本を両手で抱えながらトボトボ歩き、教室へ向かう。
 ひとりで理解しようと粘ってみたが、やはり分からないものは分からない。魔法って、これほど難しい本を読まなければならないのだろうか。力を授かれれば、こんな大変な思いなんてしなくて済むのに──なんて、頭の中で愚痴ってしまう。

「フィリア」

 教室の扉を開こうとした時、ヘルモーズに呼び止められた。彼の手には分厚い本が一冊。

「ヴェルたちから、フィリアが本に苦戦してるって聞いたから持ってきた。この辞書、便利だから使ってみて」
「わざわざ届けに来てくれたの? ありがとう」

 柔らかそうな髪を揺らし、うんと頷くヘルモーズに笑み返す。

「自分で理解するのを諦めて、ゼアノートに教えてもらうところだったの。でも、もうちょっとがんばってみようかな……」

 すると、ヘルモーズが「あー」と失敗したかのような声をもらした。「どうしたの?」と思い見上げると、彼は頬をぽりぽり指先でかく。

「ゼアノートに聞くのもいいと思うよ」
「ヘルモーズまで、ブラギと同じこと言うんだね」

 辞書を借りても、やはりこの本を理解するのは難しいのだろうか。それほど年齢差がありそうには思えないのに、ゼアノートとの賢さの差を突きつけられているようでちょっと凹む。

「いや、フィリアをバカにしてるんじゃなくて。教えてくれる相手が近くにいるなら、頼るのも手だよ」
「……迷惑に思われなければいいけど……」
「思わないって。絶対」

 かといって、マスター・ウォーデンにはもっと頼りにくい。
 息を吸って、教室の扉を開ける。いつものようにエラクゥスとゼアノートがゲーム盤を挟んで向かい合っていた。
 チラッと振り向いたエラクゥスが「やあ」と柔和に笑む。

「おっ、今日はヘルモーズとデート?」
「ちょっとちょっと。僕は教室の前で会っただけだぞ」
「冗談だって」

 ヘルモーズってマジメだよな、とエラクゥスが更に笑う。一方、ゼアノートが無表情でジッとこちらを見ていた。あ、ちょっと不機嫌そう。言い訳するような気分で、彼から受け取った辞書を二人にも見せた。

「本が難しくて困っていたら、ヘルモーズが辞書を貸してくれたの」
「へー。って、ゼアノート、そんな難しい本を薦めたのかよ」
「別に。使ってある言葉が難解なだけで、内容はそれほどでもない」

 エラクゥスの質問にしれっと答えているゼアノート。やはりこんなのも理解できないなんてって思われているのかと落ち込んだ。

「責任はとる」

 きっぱりと言われた言葉で、教室の床からゼアノートへ視線を戻した。まっすぐな視線に内心たじろぐ。

「わからないところは俺が教える」
「……全部わからないって言ったら?」
「全部教える」

 こっちへ来いと手招きされて、おそるおそるゼアノートの側へ。盤上のゲームは途中で、白い駒の方が多く残っていた。本を貸せとジェスチャーされたので手渡すと、エラクゥスがアッと気づく。

「ゼアノート〜。負けそうだからって逃げるつもりか?」
「教えながらでも勝てる」
「あ、言ったな!?」

 唇を尖らせるエラクゥスに「邪魔しちゃってごめんね」と言うと「気にしてない!」とニカッと笑った。
 ゼアノートが迷いなく本をめくって、以前言っていた「ここから読め」と言っていたページを出す。

「読むから、分からないところがあったら言ってくれ」
「う、うん」

 ゼアノートが注釈を交えながら本を読み始めてくれるので、隣から本を覗きこむ。小難しい暗号みたいな文章がするする頭に入ってくる。悩んでいたことが信じられないくらい分かりやすい。
 レースごしの日差しに輝く銀髪。鍛えられた腕。長い指が丁寧に紙をめくる。長いまつ毛の影。低くて聞きやすい落ち着いた声──。
 ゼアノートは強いし、賢いし、親切だし。外見も中身もとても魅力にあふれた人だ。なのに、どうしてこの人の視線にいつも緊張してしまうのだろう。
 いつの間にか本よりもゼアノートに意識を向けていたら、ゼアノートの銀色の瞳もこちらを見つめ返してくる。

「分からないところがあったか?」
「……ううん、とっても分かりやすい。続けて」

 頷いて、ゼアノートの説明が再開される。反省し、きちんと理解しなくてはと背筋を伸ばす。
 ふと、ニマニマと笑みを浮かべるエラクゥスと居心地悪そうにしているヘルモーズに気づいた。自分がふたりを気にしていることに、ゼアノートが気づき、エラクゥスを見て眉を寄せる。

「変な顔をして、どうした?」
「あっ、ひっで! これは若いふたりを暖かく見守ってる顔だよ」
「なんだそれ?」

 ゼアノートが更に怪訝な顔をすると、ヘルモーズがわざとらしい咳払いする。

「エラクゥス。僕たちは邪魔のようだから二人きりにしてやろう」
「えっ、行っちゃうの?」

 エラクゥスがいなくなっちゃうのは嫌だなと思ったら、反射的に言ってしまった。エラクゥスはキョトン顔、ヘルモーズは困り顔になる。

「よし、わかった」

 ちょっとの沈黙の後、エラクゥスが言った。力強く。キリッとした顔で。

「俺もフィリアの魔法取得に協力するよ!」
「待てって、エラクゥス! 僕たち、いま、どう見ても邪魔だから」

 ヘルモーズがエラクゥスへ耳打ちするようにぽそぽそ言う。ゲームの邪魔しているのはこちらの方なのに。一方、エラクゥスは満面の笑みでヘルモーズへ大丈夫と言う。

「俺がいれば、ほがらかでなごむだろ?」
「自分で言うか?」

 苦笑したゼアノートからツッコミを受けて、エラクゥスが「ホラ、笑っただろ?」とはしゃぐ。

「なごませるより、応援してやるほうがいいと思うけど……」

 ヘルモーズはなぜかため息を吐いていたが、自分としてはエラクゥスも教えてくれるのはすごく喜ばしい。

「ありがとう。とっても嬉しい!」

 素直に伝えると、エラクゥスは「まかせろ!」と返してくれ、やはりヘルモーズは「あ〜……」と頭を抱えていた。




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