フィリアは、また人気のない廊下にきていた。
 魔法の光で体の痛みが癒えてくる。服についた氷も溶け、汚れも綺麗に落とすことが出来た。

「はぁ……」

 落ち込みながら、抱えた膝に頭を乗せる。
 せっかくのチャンスが、ヴェントゥスに心配をかけ、助けられ、怪我をさせ――何も得ないまま終わってしまった。

「私、まだ戦えたのに。約束したのに。……ヴェンは信じてくれなかったんだ」

 恨み言を呟きながらも、本当はわかっている。ヴェントゥスにそうさせてしまった程度の実力しかない、自分の弱さが悪いのだ。こんな調子では強くなれない。お守りを取り戻せない。誰も、何も守れない――

「そんなの……!」
「うおっ!?」

 考えを振り払おうと勢いよく立ち上がったとき、すぐ側で男性の悲鳴が上がった。少し視線を下にずらせば、目の前に黒髪の青年がしりもちをついている。見たことのない顔だ。

「だいじょうぶですか?」
「あ、ああ。あんたがいきなり立ち上がったから、ビックリしただけ」
「やっぱり……ごめんなさい」

 手を差し出そうとする前に、青年は足で反動をつけて立ち上がった。

「落ちこんでると思ったら、案外、元気そうだな」
「君は……?」

 親しげに接せられ困惑する。この青年とは初対面のはずだ。青年はこちらの顔を覗き込むと「あれぇ〜?」と間抜けな声をだした。

「もしかして、俺のこと覚えてない? 二回も会ったはずなんだけど」
「えっ?」

 言われて、慌てて記憶を探る。
 明るく、人懐こそうな笑顔。背丈は自分より頭ひとつ分程高く、深い青の服の背にはシンプルな長剣が収められている。
 そういえば、最近、似た感じの人に会ったことがあるような……?

「ああ、コレがないからか」

 思い出したように、青年が落としていたものを拾った。顔のほとんどを覆い隠してしまう鉄の兜。

「あっ、フィルさんにコーチをお願いしてた……!」
「当たり。ザックスだ。よろしくな」
「私、フィリア」

 ヘラクレスの時と同じように握手をすると、気を遣われていると分かる強度で握り返された。思った以上に、優しい人なのかもしれない。

「それで、ザックス。私に何か用だった?」
「いや、偶然通りかかっただけだけど、女の子がひとりで泣いていたら、未来の英雄として放っとくわけにはいかないからな」
「なっ……泣いてなんか!」

 念のため、目元を素早く擦っておいた。
 ザックスが、兜を持ち直す。

「惜しかったよな」
「え?」
「闘技大会だよ。いい線いってたと思うぜ」
「あぁ……もし私が勝っていたら、今頃、ザックスと試合していたかもしれないね」
「ま、俺としては、女の子と戦わずに済んでほっとしたけど」

 むかっ。

「……ザックスも、私みたいな相手は戦いにくい?」
「ん〜、相手がちゃんと剣とか持っていれば別だけどさ。丸腰相手に怪我させちゃ悪いだろ」

 むかむかっ。

「魔法は使えるし、怪我なんて治せばいい。それに、痛い思いをするのはお互いさまでしょ?」
「そうだけど、もし泣かせちゃったらかわいそうだし――

 むかむかむかっ。

「女の子とは、戦うより、守ってやるほうが英雄っぽいかな」

 ぷちっ。

「弱いもの扱いしないでっ! 私だってヴェンを――
「ヴェン?」

 はっとして口を噤む。ヴェントゥスとのことは、ザックスには関係ないのに。
 八つ当たりになってしまったことに後悔しつつ、どうすればいいものか迷っていると、驚いていた顔をしたザックスが、半目の怪しげな眼差しで「ははーん」と声をあげる。 

「ヴェンって、一緒にいたあいつのこと? ひょっとしてケンカしたのか?」
「…………」

 確信をもった質問。はっきりと否定できなかった。

「なーるほど。だからこんな場所で拗ねてたのか」
「……からかってる?」

 本気で悩んでいるというのに、面白がられては腹が立つ。軽く睨みつけると、へらっとした笑みを返された。

「悪い、悪い。てっきり、失格のせいで落ちこんでるのかと思ってたからさ」
「失格のことは、もういいの。闘技大会に参加したのは、優勝したかったわけではないから」
「へぇ? じゃあどうして参加したんだ?」
「参加すれば、私も強くなれるとって思って……結局、助けられちゃったけど」

 肩を落とすと、ザックスが励ますように言ってくる。

「あれだけの数相手に、あそこまでがんばれたんだ。誇っていいと思うけど?」
「そうじゃなくて、ヴェンに助けられたことが問題なの」
「どうして。友達を助けるのは当然だろ?」
「いつも守ってもらってばかりなんだもの。これじゃあ、ただの足手纏いだよ……」
「う〜ん」

 ザックスが腕を組み、思案顔でしばし唸った。

「そう思っていること、ちゃんとあいつに伝えてる?」
「……? ううん」
「あのなぁ。そういうことはちゃんと言っておかないと、あとで後悔するんだぞ」

 呆れ顔をするザックスに、再び苛立ちを感じてくる。事情をよく知りもしないくせにと、煩わしい気持ちで見返した。

「大切だからこそ、言えないこともあるでしょう? これ以上、ヴェンに迷惑かけたくないの」
「ふぅん。このまま、仲直りできなくてもいいのか?」

 問われて、その未来を想像してみる。そもそもヴェントゥスとはケンカ自体をそれほどしないが、仲直りしないケンカなど経験がない。

「……ずっと仲直りできないと、どうなるの?」
「え。そりゃあ……口をきかなくなったり、顔を合わせなくなったり、嫌いになったりするんじゃないか? たぶん」
「ヴェンに…………嫌われる……」

 目から鱗だった。ヴェントゥスに嫌われるだなんて、自分がヴェントゥスを嫌う位にありえないことだと思っていたのだ。

「お、おい。フィリア?」
「どうしよう……ヴェンに嫌われたら、私……」

 どうしていいかわからない。
 答えを求めるようにザックスを見上げると、彼は非常にうろたえていた。

「だいじょうぶだって。友達を、すぐにそこまで嫌わないだろ?」
「でも、私、ヴェンを責めるようなことも言った」

 情けなくて、恥ずかしい。信じてくれないと責めながら、実はその信頼に甘えきっていただなんて。

「もう、ヴェンに会わせる顔がないよ……」
「ああ、もう、そんなに思いつめるなよ。ちゃんと仲直りできるように、俺が協力してやるから!」
「ザックスが?」
「ああ。ほら、行こうぜ」

 力強く頷いて、ザックスが手を差し出してくる。フィリアは、おずおずとその手をとった。




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