裏切られた苦しみ。信じてもらえていなかった悲しみ。負の感情が渦巻く中、テラは水路を歩いていた。
「エラクゥスは決して闇を認めない」
試験に落ちたあの日、マスター・ゼアノートが言っていた。
「このままエラクゥスの元で修行を続けていてもマスターになれるかどうか」
確かに自分は魔女の魔法に唆され、オーロラの心を奪ってしまった。でもそれは自分が未熟だったせいであり、闇を抑える力を手に入れたとき、必ず贖えると考えていた。
「私は、おまえを実の息子のように思っている」
あの言葉の裏で、自分が心の闇を抑えることができないと――闇に堕ちると思われていたのだろうか。分からない、信じられない。
「もう俺が頼れるのは、マスター・ゼアノートだけだ」
そう思ったときだった。
「あんたがテラだな?」
声がした方を向くと、赤いスカーフを首に巻いた痩せ型の男がいた。年齢は20代半ばを過ぎあたりか。この世界の住人のようだが、ここで自分の名を知る者は限られているはずだ。
テラが観察していると、男は口端を吊り上げながら話しだした。
「じじいがあんたを連れて来いってうるさいんでな。わざわざ招待しにきてやったってハナシだ」
「何のことだ?」
「ハッ、反応わりぃ奴だな。ゼアノートってじじいのことだ。俺が預かってる」
テラは僅かに目を細める。確かにこの男、多少腕は立つようだが、仮にもキーブレードマスターであるゼアノートを捕らえられるような実力があるようには感じられない。
「もっとましな嘘をつくんだな。マスター・ゼアノートがおまえのようなものに囚われるはずがない」
これで化けの皮が剥がれるかと思いきや、男は喉で低く笑った。
「嘘かどうかはおまえの目で確かめるんだな。じじいは城外庭園の地下に閉じ込めてある。俺のしびれが切れる前に来てくれよ。じゃあな」
ひらひらと手を振りながら、男はのんびり去っていった。実に胡散臭い。何を狙っているのかも謎である。しかし、あの男が捕らえているのがゼアノートでもゼアノートではなかったとしても、本当に誰かが捕まっているのならば放っておくわけにもいかない。
「まさかとは思うが……確かめてくるか」
決断すると、テラも男が去った方向へ歩き出した。
★ ★ ★
フィリアはアクアと一緒に住宅街まで戻ってきた。未だにテラにもヴェントゥスにも追いつかない。
あの家の前にさしかかった時、またマーリンが立っていた。アクアを見て疲れたように息を吐く。
「お主で3人目じゃ」
「え?」
「やれやれ、面倒な本を預かってしまったわい」
アクアが問おうとすると、マーリンが先に言う。
「わかっておる。心の中の能力を目覚めさせる本は家の中にあるからな、好きに見るといい」
また一方的に言い残し、マーリンは家の中へ戻っていった。
「今のは?」
「マーリンさん。偉大な魔法使いなんだって。さっき、ヴェンにも同じことを言ってたよ」
「へぇ……。無視するのも悪いし、とりあえず行ってみましょうか」
アクアが扉に手をかける。生活感に溢れる部屋は分厚い本だらけで、あちこちに積み上げられていた。
「おまえさんはすぐに来たか、感心じゃの。本はあそこじゃ」
白いカップを持ち上げながら、マーリンが部屋の奥を指す。その先に一冊の絵本が置いてあった。
「お借りします」
アクアが本の元へ向かう。待っている間、自分はどうしようか考えていると、マーリンに手招きされた。
「待っている間、紅茶でもどうじゃ?」
「あ、はい。いただきます」
厚意に甘え、もうひとつのイスに着席する。マーリンの魔法でポットやスプーンが動き出し、カップに琥珀色の紅茶が注がれた。砂糖とミルクを入れて差し出された紅茶をひとくち飲むと、上品で甘い香りと味に頬が緩む。
「とってもおいしいです」
「ほっほっほっほっ、ワシが長年愛している味じゃからな」
「あの、マーリンさん。ヴェン……さっき、私と一緒にいた男の子は来ましたか?」
「おまえさんたちと入れ替わりになったがの。ついさっき見送ったところじゃ」
「そうですか」と答えながら、フィリアはもうひとくち紅茶を飲んだ。本のページを捲る音が聞こえてくる。
「アクアが読んでいるのが、“心の中の能力を目覚めさせる本”なんですよね?」
「うむ。ワシのものではなく、預かったものなんじゃが……必要とする者に使ってもらうほうがいいと思ってな」
紅茶の香りを楽しみながらマーリンがカップを傾ける。
ヴェントゥスとアクアが必要とするもの――。フィリアはカップをソーサーの上に置いた。
「あの本、私も読んでいいですか?」
「おまえさんが?」
マーリンが片眉を上げてフィリアを見た。カップを持たない手でたっぷりとした髭をなではじめる。
「おまえさんには勧められんの」
「えっ、どうして……?」
「必要とする力は人それぞれじゃ。今のおまえさんにあの本は必要ない」
頭の中で、ガーンという音が聞こえた。
アクアが本を読み終えたので、マーリンに礼を言い外に出た。あの後、おいしかったはずの紅茶はショックでとても楽しめなかった。
偉大な魔法使いに見込まれて、ヴェントゥスとアクアはあの本を読むことを許された。二人はキーブレード使いだから? 強いから? やはり、自分には目覚めさせるほどの価値がない?
「フィリア? ずいぶんと暗い顔をしているけど、何かあったの?」
目線を合わせるようにアクアが顔を覗き込んでくる。澄んだ湖のような青い瞳に情けない顔をした自分が映った。
「アクア。私、どうしたらアクアみたいになれるのかな?」
「私みたいに?」
訊ね返しに「うん」と頷く。
「私ね……弱いの。旅の間、いつもヴェンの足をひっぱってばっかりで、庇ってもらって。ヴェンを守らなきゃいけないとき、なにもできなかった」
後ろに隠れているだけではなくて、もっと頼りにされたいし、役にたちたい。なのに現状は後について回るのが精一杯で、迷惑をかけてばかり。悲しくて悔しかった。
アクアが穏やかな声で言う。
「フィリア、あなたはそんなこと考えなくていいの。マスターだって、あなたに強くなれだなんて一度も言わなかったでしょう?」
「そうだけど……私、守られるだけなんていやだよ。私だってみんなのことを守りたい。そのために、アクアのように強くなりたいの!」
訴えると、アクアは哀しそうに目を伏せた。
「私だって強くなんかないわ……。マスターに認めてもらえたといっても、まだまだ修行中の身だしね」
「でも、アクアはひとりで戦ってる。私、ひとりのときに怖くて動けなる時があって……」
まるで呑みこまれるようなあの恐怖。アンヴァースと戦っているときやヴェントゥスが側にいたときは平気だったが、ルシファーやマレフィセントと戦ったあの瞬間、体が竦み何も考えられないときがあった。
「相手に圧倒されてしまうのは仕方のないことよ。それは、実戦で慣れるしかない」
「慣れ、なの?」
「そう。力だけじゃなくて、心も強くならないと。だいじょうぶ、敵意を向けられて怖いのはみんな同じよ」
「……わかった。アクア、ありがとう」
フィリアは顔を上げて頷いた。
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