THE 6th DAY
ナミネの尽力により、予定よりも早く回復が終了しそうだ。
本来ならば、ロクサスは夏祭りの終わりと共にソラへ戻るはずだった。夏祭りのデータと、ディズが企てたソラが目覚めた後のための計画データを眺め、重い息がこぼれた。
「心などないはずなのに」
ソラの回復が自分の存在意義であるはずで、喜ばしいことなのに、どうしてか気が重い。
日増しに強い配下ノーバディたちが送りこまれており、手に負えなくなってきた。仮想世界がパンクしそう。機関もいよいよ本気のようだ。どうしても光の勇者の復活を阻みたいらしい。
もうすぐロクサスがソラの夢から覚める時間だ。時計台の上へ座標移動すると、もはや用済みとなったトワイライトタウンの住民データたちがオートで動いている様子がよく見えた。ただ現実世界の様子を映しているだけのため、もう彼らはデータ世界にのみ存在する者を認識できないし反応もしない。だから表示しなくてもいいのだが、
「ロクサスへ、この世界の終わりを告げるため」
というディズの余計な気遣いにより、まだ残されていた。
ロクサスたちとアイスを食べた場所に座る。現実世界と同じ夕日からの強い光に目がくらんだ。
「また、シーソルトアイスが食べたかったな……」
あと一日を残して、この夏休みは終わる。
「フィリア。おまえの役目は終了だ。あとはノーバディを排除し、完遂を待て」
「はい」
ディズの命令に従い侵入してくるノーバディたちと戦っていたが、コピーによるロクサスの監視は続けていた。
ロクサスが落ちこみながらいつもの場所から出てきた時、彼の目の前にアクセルが現れた。もはや連れ戻そうとせず、消滅させるとロクサスに伝えている。ロクサスが下級ノーバディたちと戦っている間にディズから命令が飛んできたため、アクセルと戦う寸前でロクサス以外の世界の時間を停止させた。もはや用済みと言い捨てたくせに頼るのか――身勝手なものだ。
ロクサスが十分離れたのを見計らいアクセルの硬直を解くと、彼は悲しそうに空を見上げた。
「俺の知っているロクサスはもういない――ああ、わかったよ」
「アクセル」
剣呑な雰囲気をしたアクセルの前に出現すると、殺意まじりの視線を向けられる。
「おまえか。俺を排除しに来たのか?」
「いいえ」
「――なら、あっちに行けよ」
低い声で吐き捨て、スタスタ歩きはじめたアクセルの後をついてゆくとすぐに「なんだよ」と気にされた。
「ロクサスの行く先を知っているのですか?」
「別におまえに心配されなくても、ノーバディたちに探らせてる。すぐに見つかるさ」
「私が連れて行ってあげます」
「どうしておまえが」
「騙して時間を稼ぐつもりか?」と言いたげな眼をまっすぐ見上げた。
「おまえの主人はあいつなんだろ?」
「私はもう、あの方にとって用済みです」
最低限のノーバディの排除はコピーが続行している。もはや終了を待つだけの身。少しは勝手にやらせてもらおう。
アクセルはなおも怪しんでいた。
「だからって、俺を手助けしていいのかよ」
「残り僅かな時間だけでも、私の考えで本当にロクサスのためにできることをしてあげたい」
アクセルの眉がぴくりと跳ねた。
「あなただって、さっきの会話がロクサスとの最後なんていやでしょう?」
「俺は、ロクサスを消せと命令されているんだぞ……」
「……どんな結果になろうと、納得のゆく別れにすべきです――あなた方は親友なのだから」
ナミネの仕掛けにより、残りの時間でロクサスが彼自身の記憶をどれだけ取り戻せるかは未知数――それでも、ロクサスを親友に会わせてあげたかった。たとえ戦うことになったとしても。
すでに屋敷の中でさえノーバディたちがのさばっているが、メインコンピューター周辺はまだ無傷。ロクサスが屋敷に入ってナミネたちと話している間、ディズの意識はそちらにある。アクセルを案内する絶好のタイミングだった。
座標を伝えると、アクセルが通信をし、相手を「サイクス」と呼んだ。そのサイクスの手腕によりすぐに奥の部屋に通じる回廊が強引に開かれる。無理やりこじ開けたせいで、データの世界が狭間の世界と奇妙な形でつながってしまった。強い闇を発しており、消去できない。
「まもなく、ここにロクサスが来ます」
「――この先に、ソラがいるのか」
アクセルが、最深部への扉を見やった。
「はい。……いまさら現実世界の屋敷にノーバディを差し向けても無駄ですよ。現実世界のセキュリティはまだ生きていますから」
――それだって、ソラが目覚めたら停止するのだが。
データの世界はすぐに発見されたものの、現実世界はいまだ無傷で、ソラたちは健やかに眠っている。
ロクサスが書庫へ入った。ここへもすぐに来るだろう。踵を返し、隣の部屋へ移動する。
「じゃあ、私はこれで」
アクセルが振り向いて、目を瞬かせる。
「おまえはこの後、どうするんだ?」
「機能停止の後、消去されるので、それまで暇つぶしでもしています」
「……そうか」
アクセルは、なんて声を掛けたらいいのか迷っている顔をしていた。数日前なら「ノーバディの同情のフリ」と判断していたと懐かしく思う。
「フィリアのデータにあった通り、やっぱりあなたは優しい人なんですね」
「俺は、別に……」
言いよどむアクセルに笑いかける。
「さようなら、アクセル」
フィリアの姿でも見ていようと思い、彼女のポッドの前へ向かう。
容姿だけは瓜二つ。細い蕾の中で、おやゆび姫という童話のように眠るフィリアの姿を鏡を見る気分で見つめる。実際、鏡役はこちらなのだが――そこまで考えて苦笑した。
フィリアの寝顔は安らかで、記憶による混濁、自我喪失、発狂しかけていた者とはとても思えないほど状態も落ち着いている。あのレプリカの記憶が抹消されたおかげで持ち直したらしいと記録されているが、ナミネはそのレプリカのことをよく覚えていないらしい。心と記憶は密接で、複雑で、かくも非科学的である。
つまらない考えに耽っていると、ロクサスがデータの中のメインコンピューターを破壊していた。現実世界の自分の本体――このデータの世界では特に意味がない存在だが、彼の手によって壊されたことは一方的な贖罪のように感じた。
ロクサスとアクセルと対峙し、戦いの音が始まる。燃え盛る業火の音と破壊の音、崩壊の音、何度か刃が弾きあわせる音がして、最後に大きな音がひとつ。その後、唐突に静かになる。
しばらくの静寂の後、扉が開く気配と共に服の端を焦がしたロクサスが姿を現した。すべての記憶を取り出した青瞳は怒りと悲しみ、そして強い憎しみで燃えていたが、こちらに気づくと一瞬でそれらが凪ぐ。
「――フィリア」
「ロクサス」
ロクサスのことはコピーを駆使してずっと見守ってきたのに、ずいぶん久しぶりの再会に感じた。ロクサスはこちらへ歩み寄る間にポッドの中の者たちに気づき目を丸くする。
「ドナルド――グーフィー――?」
そして。
彼女を見て、ロクサスはハッと息を吸う。
「フィリア……?」
呟いた後たっぷり七秒間見つめ続けてから、ロクサスは初めて会ったような目つきでこちらを振り向いた。
「きみは――フィリアじゃ、ない?」
もう、彼との友情ごっこもおしまいか。
偽りの関係へ名残惜しさを感じながら、そうだと頷いた。
「私はディズ様が作り上げたシステムの一部。フィリアのデータをもとに作られた存在」
「フィリアの、データ?」
百聞は一見に如かず。指を鳴らして己と同じ姿をしたコピーデータを量産、すぐに消した。
「今のは私のコピーデータ。これらを使って侵入してくるノーバディを排除していました」
呆気にとらわれているロクサスへきちんと向き直る。
「私はソラとロクサス。ふたりと深く関わった存在であるフィリアの姿を借りて、ソラの記憶の回復をサポートするために作られました」
「きみは、あいつの仲間だったのか」
「はい。私はディズ様が作り出した道具です」
ロクサスがあからさまに嫌そうにかぶりを振った。
「その喋り方、やめてくれよ。いつも通りにしてくれ」
いつも通りとは――フィリアとして? それともフィリアの偽物として?
「ナミネやあの人と同じことを言うんだね」
己の思考の変化を感じる。フィリアの偽物なのに、それが嫌だと思うなんて。
ロクサスは困ったように眉根を寄せた。
「フィリア。俺、これからどうなるんだ?」
「ナミネが言ったとおり。君は、元に戻るの」
「俺は、消えるのか?」
「君の肉体という意味なら、否定。君の意思という意味なら、肯定」
ロクサスの表情が一段と暗くなる。
フィリアなら何て言葉をかけるだろう。
電算システムをフル稼働して、彼にかけるべき言葉を検索する。
メモリーに残らぬよう、ロクサスの耳元に顔を寄せて囁いた。
「ノーバディはいずれ消える運命の、心を持たない、存在しない者。だけど――」
七不思議を探した日。サイファーが言った言葉を思い出す。
「ロクサスは、ただその運命に従うの?」
「――え?」
間近でロクサスのまつ毛が瞬くのを眺める。
「それに、本当に存在してはいけないのはバグを起こした私の方」
いつまでもロクサスを引き留める存在に気づいたディズが“私”を終了することにしたようだ。ユーザーの望みに従い姿が透け始める。
「フィリア!?」
気づいたロクサスが手を伸ばしてきて、その手が体を素通りした。もう彼に触れることもできない。
「ノーバディには心がない。それが、私に打ちこまれた情報だった」
「フィリア、体が……」
残り時間はおよそ二十秒。もはや届くのは言葉と気持ちと願いだけ。
先ほどコピーが聞いていた、ロクサスとナミネが交わした会話を思い出す。ナミネはディズに取り押さえられようが、必死にロクサスへ約束を取り付けようとしていた。理由を検索――ナミネの秘匿データ。ジミニーメモへ押しこめてある。ソラとナミネの約束の会話記録を発見する。
「ナミネが言ってた。『約束が、ふたりを結ぶ光になる――』って」
繋がる相手がいれば。思ってくれる相手がいれば――それは導きとなる。だから、たいせつな人と交わした約束が光となって、いつかロクサスを導いてくれますように。
「約束を、忘れないで……」
残り五秒をきった。強制終了の影響で髪が揺れる。
本当は、最後まで一緒にいたかったけれど。
「さようなら。ロクサス」
「待って!」
ニセモノ。裏切り者。彼にはこちらを罵る権利があった。なのにそんな悲しそうな顔で呼び止めてくれるなんて。
ああ、ロクサスと過ごせた六日間のうちのとても短い間だったけれど、彼と過ごせて楽しかった。
「大丈夫。これからは、本物のフィリアが一緒だから――」
ロクサスの悲しそうな顔を見つめながら消えてゆく。
システムとして生まれ、役目を完遂できたことは幸い。ユーザーの役に立てたことは幸い。けれど、ロクサスを不幸にする結末なら、こんな幸せいらなかった。
「フィリアこそ、ただその運命に従うの?」
消滅の最後の瞬間、ナミネの声が確かに聞こえた。
R5.5.11
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