どうやらこの世界にハートレスはいない。どこかしらに人もいる。攻撃魔法が使えない状態でも安全に出歩けることを確信し、ひとりきりで街へ出てみることにした。
 大きな道を進みつつ、ちょっと脇道に出ては元の道に戻るを繰り返し、頭の中で地図を広げてゆく。
 本日のスカラアドカエルムは日差しも強すぎず、そよ風が気持ち良い。もしここにソラがいたら、きっと草むらの上でお昼寝していたに違いない。
 花をカゴいっぱいに売っている荷車の前を通り、ゼアノートたちが朝練をしていた場所をのんびりと横切った──この先は広場に出るようだ。

「あっ、バルドルだ」

 広大な広場で、見知った顔を見つけた。バルドルは柔らかそうな白い髪をなびかせながら、水底を見つめるように俯いて水際の柵の前に立っている。
 声をかける前に、バルドルはぎゅっと目を閉じ、服の胸元を握りしめて、苦痛を堪えるようなかっこうになった。ぽつぽつといる周囲の人は気づいていない。
 具合が悪いのかな?

「バルドル、だいじょうぶ?」
「えっ?──フィリアか」

 バルドルはとても驚いた顔を見せた後、すぐにいつもの優しげな笑顔をつくったが、顔色は悪いままだ。

「どこか痛いの? ケアルする?」

 今持っている唯一の特技なので、役に立てたら嬉しい。申し出たが、バルドルは首を横に振った。

「大丈夫。なんでもないよ」
「でも……」

 とてもそうは思えない。じーっと見つめると、バルドルは苦笑した。

「それよりも、ひとりなのか? ゼアノートやヴェルたちは?」

 話を逸らされた。あまり踏み込んでほしくないというやんわりとした拒絶を感じる。

「みんな、やりたいことがあると思って……ひとりで街を探索していたの」

 ふぅんとバルドルは瞬きして、またにこりと笑む。

「じゃあ、俺が街を案内しようか」
「いいの?」
「ちょうど暇していたんだ。行こう」

 バルドルの体調が心配だし、一緒にいた方がいいだろう。バルドルの厚意に甘えて、裏道から始まり地下水路や塔の上、白い花の群生地、墓場、さまざまな場所へ足を伸ばした。バルドルの顔色は時間と共に良くなっていったので、回復したのだとホッとする。

「攻撃魔法について書かれた本?」
「いざって時に自分で身を守れるようになりたくて」

 行きたい場所はないかと問われ、では図書館はないかと尋ねた会話の流れだった。
 バルドルはうーんと唸る。

「俺たちはマスター・ウォーデンから授かったから」
「私に教えてくれるかな……」

 マスター・ウォーデンには、自分がこの世界に長くいるつもりがないことを見抜かれている気がする。座学の授業に混ぜてもらってはいるものの実技は見学だし、帽子のつばからのぞく鋭い目つきは、見守られているというよりも見張られているような──?
 バルドルがアッと声をあげる。

「フィリアが探しているものかは分からないけど、攻撃魔法についての本なら教室に何冊かあったな」

 と、いうことで教室へ。戸を開けば先客がふたり。

「エラクゥス、ゼアノート」

初めて会った時と同じように、二人はゲーム版を挟んで窓際に座っていた。

「あれ、ふたりともどうしたんだ?」

 今日は休みのはずだろうと、エラクゥスがキョトンと訊ねてくる。ゼアノートは相変わらずの無表情でこちらをじーっと見つめてきた。

「教室の本を読みたくて。ここにいてもいい?」
「もちろん」

 教室の背後の壁を一面埋め尽くす本棚は、多少乱雑しているものの困る程度ではない。バルドルが先導してロフトへ登るのでついてゆく。エラクゥスはゼアノートとのゲームに戻りつつ、話しかけてきた。

「バルドルとフィリア、二人きりなのか? ひょっとして、デートだったりして」

 ニヤッと笑うエラクゥスから軽くからかわれただけなのに、とても驚いて返事に詰まってしまった。思わずバルドルを見ると、彼もいたずらっぽく笑う。

「ばれたなら仕方ないな。みんなには黙っていてくれ」
「えっ!?」

 今度はエラクゥスと一緒に大きな声が出てしまった。冗談だと分かっているのに頬が熱くなる。途端、ピキッと高い音が室内に響いた。

「え? あっ、ゼアノート、駒が、壊すなよ!」

 エラクゥスが慌ててゼアノートに話しかけ、アハハと笑ったバルドルが目当ての本を本棚から引き抜いた。





 椅子に腰かけ、さっそく渡された本をめくる。「攻撃魔法の構成理論」というタイトルで、難しい言い回しに始まり、意味が分からない単語、何を言っているか理解できない文章に早々に挫折しそうになった。

「うーん……」
「ここの説明が、この図のここ。身体に宿る魔力を使って魔法を具現化させる仕組みについて書いてある」

 隣に座ったバルドルが本を指して説明してくれる。バルドルはこの難しい本の内容をすぐに理解しているようだ。すごい……。
 尊敬の眼差しで見つめていると「分かった?」と問われ「なんとか……」と曖昧に答えるも、この本を読んで魔法を使えるようになるための理解力が足りているとは思えなかった。

「なになに、魔法の勉強?」

 ひょいとエラクゥスが覗きこんできて、文字だらけの本にうげっと顔を歪ませる。その横にはゼアノートがいて、瞳だけですらすら本を読み上げているようだった。

「攻撃魔法を使えるようになりたくて……」

 堂々と調べているとはいえ、攻撃魔法を使える子たちに囲まれながら白状するのは、少し情けなく恥ずかしい気持ちさせられた。けれど、バカにするような子はおらず、みな真剣に考えてくれる。

「俺たちは未熟だから、誰かに魔法を教えるなんてできないしなぁ」

 ふと、ゼアノートが本棚へ向かい、あちこちの棚から何冊か取り出した。細い本や分厚い本が十冊に近づいたところで戻ってきて、目の前の机にどっさり積まれる。彼はバルドルとは違う方の隣に腰かけた。

「それよりも、こっちの本の方が読みやすい。ケアルが使えるなら、ここからここまでのページは読む必要はない」

 テキパキとページをめくって説明してくるゼアノート。ポカンとしてしまったこちらに気づいた彼は「どうした?」と言うように瞬きした。

「もしかして本の内容、全部覚えているの?」
「ここにある本は一通り記憶している。書庫の本も読んだが、初めはこの辺りがいいだろう」

 ここにある本だって軽く百冊を超える。素早く、迷いなく本を集めていたし、本当に覚えているのだろうなと感心した。エラクゥスがゼアノートの肩に腕を乗せる。

「ゼアノートがこの世界に来たばっかりの頃は、街じゅうの本を読み漁るし、街の施設ひとつひとつに『あれは何だ、どういう意味があるんだ』って聞きまくるし、まるで知識欲の塊だったよな。まぁ、今もだけど」
「ああ、いつの間にか俺たちよりも詳しくなってるし」

 ふたりがゼアノートをニヤニヤ見ながら答えるのを聞きながら、ゼアノートをまじまじと見つめる。彼は優秀なだけではなく、非常に勤勉で努力家なのだと思った。安直だが「すごい」とか「えらい」の言葉しか浮かばないため、素直に伝える。

「すごいね」

 すると、ゼアノートがふいと目をそらす。あ、頬がちょっと赤い。照れてる?

「別にこの程度、エラクゥスだってできるだろ」
「え〜……俺はできるっていうか、できるようにさせられたっていうか。もう忘れたし」
「そうやってやる気ないフリして、陰でめちゃくちゃ努力してるタイプだろ」

 この場にいないと思っていたブラギの声が割り込んできて、皆で入口を見る。ニヤニヤ笑うブラギと曖昧に笑うヘルモーズがいた。

「休みなのに教室に集まって何をしてるかと思ったら、フィリアの取り合いでもしてたのか?」
「違う……けど、たぶんそんな感じ」
「どっちだよ」

 ブラギの問いにエラクゥスが答え、ヘルモーズが脱力しながらツッコミをいれる。ゼアノートがおススメしてきた本は絶対読まなくちゃいけない雰囲気だし、それならバルドルが教えてくれた本だって読まなければ失礼だろう。
 攻撃魔法を学ぶ本を求めていると説明すると、ブラギとヘルモーズは顔を見合わせ、ヴェルが持っている絵本やウルドの魔法の専門書もいいと言い出し、結局彼女たちからも借りることになってしまった。

「読み終わるかな…………」

 その夜。部屋の机に山となった本を前にぽつり呟いて、ひとまず絵が多い本から読み始めた。




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