トレーニングが終わり、いよいよ闘技大会が始まる。ヴェントゥスはヘラクレスと共にロビーで待機していた。
 待っている間も、ヘラクレスの英雄を目指す理由・自身の旅の目的を話し合い、とても充実した時間だった――のだが。予想以上に過ぎてゆく時間に比例して、気持ちは焦燥に塗り替えられていった。しきりに扉を気にしていると、隣でヘラクレスが苦笑する。

「フィリア、まだ来ないね」
「……うん」
「さっき、何があったのか訊いてもいい?」

 頷いた後、視線を扉から離し己の掌を見た。テラに比べ、あまりに小さく頼りない。

「俺……今までフィリアにムリさせてきたのかもしれない」
「ムリ?」
「旅に、ずっと付き合ってもらってるんだ」

 自分の旅に、フィリアの存在は必須ではない。初めはほとんど成り行きのようなものだったけれど、今はただ側に居てほしいという願望のために連れまわしている。――フィリアは、自力で帰れないのに。

「はじめは、危ないことがあっても俺が守ればいい。そう思っていたんだけど……」
「さっきの広場での戦いでも、ヴェンはフィリアを守っていただろ?」
「“そのつもり”だったんだ」

 深い傷を負っていたことを知らなかったこと。気付いても詳細を隠されたこと。

「俺って、そんなに頼りないか?」

 悔しくて、もどかしい気持ちに苛まれる。フィリアにとって自分はどんな存在なのか。今まで一緒にいた時間は一体何だったのか。信頼し合えていると思っていたのは自分の方だけだったのか。
 少しの沈黙の後、ヘラクレスからくすりと笑う気配がした。

「ヴェンは、フィリアが大切なんだね」
「えっ?」

 まるで心臓を握られたかのような錯覚にぎくりとして顔をあげる。ヘラクレスはとても優しく微笑んでいた。

「そういうの、なんだか羨ましいな」
「何言ってるんだよ。大切なのは当たり前だろ、友達なんだから…………」

 言っていて、自分の言葉に違和感がした。どこかかみ合いきれてないような、はまりきっていないような微妙な齟齬。それに首を捻っていると、ヘラクレスが囁いてくる。

「ここって人が多い分、変なヤツも混じってるんだ。もし、何かの事件に巻き込まれていたら大変だよ」

 ――変なヤツ?

「そういえば、前にも……」

 思い起こされる、白いマスクに赤マント、キメ台詞まで思い出す前に立ち上がった。

「俺、ちょっと探してくる」
「うん。僕は、入れ違いにならないようにここで待ってる。開幕までには戻ってきてね」
「頼む――あっ」

 ドアノブに触れた、ちょうどそのとき。扉が勝手に開きだし、その向こうにいたフィリアと目が合った。

「フィリア!」
「……遅く、なっちゃった……」

 フィリアが曖昧に笑う。
 無事に会えたのは嬉しいが、どんな顔をするべきなのか――とにかく気まずい。どうやらフィリアも同じようで、視線を横へ下へと動かしている。
 かける言葉を捜す微妙な空気の中、それを破ったのはヘラクレスの明るい声だった。

「フィリア、迷子になったんじゃないかって、ヴェンと心配していたんだよ」
「ごめんね。……ちょっと、いろいろあって」
「あれ? その手に持ってるのって、もしかして」

 ヘラクレスの質問で、自分もフィリアの手にある紙きれに気づく。フィリアは紙をこちらへ見せ付けながら頷いた。

「闘技大会のエントリーチケット。私も、闘技大会に参加するの」
「えええぇっ!?」

 これは「やはり」と言うべきなのだろうか。フィリアが困った顔で見上げてくる。

「ヴェン、ごめん。チケット、一枚しかなくて……」
「それはいいんだけど――どうしてエントリーできたんだ? フィルは、もういっぱいだって言ってたのに」
「親切な人が、譲ってくれたの」

 そこで、ヘラクレスがフィリアのチケットを見た。

「僕と同じ、西ブロックだね」
「うん。ハークとの対戦は、西ブロックの決勝戦かな」
「フィリアの方が、先にあの人と戦うのか」

 その時、ちょうど呼ばれたかのように、兜の青年とフィルが控え室にやってきた。青年は自分たちとヘラクレスとの間に並び、フィルは向かい合うように立つ。

「集まっとるな。では、闘技大会の説明をする。この大会は西と東、二つのブロックに分かれて行われそれぞれの勝者が戦って優勝を決めるんだ」

 勝ち抜き試合。一度でも負けたらおしまいだ。

「お前達は西ブロックにエントリーしている。先に始まっている東ブロックでは、えらく強い参加者がいて、すごい勢いで勝ち進んでいるらしい。お前達もがんばるんだな」

 フィルの一言で、ヘラクレスたちの表情が引き締まる。
 “えらく強い参加者”――。果たして、どれほどの実力なのか。

「どんな人なんだろう?」
「きっと頑固で、厳しくて、眉間に皺が寄ってる人かも」
「それって、マスターのこと?」

 呟きに答えてきたので訊ねると、フィリアは嬉しそうに頷いた。

「私が知ってる中で、一番強い人だから」
「確かに、マスター程の人なら簡単に勝ち進めると思うけど……」

 それほどの強者なのだとしたら、フィリアが敵うとは思えない。

「フィリア、やっぱり参加しないほうがいいよ」
「……応援してくれないの?」
「うっ――

 しょんぼり見上げてきたフィリアを見て、思わず赤面し、言葉を失う。どうしてこんなことで心臓が早鳴り戸惑うのか、自分にも混乱した。

「無理だと思ったら、ちゃんと棄権するって約束するから。おねがい」
「…………わかった……」

 仕方なく、しぶしぶ頷く。傷痕のことを追求しないことで気まずさは和らだが、心配ごとは増えてゆく一方だ。

「ヴェン、フィリア。行くよ!」
「おう」
「うん」

 いつの間にか先に行っていたヘラクレスの呼び声に、ヴェントゥスたちは試合会場へ走り出した。




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