また幾日か過ぎた。今年の梅雨は長いようで昨日も大きな落雷があった。
 テラはアクアとヴェントゥスと共にエラクゥスの前に整列していた。

「少し早いが、午前の修行はこれまでとする」

 エラクゥスの宣言で午前の修行が終了した。昼食までまだ時間に余裕がある。
 自主トレーニングでもして時間を潰そうかと考えていると、今日の昼食当番のアクアが話しかけてきた。

「……最近、修行のときにフィリアがいないわね」
「ん? あぁ。どうしても読みたい本があるって言ってたな」
「今までそんなこと一度もなかったわ――何かあったのかしら?」

 確かにフィリアはどんなに退屈だったとしても、いつも自分たちの修行にくっついてきていた。しかし、フィリアにもやりたいことの一つや二つできてもおかしくない年頃だ。何より熱中するものが出来たのならば修行中に寂しい思いをさせずにすむ。

「フィリアだってやりたいことくらいあるだろ。考えすぎじゃないか?」
「……そうだといいんだけど……」

 アクアが歯切れ悪く頷いた。表情はまだ納得していないように見える。いったい何が引っかかっているのか訊こうとしたとき、視界の端がチカリと光った。
 反射的にステンドグラスを見上げると光が様々な色を透かして輝いていた。今日はよく晴れている。
 テラがステンドグラスを眺めていると、アクアも同じように上を見て眩しそうに目を細めた。

「そういえば、もうすぐ蓮の花が咲く頃ね」
「あぁ、そうだったな――

 蓮の花。毎年みんなで愛でに行く。例年通りならもうそろそろ蕾が膨らみ始めているはずだ。
 たまには花の様子を見に行くのもいいかもしれない。去年の蓮の花を思い出しながら、そう思った。





★ ★ ★





 静電気がリングに伝っている。触れてみると、指先にピリッとした刺激が走った。
 フィリアは山道にいた。ここには修行用に吊るされたリングがいくつかある。それに向かってこっそり魔法の練習をしていた。

「んんん……雷よっ!」

 糸のようにか細い電流が生まれ、リングに吸い込まれてゆく。
 魔法を使うとき重要なのは魔力とイメージ。魔力を溜めて放つことと生まれる魔法を強くイメージすることで初めて強力な魔法が使えるのだ……と、本に書いてあった。
……そして、今自分が想像したのは梅雨の日に見たとても大きな雷だ。
 始めたばかりとはいえ、理想と程遠い出来に大きなため息がこぼれてしまう。
 魔法は、その魔法を扱える者を通せば(才能がある者に限るし、使いこなすのは本人次第だが)一応すぐにその魔法が使えるようになれる。ケアルはエラクゥスにそうやって教えられた。
 しかし、自力で学んで会得するとなるとそうはいかない。数週間、必死に書物を読み漁ってこの程度。自身に宿る魔力の扱い方はケアルで分かっていたとしても、肝心の魔法書の理解が難航していた。別に暗号で書かれているわけではない。だが、九歳の子どもが自力で理解するには難しすぎた。
 もっとわかりやすいページはないものか。フィリアは分厚い魔法書のページを捲る。

「フィリア、何をしてるんだ?」
――!?」

 後ろ――城の方角から声がした。驚きのあまり落としかけた本を急いで閉じて、背中に隠しながら振り向いた。
 そこに、真剣な表情をしたテラがいた。まだ大広間で修行している時間のはず。どうしてここに? いつからそこに? どこまで見られてしまったのか? 頭の中をたくさんの疑問がぐるぐる巡った。

「テ、テラ。今は修行中じゃ……」
「フィリア。今、何を隠したんだ?」

 テラの声がいつもより低い。怒っている。見つかってしまった。冷や汗がフィリアの頬をつたう。

「えぇっと……その……」
「……フィリア」

 静かに強く名を呼ばれた。だめだ、これ以上のあがきは無駄だろう。

「…………」

 フィリアは隠した本の表紙をテラに見せるようにゆっくりと差し出した。テラは本を見て軽く息を吐く。

「攻撃魔法の本か」
「……」 
「書庫から持ち出したのか。マスターに禁止されてることはちゃんと覚えているよな?」
「…………うん」
「気持ちはわかる。だけど、こういうことはしちゃだめだ」

 もう一度頷くと、テラが左手を差し出してきた。
 せっかく晴れたのに今日も雷が落ちるようだ。……暗雲を撒いたのは自分だが。
 雷の大きさを想像し、思わず繋いでいるテラの手を強く握った。










 楽しそうに囀る鳥の声。木の葉が風に揺れる音。
 そんな穏かな昼さがりに、大広間ではとても気まずい雰囲気が流れていた。
 フィリアは床を睨みつけていた。象牙色の床石には傷やほこりはひとつもない。
 大きなため息がひとつ。エラクゥスのものだ。テラはエラクゥスの命令で大広間から出て行った。アクアとヴェントゥスは昼食を食べているころだろう。

「フィリア。なぜ私の言いつけを破ったのだ?」

 エラクゥスが圧しこめた声で問いかけてくる。後ろめたくて声が詰まりそうだ。

「…………私も修行をしたかったから」
「おまえはキーブレード使いではない。故に、修行をする必要はない」

 ――やはり言われた。フィリアはむっとエラクゥスを見上げる。
 少しだけ理解できた本の中にはキーブレードが使えなくても闇と戦っている者達のことが書かれてあった。自分も武器は扱えないが、魔法は使える。もっと使いこなすことができればきっとエラクゥスたちの力になることができるはずだ。

「でも、魔法は使えるもの! キーブレードは使えないけど私だって戦え――
「戦ってはならんっ!!」

 言葉を遮るエラクゥスの怒声にフィリアは大きく肩を跳ね上げる。
 今まで叱られることは何度かあったが、怒鳴られることはなかった。呆然と見上げているとエラクゥスがハッとしたあと気まずそうに視線を逸らした。

「おまえがそんなことを考える必要はない。とにかく、攻撃魔法は今後一切使ってはならんぞ」
「でもマスター、私は……」
「本は書庫に戻しておくように――よいな」

 そう言ってエラクゥスが背を向けた。
 ……あまりにも一方的で、納得できるわけがなかった。
 
「……どうしてキーブレードを使えないと戦っちゃいけないの? 攻撃魔法を覚えちゃいけないの?」
「…………」

 エラクゥスは黙ったまま、振り返ろうともしてくれない。
 唇を強く噛む。目に涙が浮かんできてエラクゥスの背が歪んで見えた。……今まで、ずっと怖くて訊けなかったことがある。

「それなら、どうして私はここにいるの!?」

 叫んだ拍子に涙が落ちた。それを乱暴に手で拭って大広間の出口へ向かう。後ろでエラクゥスが呼び止める声がしたが、決して足を止めなかった。




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