ヴェントゥスが目覚めてから数週間が過ぎた。
 今日もよく晴れている。まだ春なのに、二日前からまるで真夏のように暑い日が続いていた。
 フィリアは、ヴェントゥスを連れて山道に来ていた。ここには山頂の水源から続く滝と浅い川があって、城にいるよりも涼しいのだ。
 テラとアクアはエラクゥスと大広間で修行している。ヴェントゥスは修行に参加する日を先延ばしにされていた。
 エラクゥスがそのようにした理由は、恐らくヴェントゥスが思うようにキーブレードを呼び出すことができないからだ。エラクゥスは記憶を失った影響だろうと言っていた。
 ヴェントゥスの修行を始められると判断するまで、自分がヴェントゥスの側にいるようにエラクゥスに命じられた。もうすでにアクアに誓っていたのもあり、すぐに頷いた。……それにテラとアクアが修行している間、誰かが自分の側にいてくれること――ひとりではないことも嬉しかった。
 靴を脱ぎ、揃える。川の水面を足の指先で弾くと、水滴が跳ねて太陽の光にきらきら光った。
 そのまま川に足を入れ数歩進む。さらさらと水が流れてゆく感触が足を冷たく撫でていく。こんな暑い日にはとても心地よいものだった。

「冷たくて気持ちいいよ。ヴェンもおいでよ!」
 
 岸辺で水面を見ていたヴェントゥスも頷いて、先ほどの自分のように靴を脱ぎはじめた。
 ヴェントゥスは自分の意思で行動したり発言することを一切しない。話しかけても頷く程度の反応しか返さないし、指示をされると素直に従う。いつも無表情で笑顔すらまだ誰も見たことがなかった。
 ヴェントゥスが恐る恐る川に片足を入れようとしている。水に足の指先が触れるとびくりと肩を跳ね上げた。驚いている姿が新鮮で笑みがこぼれる。「大丈夫だよ」と声をかけると、少しの間のあと、今度こそ足を水の中へそろりと入れた。流れる水の感触が珍しいようで、川に立つと戸惑ったようにこちらを見た。

「ね? 気持ち良いでしょ?」

 ヴェントゥスが小さく頷く。
 フィリアはヴェントゥスに近寄って、その片手を握り自分の方へ少し引いた。

「ねぇ、ヴェントゥス。こっちに来て」

 ゆっくり歩き出すとヴェントゥスがよろけながらついてくる。すぐに目の前、水面にたくさんの葉が浮いている場所にたどり着いた。

「見て。ここはね、夏になると蓮の花が咲くんだよ」

 蓮の葉のが集まっている箇所を指すと、ヴェントゥスも大人しくそこを見る。

「蓮の花って、ほとんどが朝から昼すぎまでに咲くんだって。でも、ここで咲く蓮は夕方から夜に咲くの」

 ヴェントゥスに説明しながら、フィリアは去年見た蓮の花を思い出した。
 蓮の花は不思議なことに3日しか咲かず、4日目には散ってしまう。星空の下水面に咲く蓮の花は、その儚さも相まってとても美しいものだった。

「すごく綺麗なんだよ。咲いたら一緒に見に来ようね」

 ヴェントゥスがこちらを見て頷いた。嬉しくなって、いつもより蓮の花が咲くのが楽しみになった。

 








 幾日か経った。昨日の夜から雨が降っている。どうやら梅雨が始まったようだ。雨水が窓を叩き、パタパタという音が部屋に響く。
 いつも外でばかり遊んでいたので、ヴェントゥスと屋内で遊ぶのは初めてだ。フィリアは自室を軽く見回す。フィリアの部屋にあるものは、机に本棚、何も入っていない鳥かごくらいだ。
 本棚には、エラクゥスとアクアから譲り受けた童話がたくさん収納されている。記憶がないのなら、ヴェントゥスにとってどの物語も初めてだろう。

「ヴェンは、どんなお話が好き?」
「…………」

 扉の前で立ちすくしていたヴェントゥスがこちらを見たが、やはり何も答えない……いや、わからないようだ。
 本棚から適当に一冊を選び取り、ヴェントゥスと共に床に座る。表紙を開き、二人で読めるよう表紙の片方をヴェントゥスに持ってもらった。

「これは“北風と太陽”ってお話だよ。私が読むから、ヴェンはページを押さえてね」

 ヴェントゥスが頷くのを確認して、本に綴られた文字を言葉でゆっくり追い始めた。

「『ある日、北風が、太陽に力自慢をしていました』」

 ゆっくり読みながらヴェントゥスをチラリと見ると、挿絵の太陽を珍しそうに見つめている。

「『北風と太陽は、どちらが先に旅人のマントを脱がすことができるか勝負をすることにしました』」

 ヴェントゥスは相変わらず、無口だし無表情。ひとりでいると、ぼーっとどこかを眺めている。

「『北風は旅人に強い風をふきつけました。しかし、風が強くふくほどに旅人はマントをしっかり抑えてしまいます』」

 でも最近、なんとなくだがヴェントゥスの気持ちが分かるようになってきた。

「『北風はついに旅人のマントを脱がすことができませんでした。次は太陽の番です』」

 毎日、少しずつ何かが変わってきている。目には見えないけれど、確かに感じる。

「『太陽が燦燦と旅人を照りつけると、ついに暑さに耐えきれなくなった旅人は――』」

 ――きっと、もうすぐ。
 フィリアは最後のページを捲った。





★ ★ ★





 足元の岩から砂が欠け落ちて、風に巻きあげられていく。
 ヴァニタスは己の何倍もの大きさがある岩の上で片膝を抱えて座っていた。
 ゼアノートが闇の回廊でどこかに行ってしまったので、今この荒野にいるのは自分ひとり。特にやることもなく、ただ退屈な時間だけが流れていた。
 闇の回廊くらい自分だって簡単に出せる。だが「まだ他の世界には出るな」と禁止された。
 こんなところでひとりで出来ることなど限られている。ハートレスと闘うのはつまらないし自己鍛錬などする気はない。魔物を生み出し、消すのももう飽きた――残っている選択肢はヴェントゥスを感じることだけだ。ゼアノートの命令と余りある退屈な時間のせいか、ヴェントゥスの心を覗くことに対して前ほど抵抗を感じなくなっていた。
 もしかすると、それこそがゼアノートの狙いだったのかもしれない。そう思ったら応じるように魔物が地面から飛びだした――すぐに消す。
 ヴェントゥスの心は未だしっかりとしていないが、それでもいくつかわかったことがある。
 ヴェントゥスは強い光が溢れてる世界に預けられていること。共に住んでいる者達にまるで割れ物のような扱いを受けていること。あと、ヴェントゥスの心が日を重ねるごとに少しずつだが変化をしてきていること。
 現在自分のキーブレードを満足に呼び出すこともできないヴェントゥスは、キーブレードを使えないフィリアという少女といつも一緒にいる。
 あの緑色の光はフィリアが唱えたケアルだったことが判明した。フィリアに対し戦闘方面の興味は全く持てないが、なぜフィリアのケアルがヴェントゥスの心に強く響いたのか気になった。
 目を閉じてヴェントゥスへと意識を集中させると、すぐに光の心を感じる。
 今、ヴェントゥスはフィリアと本を読んでいる。どうやら物語のようだ。ヴェントゥスを通し間接的になら内容を知ることができる。
 子ども向けの童話などに興味はないが、他にやることもない。暇つぶしに聞いてやることにした。




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