうよ」
「フィリアもまだ食べていない」
「……」

 先程テラからフィリアが隠れて魔法の修行をしていたことを聞いた。
 思ったことは“やっぱり”。最近疑問に思っていたことがそれで全て理解できた。

「……アクア、おまえは知っていたのか?」
「ううん。でもなんとなくそんな気はしてた。書庫からなくなるのは魔法の本ばかりだったから」

 フィリアの席には、手付かずの昼食が置いてある。
 エラクゥスと話した後フィリアは自室に篭って出てこない。今頃きっと空腹だろう。

「私、フィリアに食事を届けてくるわ」

 トレイを出して食事を載せ始めると、テラが勢いよく顔をあげた。

「俺が届けるっ!!」
「ダメ。それじゃあ片付かないでしょ。ヴェントゥス、テラが昼食を残さないように、見張っててね」

 渋い顔をするテラと素直に頷くヴェントゥスに微笑みながら、アクアは食堂を出た。





★ ★ ★





 書庫の本を机に置いたまま、フィリアは顔を枕に押し付けベッドにうつ伏せに寝転がっていた。
 先程まであった怒りや苛立ちは消えていて、悲しさと恐怖を感じていた。
 なぜ自分はここにいるのか。テラとアクアの修行を見るたび、いつも疑問に思っていた。
 幼かったせいか、エラクゥスに引き取られる以前ことや本当の家族のことは何ひとつ覚えていない。ここ以外自分の居場所を知らないのに、テラたちと違い自分がこの地にいる理由が分からない。
 ドアがノックされる音。反射的に枕に埋めた顔を上げる。

「フィリア、入ってもいい?」
「アクア」

 急いでベッドから降りて鍵を開ける。扉を開くとトレイを持ったアクアが立っていた。

「お腹、減ってない?」
「あ……」

 答える前に、ぐぅーと音が鳴った。慌てて腹を抑えたがもう遅い。
 「よかった」と笑いながらアクアが机に食事を置いてくれた。置いてあった本に気付くと手にとって、本のタイトルを指でなぞりながら目を細めた。

「“攻撃魔法の構成理論”……やっぱりフィリアが持ってたのね」
「やっぱりって、気づいてたの?」

 椅子に座り、手を合わせる。今回のおかずはテラの好物ばかりだ。
 食べ始めたときアクアが分厚い本を開いた。

「ええ。書庫から魔法の本ばかりなくなっていくし、踏み台は移動してる……それに、フィリアは最近何かを隠しているようだったから」
「…………」

 野菜を飲み込みながらフィリアはまじまじとアクアを見上げる。まだ十代前半のはずだが、その微笑みはとても大人びていた。

「ひとりでがんばっていたんだね。この本、とても難しいのよ」
「うん……でも、ほとんど何て書いてあるのかわからなかった」

 わからない言葉を辞書で引くと説明文もわからない。それを調べるためにまた辞書を引く。そのような流れでどんどん辞書を引いていき、肝心な本の内容をほとんど読み進めることができなかった。
 フォークでハンバーグの欠片を刺す。肉汁がじゅわっと溢れた。

「……アクア。どうして私は攻撃魔法を覚えちゃいけないんだろう……」

 先程のエラクゥスの険しい表情と、向けられた背を思い出す。

「私だけキーブレードが使えないから……マスターに嫌われているのかな?」

 キーブレードに選ばれなかった落ちこぼれ。だから自分だけ修行にまぜてもらえないのだろうか。
 俯くと、アクアのほっそりとした手が頭を撫でた。

「そんなこと、あるわけないでしょ?」
「…………」

 黙っているとアクアは本を机の上に置いた。

「フィリア、ケアルを初めて使った日のこと、覚えてる?」
「うん……?」

 エラクゥスから授かるように学び、唯一使える魔法。
 覚えたとき、エラクゥスの顔の傷跡を治そうと試みたができなかった。残念がる自分を見て「治せなくともその気持ちが嬉しい」と、エラクゥスは目を細めて笑ってくれた。

「マスターがフィリアを嫌いなわけない。もう一度ちゃんと話し合えば、きっと分かりあえるわ」
「…………」

 確かに、このままだとただ辛くて苦しいだけだ。
 フィリアはアクアに頷いた。





 トレイを片付けてくれるというアクアの言葉に甘え、早速エラクゥスの元へ行こうと扉を開いたところ、目の前に人影が大小二つ――テラとヴェントゥスがそこにいた。

「テラ! ヴェン!」
「あ」

 呼ぶと、テラが珍しくあたふたした。なぜテラとヴェントゥスがここにいるのか不思議がっていると、隣にいたアクアが苦笑する。

「もう……ちゃんと食べ終わったの?」
「ぜっ、全部食べたさ! なぁ、ヴェン!」

 ヴェントゥスが少し戸惑ったように頷く。
 テラの口元に昼食のソースがついている。昼食はテラの好物ばかりだったのに、よほど急いで食べたのだろうか。
 テラが自分の身長に合わせて床に膝をついた。表情はどこか気まずそうだ。――先程自分が隠れて修行をしたせいで、テラに嫌な役目をさせてしまったから。

「フィリア。俺は、む」

 言いかけたテラの口をハンカチでふさいで、丁寧に拭う。

「テラ……ごめんね」

 先に謝ると、テラが片手がぽんぽんと頭を撫でてくれた。拭い終わりゆっくりとハンカチを放す。

「私、マスターと話してくる」
「俺も一緒に行くか?」
「ううん。ひとりで大丈夫」
「……そうか」
「うん。また後でね」

 三人に笑って、フィリアは大広間へと歩き出した。





★ ★ ★





 静まりかえった大広間。夏の暑さも、石で造られたこの部屋は涼しかった。
 エラクゥスは、異世界に住む元・キーブレードマスター、イェン・シッドと交信していた。

――自ら学び始めたか』
「今まで、言いつけに背くことなどなかったのだが……」
『お主が導いてやるのがいいだろう』
「しかし」
『懸念は分かるが、このままだとまた己で学び始める……導かれない力は安易な道へと迷いやすいものだ』
「……」
『それほどまでに心配ならば、いっそ話してやってはどうだ? いずれ自らを守る力が必要になるときがくるかもしれん』
「話したところで不安を植えつけるのみ……私が守る。あやつは何も知る必要はない」
『友との約束か……言いたくはないが、もしそのときがきてしまったら――
「覚悟は、六年前にできている」
『……そうか』
「……それでは、失礼する」

 交信を切ると扉が開く気配がした。振り向くとフィリアが気まずそうに立っている。
 初めて会ったとき確かフィリアは3歳だった。あれからもう6年が経つ。年齢は未だ10にも満たないがそろそろ己の在り方について悩んでいてもおかしくない。聡く、素直で優しい子だ。もしかすると、己の存在について悩んでいたことをずっと隠していたのかもしれない。

「フィリア、ここに来い」
「はい」

 フィリアが緊張した表情でにこちらにやって来る。秘密を打ち明ける気はないが、嘘をつき通せるほど器用でもない。
 どうやって納得させるか。エラクゥスは瞳を閉じて考えた。





★ ★ ★





 大広間の扉の前に立つと声がした。内容まではわからないがこれはエラクゥスのもの。
 フィリアが少しだけ扉を開くと、エラクゥスが壁に向かって話している姿が見えた。エラクゥスはたまに異世界の誰かと交信している。今もきっとそれだろう。

――それでは、失礼する」

 会話が終わったようだ。もう少しだけ扉を押すとエラクゥスが振り返った。目があって体が強張る。

「……フィリア、ここに来い」

 すぐに叱られると思っていたが、予想と違いエラクゥスの声は穏かだ。

「はい」

 扉を閉めて大広間を進む。心臓の音が大きく耳に響いてくる。
 エラクゥスの前に立ち、今度はきちんとその顔を見上げた。エラクゥスは目を閉じている。眉間の皺は相変わらず。やっぱりまだ怒っているのだろう。
 そんなことを考えていると、エラクゥスが目を開いた。先程とは違ってその表情は険しくない。

「フィリア、私と初めて会った日のことを覚えているか?」
「えっ?」

 突然の質問。思わず記憶を探ったが覚えていない。

「……ううん、覚えていません」

 そう答えるとエラクゥスが少し笑んだ。それはどこか悲しげで、傷つけてしまったのかと焦りを感じる。

「……幼かったゆえ、無理もない」 

 エラクゥスが息を深く吐いた。

「許せ、フィリア」
「え……?」
「おまえには平穏に育ってほしいと願うばかりに、寂しい思いをさせてしまった」
「……マスター……」
「明日から、魔法の修行のみ参加を認めよう」
「本当っ!?」

 興奮のあまり大きな声で訊ねると、エラクゥスが笑顔で頷いた。

「マスター、ありがとう!!」
「待て」

 早速テラたちに伝えるために大広間から出て行こうとすると、エラクゥスに呼び止められた。振り返ると、先ほどまで微笑んでいたエラクゥスは一転して真剣な表情になっている。

「よいか、フィリア。闇と戦うということはそれほど闇に近寄るということだ」
「えっと?……闇に染まるということですか?」
「闇に堕ちるという意味ではない。闇に知られるということだ」

 それがどうかしたのだろうか?
 フィリアはよくわからないまま頷いた。




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