夜になった。のろのろと塔から降りて、普段の生活空間に戻ってくる。外傷は魔法ですっかり癒えたものの、みな表情は暗く、心の傷が治るまでにはとても長い時間がかかるだろう。
 ヴェルとウルドと一緒に入っていた浴槽はひとりでは広く、クラスメイトの個室が続く廊下はいつも明かりが漏れて物音がしていたのに、今は真っ暗で静まりかえっている。
 この時刻になってやっと、ヴェルやバルドルだけでなく、ウルド、ブラギ、ヘルモーズたちも、もういないことを痛感させられた。
 行くあてもないため自室へ戻る。駒のせいでまた別の場所へ移動する可能性も考えたが、普通に入ることができた。

「あ……」

 部屋はあの幸せな日のままだった。机に魔法の本が山積みになっていて、一冊だけ床に落ちている。

「そっか。私、借りたままだった……」

 月明りの中、一冊ずつ確認してゆく。これはウルドから借りた本。使いこまれた辞書はヘルモーズから貸してもらった。ヴェルの幼い頃の落書きがある絵本に、バルドルが教えてくれた本。ゼアノートからおすすめされてもすぐに彼へ頼れず、ブラギに読めるか訊ねた本。
 ほとんどの本が、礼すら伝える前に持ち主へ返せなくなってしまった。ページに涙が落ちたので慌てて拭いた。でも、止まらなくなってしまって、しばらく本を抱きしめて泣いた。



 あんなに泣いたのに、それでも眠れぬ夜は終わらない。
 独りでいたくなくて部屋を出る。ゼアノートの部屋は静かなので眠ってしまったのかもしれないが、エラクゥスの部屋からは後悔と悲しみの泣き声が聞こえてきた。
 エラクゥスはいつも明るくふるまう強い人だから、今は他の人に泣き顔を見せたがらないと思うし、自分には慰める資格すらない。エラクゥスの部屋の扉をそっと撫で、そのまま小さくしゃがみこんだ。膝を抱いて、声を殺して一緒に泣いた。

 どれだけそうしていただろう。隣の部屋の扉が静かに開く音がして、そっと暖かいものがかぶさってくる。毛布だ。見上げると、月の光に照らされたゼアノートが立っていて、長い指で涙をぬぐってくれた。

「……ゼアノート」
「風邪をひくぞ」

 立ち上がるよう促されたが、足がしびれていたのか力が入らず、ふらついたところを支えられた。筋肉質で高い体温。心臓の鼓動が聞こえる。それがどうしようもなく嬉しくて、ゼアノートの胸にしがみついて泣いた。ゼアノートは無言でしばらく抱きしめ続けてくれた。



 朝日が差し込んできて意識が覚める。けれど目を開くたくなかった。目覚めたくない。
 寝なおそうと思ったが、すぐに布団の香りがいつもと違うことに気づいた。男性の香り? パチッと目を開くと、すぐ隣で寝ているゼアノートと目が合った。どうやらゼアノートのベッドの上にいて、彼と共に眠ったらしい。驚きに悲鳴をあげそうになって、跳ねるように上体を起こす。ゼアノートはいつも通りの顔で言った。

「おはよう」
「おは、よう……?」

 どういうこと。何がおきたの。こちらが起きるまで待っていてくれたの。その前に、どうして一緒のベッドで眠っていたの。うまく思い出せずに混乱していると、彼はゆっくり起き上がり、髪をかきあげながら言った。

「昨晩、フィリアが寝たまま俺の服を離さなかったから、仕方なくだ」
「ご……ごめんね……」

 独りでいたくなくて離れたくなかったから、離さなかったのかも。

「私、迷惑ばっかりかけちゃって。それに、ゼアノートが一番辛かったはずなのに……」

 大切な友だちの命を理不尽に奪われ、あげく手にかけざるをえなかった彼の苦悩は計り知れない。
 ゼアノートが黙ったままじっと顔を覗き込んできたので内心ドキドキ緊張した。あれほど強力なハートレスが現れたのは自分のせい。償いになるのなら、彼からどんな形でもいいから責めてほしかった。この罪悪感から許されたい。どんな酷いことだっていい。罰を与えてほしい。でもそれは自分が償った気持ちになるだけで、ゼアノートに更に負担をかけることになる。
 彼はそっと顔を寄せてきて、ため息を吐きながらこちらの肩口に額をのせてきた。彼の銀髪で視界がうまる。

「ゼアノート?」
「……辛いのは、みんな同じだろ」

 シャツからのぞく彫刻みたいな筋肉には、まだうっすら傷跡が残っていた。

「うん……」

 本当に、優しい人たち。
 しばらく、それきり黙ってしまった彼の体に手を回し、広い背中をぽんぽん撫でた。




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