さきほどの一室での戦闘以上に激しい戦いが始まった。バルドルの宿ったフリングホルニの一撃は床を割り、柵を壊し、まるでバーサーカーだ。あまりの暴れように、もはや屋上に安全な場所はなく、隅で必死に柵へ掴まっていた。
 一方で、エラクゥスとゼアノートは互いにかばいあい、誘導し、手傷を負いながらも確実にフリングホルニへダメージを与えていった。目にもとまらぬ速度なのに息の合った連携は、フリングホルニの分厚い鎧にヒビを入れ、刃を欠けさせ、兜を凹ませた。
 ついにイライラとした仕草でフリングホルニが力をためはじめる。大技がくる。一度近くに着地した二人。エラクゥスがゼアノートへ何事か囁き、ゼアノートがひとこと返し、エラクゥスがエッと言ってからニヤッと笑った。
 決着の一撃がぶつかる。フリングホルニがふたりが立っていた場所を床ごと広範囲にぶち抜いた。破壊の轟音と巻き上がる土煙でしばらく何も見えなくなる。ケホケホ咳き込みながらもふたりの姿を探したら、彼らはどうやったのかフリングホルニの背後にいた。ややあってからフリングホルニがふたりに気づく。エラクゥスとゼアノートは、フリングホルニへ全力の一撃を同時に放ち、斬り捨てた。

 フリングホルニが消滅しハートと闇が解放される。
 今度こそ、彼らが無事にあるべき場所へたどり着けますように。
 祈りながら見つめていると、ハートは心なしか嬉しそうに輝きながら、やがて空の中へ消えていった。
 闇は地に落ちてバルドルの姿に戻る。エラクゥスもゼアノートもバルドルも、みんな満身創痍だった。傷だらけで膝をつき、苦しそうに荒い息を繰り返している。
 おそるおそる彼らの方へ近寄った。エラクゥスとゼアノートのもとへ行くには、バルドルの傍を横切らなけらばならない。フリングホルニは消えた。バルドルも疲弊している。今ならば走って逃げられるかもしれない。

「はっ……勝ったつもりか。フィリアがいればあの程度の魔物なんていくらでも呼べる」

 その発言でゼアノートがこちらを見た時、バルドルがキーブレードを低く構え彼に斬りかかろうとした。ゼアノートは反応しきれていない。とっさに間に入り、ゼアノートをかばおうと思った。目を閉じて割り込むと耳鳴りがするほど大きな音がして、気がつけば血を流すエラクゥスの腕の中におり、彼と共に倒れていた。彼が守ってくれたようだ。

「いってて……フィリア、もう大丈夫だぞ!」
「エラクゥス……!」

 エラクゥスの暖かい腕に抱きしめられて、これまで我慢していた恐怖や不安がみるみる溶けて、もう安全だと確信できた。この人なら絶対に守ってくれる。半べそでエラクゥスへしがみついた。
 バルドルは先ほどエラクゥスとぶつかったダメージで、うつ伏せに倒れて動けなくなっていた。

「ゼアノート、バルドルから闇を引きはがせ!」

 エラクゥスが、目の前で膝をついているゼアノートへ叫ぶ。応えたゼアノートは腕から血を流していたが、軽めのケアルを唱えながらキーブレードを構えて立ち上がった。
 キーブレードの力なら、バルドルを闇から救えるの?
 ゼアノートがキーブレードを上段に構えた時、ハッとエラクゥスが表情を強張らせた。

「ダメだ!! まだ助けられる!!」
「やめてくれ、ゼアノート」

 意識を取り戻したバルドルが弱弱しく声をあげる。ゼアノートが躊躇った時、瞬く間に闇が広がり包まれて、ゼアノートとバルドルの姿が見えなくなってしまった。ゼアノートとバルドルを包み込んだ闇は球体の形となり、中の様子がまったくわからなくなる。

「うわっ、なんだこれ!?」
「中に入れない。まるで繭みたい」

 闇のもやもやに触れていいものか躊躇ったが、思い切って触れてみるとぶよぶよとした感触に跳ね返された。

「ゼアノートを助けなきゃ!」

 あちこちから血を滴らせるエラクゥスが、キーブレードを使って立ち上がろうとしたためケアルを唱えながら彼を支える。とにかく大きな傷から応急手当をした。

「フィリア。もういい。危ないから離れて」
「うん……」

 なんとかひとりで立てるようになったエラクゥスが集中し、闇に鋭い一閃を放った。光の軌跡を描く見事な一撃だったが、闇は裂けたところから高速で修復し、中の様子は一向にわからないまま。

「だめか!」
「雷よ!」

 ダメ元で魔法を当ててみたが、もちろん変化なし。ゼアノートは無事なのか? バルドルは? どうしようと考えている間にも時は過ぎてゆく。

「なんだ! この鎖は!!!」

 そうこうしていると、バルドルの大きな怒声が聞こえ唐突に闇が晴れた。
 中から現れたゼアノートは無事に立っており、バルドルは輝く鎖に捕らえられていた。加えて、ふたりの間にバルドルの姉のヘズが透けた姿で立っている。死してなお、バルドルを救うため心だけの姿で現れたのか。

「マスター!」

 エラクゥスとゼアノートが彼を見て叫ぶ。こちらからみて闇の繭があった向こう側、バルドルの鎖の先にいたのは、教室に飾ってあったあのキーブレードを持ったマスター・ウォーデンだった。
 マスター・ウォーデンはバルドルを悲哀に満ちた目で見つめ、それからゼアノートへ命じる。

「この機を逃せば、我々に闇を倒すすべはない。バルドルと闇を引きはがすんだ、ゼアノート!」
「ゼアノート!」

 マスター・ウォーデンとエラクゥスが彼を呼ぶ。
 
「バルドルと闇を引きはがせ」

 同じ言葉なのに、エラクゥスとマスター・ウォーデンの言葉の意味は違っているように聞こえた。 

「ゼアノート……」

 先ほどのゼアノートはバルドルを消そうとしていたのに、今は迷っているようだった――闇の中で何かあったのだろう。何を聞かされたのだろう。

「こうなったら、俺が……うっ」

 動こうとしたエラクゥスが再びよろめいたので、慌てて支える。治癒魔法で軽くふさいでいた太ももの傷が開いてしまい血で濡れていたため、ケアルをかけなおした。
 ゼアノートの前に立っていたヘズが、逡巡する彼を見やる。彼女はバルドルに向き直るとキーブレードを呼び出して斬りかかり、鎖にとらわれながらも反撃したバルドルと相打ちとなった。

「バルドル……」

 ヘズが倒れ、ハートになって青空へ飛んでゆく。バルドルの方は辛うじてまだ体を保っているものの、もはや力尽きたように床へ倒れた。
 バルドルがかすれた声で囁く。

「……ゼアノート……わかったか? 持つ者、持たざる者……持たざる者がその思いを成す為に力を得ることを、闇の力だと断罪するのは強者の理論……犠牲になった仲間たちは持たざる者の糧なんだ……」

 バルドルの言葉なのか、宿っている闇の言葉なのか。
 自分の場所からはゼアノートの表情が見えないが、彼はバルドルの話を黙って聞いていた。

「おまえは俺だ……ゼアノート……世の不条理を……闇を……探究しろ」

 バルドルの瞳が虚ろになってゆく。バルドルの心が闇に捕らわれたまま体が消滅してしまったら、彼のハートはみんなと同じところへ行けない予感がした。
 無言のまま、ゼアノートがキーブレードを構えた。狙いを定めて振り下ろすと、バルドルの悲鳴が大きく響き渡る。正確にはバルドルに宿った闇の断末魔だろうか。しばらく忘れられそうにない、恐ろしい声だった。
 バルドルにまとわりついていた闇が今度こそ消えて、バルドルのハートがヘズのハートを追いかけるように飛んで行く。ハートはくるくる回りながら昇っていって、やがて空に溶けて見えなくなった。
 バルドルが、お姉さんやみんなと同じ場所へたどり着けますように。
 優しかったころのバルドルを思い出しながら、目を閉じて祈った。



 バルドルが消滅した後も、誰も何も話さず、動かなかった。
 ゼアノートはバルドルのハートを見送ることなく、ずっと彼にトドメを刺した場所を見つめていた。

「ゼアノート……」

 エラクゥスが心配そうに彼を見つめる。一番つらい役目を任せてしまった。長くはないが、彼らが切磋琢磨して仲良く修行していた日々を見てきた。それが、こんなことになるなんて――。
 マスター・ウォーデンが深く息を吐き、悲痛な表情で目を閉じる。

「師よ、そういうことだったのか……あまりにも酷な、運命よ……」

 ゼアノートはただずっと、同じ場所を見つめていた。




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