日が落ちて、また夜がくる。
「……私の、居るべき場所……?」
教室から自分の部屋への帰り道。駒を握り、自分に残った記憶を探っていた。
初めてこの世界に来た時、エラクゥスに会えた喜びは覚えている。扉を開けたら彼らに会えた。でも、扉を開ける前に何か慌てることがあったはずだがよく思い出せない。
「あっ、そうだ。リク……!」
スカラ・アド・カエルムを囲む水面を眺めていたら、海を連想し、ディスティニーアイランドでリクやティーダ、ワッカ、セルフィたちと遊んで暮らしていたことを思い出した。
どんどん結びついた記憶が蘇ってくる。
ある夜、禁止されていた嵐の海へ出たら、すべてが闇に包まれて、みんなバラバラになった。
しばらく異世界を放浪したことは断片的に覚えている。しかし、何の目的でどんな人たちに会ったのか、どうやって世界を渡ったのか、何を成し遂げたのかわからない。
自分ひとりの力ではとても異世界渡航なんてできない。何人か仲間がいたはずで、どこかへ行ってしまったリクを探そうと思っていたはずだったけれど……?
「どうして、こんな大切なことを何も思い出せないの?」
この世界に留まり続けたら、いつかリクのことも思い出せなくなるのだろうか。リク以外のことをどれだけを忘れてしまったのだろう。忘れたことを思い出した今、それを忘れてしまうことが怖い。
ならばこれ以上エラクゥスとゼアノートといられない。なのに、もうずっとここで暮らしたいという気持ちもある。
「私は…………」
決断できないまま部屋の前まで戻ってきたが、今夜もひとりでいたくなくて中に入りたくなかった。
エラクゥスの部屋からはまた泣き声が聞こえる。慰めてあげたくても、自分を前にしたら彼は涙を我慢してしまうだろう。
「フィリア?」
「ゼアノート」
立ちすくしていると、隣の部屋からゼアノートが出てきた。きっと自分はとても情けない顔をしていたのだと思う。こちらに気づいたゼアノートがちょっと驚いた顔で「大丈夫か」と声をかけてきた。
「……今夜も、一緒にいてもいい?」
誰かと話していないと、頭の中で答えの出ない考えがぐるぐる回って気が狂ってしまいそう。
ゼアノートは答える代わりに手を繋いできて、ゆっくりと歩きはじめた。外出禁止の時間だが建物から出て、街道を進み周囲を一望できるベンチへたどりついた。
「わあ……」
腰掛けると頭上には満天の星空が広がっており、それが水面にも映り込んで、まるで星空に包まれたかのような絶景だった。
「すごく、きれいだね」
喜んで隣に座ったゼアノートへ話しかけると、彼は瞬きだけで「うん」と答える。
静かすぎる世界、まるでゼアノートとふたりぼっちになってしまったかのよう。
「この場所、ゼアノートが見つけたの?」
「俺がこの世界に来たばかりの頃、バルドルに教えてもらった」
「バルドルが……」
彼が自分に白い花の群生地を教えてくれた時のように「とっておきの場所なんだ」と満面の笑みで言ったのだろうか。もう一度だけでいいから会いたくなる。
「『女子を口説くときのために、こういう場所をいくつか知っておいたほうがいいぞ』とか……」
「えっ! バルドルがそんなことを? 本当に?」
意外だったのでゼアノートへしがみつくと、彼は薄く笑っていた。
「いや、言ってない」
目が点になる。珍しいゼアノートの冗談だと分かったタイミングで、ふたりプッとふきだしクスクス笑った。
「バルドルは、本当はなんて?」
「『ここは何も考えなくていい、心が穏やかになれる場所なんだ』」
「……そっか」
冥界という異世界なら死者と再会できるらしいが、とても危険であることも聞いた。
「みんなと一緒に見たかったな」
改めて夜空を見上げる。
黒と群青の空の中で一生懸命に輝く星たち――闇の中の光――いつかも、誰かとこんな風に星空を見上げていたことがあったような?――わからない。
美しいものは、眺めているだけで悲しみや苦しみを一時忘れさせる力があるらしい。気がつけば夜風を冷たく感じる時刻になっていた。
「そろそろ戻ろう」
ゼアノートが立ち上がり、頭をぽんぽん撫でてくる。その優しい仕草は、いつかリクにも同じことをされた記憶を呼び起こした。ディスティニーアイランドで、優しい笑顔で守ってやると言ってもらって――。
「どうした?」
首をかしげているゼアノートを見上げながらリクのことを思う。銀髪のハンサムで、優しくて親切。賢くて強い真面目な努力家。ゼアノートとリクに抱く印象はよく似ている。
「フィリア?」
過去の自分は、独りぼっちで闇に傾倒していたリクを助けてあげたいと思っていた。
「あのね、ゼアノート」
数歩先で待ってるゼアノートへ、ためらいながらも打ち明ける。
「私、もう行かなくちゃ」
ゼアノートの表情がさっと変わった。
「どこへ?」
「私の、元いた世界かな」
ゼアノートが気落ちするのがありありとわかった。
「……ここじゃ、だめなのか?」
引き留めてもらえるのはとても嬉しくて未練が残りそう。けれど、決断をした今に行動しなければ動けなくなる。
「ごめんね」
彼はしばらく黙った後「そうか……」と目を伏せた。
離れがたい。本当はずっと一緒にいたい。
「エラクゥスには会っていかないのか?」
「これ以上一緒にいたら決心が鈍るから、このまま行くよ」
エラクゥスに会って、もしゼアノートと共に引き留められたら今度こそ残ることを選択してしまいそう。マスター・ウォーデンは一刻も早く出てゆくべきだと言ってきたし、挨拶はしなくていいだろう。
「エラクゥスたちに、よろしくね」
ゼアノートは答えずにじっとこちらを見つめていた。苛烈に輝く純粋な瞳。出会ったときは怖いとすら感じたが、今は先ほどの星のようにきれいだと思う。
「さようなら、ゼアノート」
さぁ、これ以上大切なことを忘れきる前に行かなくちゃ。後ろ髪をひかれる思いで、それでも一歩さえ踏み出せばどんどん進むことができた。
「さよならは言わない」
想定していなかった返事に驚いて振り向くと、星空を背景にした彼が言った。
「また会える」
「……会えるかな?」
「探しに行く」
頷きながらの返事は決意に満ちており、どこか確信めいている。
「俺が見つける。必ず」
再会の約束は嬉しかったが、安易に約束していいのか心配もあった。
「きっと、とても大変だよ?」
「かまわない」
まじまじとゼアノートを見つめる。まっすぐな視線に感じる光の心。約束で縛るつもりはない。けれど、彼を信じてみようという気持ちになった。
「わかった。それじゃあ、またね」
精一杯に笑顔をつくって、星空の下、ゼアノートと別れた。
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