はじめてエラクゥスたちと出会った教室の扉。ここから帰るのが相応しい気がした。
ポケットから黒い駒を取り出し、祈るようにつぶやく。
「私を元の場所へ帰して」
駒が輝き、扉も同調して光りはじめた。
つばをひとつ飲みこんでからゆっくりと扉を開くと、中はまばゆい光であふれていて目を開けていられなかった。でも進まなくちゃ。ろくに前も見られないままとにかく足を動かし続けると、光の隙間に存在する見えない闇から何かが流れこんでくる――。
「どうしてもキングダムハーツを開くのか」
声がしてパチッと目を開く。唐突に試練の塔の中に立っていた。
そこには背がうんと伸びて立派な青年になったエラクゥスがいた。彼の視線の先には同じく成長し、前髪をあげて大人びたゼアノートの姿。どちらもキーブレードを握ったままで剣呑な雰囲気である。彼らはこちらに気づかない。まるで幽霊のように少し離れた場所から彼らを見ていた。
これはいったい? 駒が見せている、自分が去った後の世界――?
「それ以外ない」
ゼアノートからのそっけない回答に、エラクゥスが眉根を寄せる。
「キーブレード使いの志はどうした」
「だからこそ、世界の守護者として、実行せざるをえない」
きっぱりと言い切る彼へ、エラクゥスは寂しそうな表情になる。
「共にマスターとなってから、この1年で何があった」
「正統後継者はおまえだ」
「おまえが引き継いだキーブレードは、ロストマスターの時代から受け継がれる最古の一振り、その歴代マスターたちの心をも引き継いだんじゃないのか!」
まくしたてられても、ゼアノートは顔色ひとつ変えない。
「この地に来て9年、ずっと考えていた。世界を救済する真の意味を。1年で辿りついた答えではない……」
「キングダムハーツを開くことが? 触れることすら禁忌だとされているのに、なんの確信があってそんなことを」
やはり聞き間違えではなかった。キングダムハーツを開くなんて――バルドルに宿った闇が言っていた単語を再びゼアノートが使っていて心底驚く。エラクゥスの様子から、まさかゼアノートはあの闇と同じ、世界を闇に還そうとしているのか。
いったいどうして。信じられないとショックを受けると同時に、デジャヴを感じた。以前にも誰かから「世界は闇に還るべきだ」と不吉な話を聞かされたような――。
「おまえこそ、これまで何を学び何を見てきた」
ゼアノートから突き放すように言われて、エラクゥスは少し黙り、剣を構える。
「どうやら、俺とおまえは違うものを見てきたようだな……」
目の前でキーブレードを向けてくる親友へ、ゼアノートは取り乱す様子もなく冷静に彼を見つめた。
「正統後継者として俺を止めるか」
「いや、友として」
親友同士で争おうとしているふたりへ手を伸ばして「やめて」と叫ぶ。けれど、やはりあちらには声も届かないらしい。
二人が跳んだ。キーブレードマスター同士の本気の戦いの激しさに、部屋が壊れそうなほどの衝撃派が走る。耳を貫く金属音と破壊音。巨大な魔法が放たれ光に切り裂かれた。荒れ狂う嵐のような戦い。こんな死闘をいつか、どこかで。覚えがあるはず!
「うっ!」
こめかみに今までにない痛みが走ったとき、幻影も薄れてゆき、何もかもが真っ白な光に飲みこまれていった。
くらくらする頭を抱えながら扉をくぐると少しの暖かさを感じる。やっとまぶしい光の中から出られたのに、次も目が痛くなるほど純白で統一された部屋の中だった。
ただひとつ、目の前に立つ男には色があった。柔らかそうな長い桃色の髪に、ガラスのような青瞳。鍛えられた肉体を包む真っ黒なコートには鈍い銀の飾りがついている。彼の背が高いので目の前に立った時、うんと上を向かなければならなかった。
この人は誰だろう。自分は疲れきっており、早くこの建物から出たいのだけど。ずっとこっちを見ているから無視するのも悪いだろうか?
男はこちらが何か言う前に、プライドが高そうな笑い方をした。
「やっと出てきたか。待ちわびたぞ」
「私を待っていてくれたの?」
普通に訊ね返すと、予想外の反応だったのか少し驚いた顔をされる。
さて。ここはどこで、どうしてこんな場所にいるのだっけ? 何をしていて、これからどうしたいのだったっけ。この建物から出たいこと以外自分の状況がわからない。考えようとすると頭痛がする。
「そうだ。おまえには私と一緒に来てもらわねばならないからな」
「どこへ?」
「我らが指導者のもとへ」
「だれ?」
「会えばわかる」
「ふぅん……」
どうでもよかった。その指導者とやら含め、ここから出ること以外に興味がわかない。
「私、ここから出たい。あなたが外へ連れて行ってくれるの?」
「いいだろう」
男が手を差し出してきたので自分の手を重ねてみるときゅっとつかまれた。手を繋いで歩き出す。
「共に行こう」
男が繋いでいない方の手をかざすと、黒いもやもやの渦ができた。この中に入るのだろうか。アレ、なんだか嫌だなぁとぼんやり思う。しかし、ここから出るためなら仕方ない。
もう少しで踏み入るというとき、突然部屋の中にもう一個黒いもやもやができて、そこから短い金髪の美女が焦った顔で現れた。男と同じデザインの黒コートを着ている。
「ちょっと、ちょっと、マールーシャ!」
現れるなり、彼女は鮮やかな緑目でキッとこちらを睨んできた。
「何を慌てている。ラクシーヌ?」
男――マールーシャがゆったり返事をすると、ラクシーヌは拗ねた表情になる。
「せっかく捕まえたっていうのに。その子、渡しちゃっていいわけ?」
その子のところで彼女から指される。マールーシャは優雅に笑った。
「我々の計画が完遂すればいつでも取り返せる。それに、あの装置は機関の一部の者にしか操作ができない。準備をさせて、完成したものを奪えばいい」
「そう――それなら、別にいいけど」
ラクシーヌは唇を尖らせながらも納得したようだが、まだ不満があるようだった。繋いだ手をジトッとした目つきで見てくる。
「では、おまえは持ち場へ戻れ」
「私も一緒に行くわ」
「おまえまでここを離れたら、誰が計画を進めるのだ」
少し驚いたマールーシャの問いに、ラクシーヌはフフンと笑った。
「ちょっとの間くらい、アクセルひとりでも十分でしょ。それに、その子を連れたまま闇の回廊に入ったらどんなトラブルが起こるか分からないわ。護衛は多い方がいいんじゃない?」
なにやら厄介者のように言われているが、よくわからないので反論のしようもない。
考えるそぶりをしていたマールーシャの方は、ラクシーヌ説得にうなずいた。
「そうか。では好きにするといい」
「なら、私がその子と手をつなぐわね!」
言い終わるか否か、とても素早い動きでマールーシャと繋いでいた手がラクシーヌに変わった。マールーシャは目をパチクリ瞬かせたががすぐに余裕のある笑みに戻る。
「では、ゆくぞ」
やっと上機嫌になったラクシーヌを伴って、再びマールーシャが出した闇の回廊とやらに歩き出した。一歩踏み入れると、やっぱりこの道は気持ち悪くていやだなと思う。だが、このふたりがついていてくれるなら大丈夫……なのだろうか。
★ ★ ★
ソラの記憶を嘘だらけにして操っている。
たとえレプリカであったとしても、やめろと叫ぶ子の記憶を、わが身を守るために捻じ曲げてしまった。
罪悪感に重さがあったなら、自分はとっくに押しつぶされているだろう。彼らの記憶は元の形よりずいぶんと変わってしまった。手を下したのは紛れもなく自分なのに、なんてことをしてしまったのか――このままマールーシャたちの操り人形になる運命の彼らが哀れで助けてあげたいと思ってしまう。
「あいつには、もうおまえだけさ。そうだ。あいつを救えるのはおまえだけだ」
アクセルの言葉に考えが揺れる。これまでもやめる機会はいくらでもあった。それでも保身のためずっと続けてきた。勇気が出せなくて従ってきた。
「でも、遅すぎます」
「決めつけるには早すぎるだろ」
今までずっとマールーシャたちに協力していたアクセルが、今更どうしてこんなことを囁いてくるのか分からない。勝手なことをしたらマールーシャたちにどんな目にあわされるか。
「なあナミネ、気づいているか? 今ここにマールーシャはいない」
オマケにラクシーヌもだ。
悪魔のように誘惑の言葉を投げかけてくるアクセルを見るも、今はこちらへ背を向けているので表情がわからない。
「それは、どういう──」
「おまえを止める奴は誰もいないってことさ」
行けと言われている。見逃してくれるらしい。――最初で最後のチャンス。
椅子から立ち上がり扉へ向かう。その間もアクセルは微動だにせず、彼に暗殺されたヴィクセンの時のように死角からチャクラムが飛んでくる様子もない。
一時の自由。どう説明したらいいかもわからないが、それでもソラのところへ行かなくちゃ。運動は得意ではないが、城の廊下を必死に走った。
★ To be continue... ★
R5.3.31
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