沈没船に向かった時の苦労に比べれば、ずいぶんあっさりかくれがに戻ってこられた。サメが追いかけてきた様子もハートレスの影もなく、安全な場所に思わず張りつめていた気が抜ける。

「結局、見つかったのはこれだけか」

 ソラが水晶を天井から射す太陽光にかざすと、きらきらっと反射する。何に使うのか知らないが、美術品のようで相当に価値がありそうだ。ソラの側に寄って覗き込めば、水晶を通り屈折した虹色の光がソラや自分の肌にウロコのように映った。

「きれい……」

 輝きに魅入っていると、フランダーが小さな尾びれを細かく動かし、隠れ家の壁の前で動きを止めた。

「不思議な形の水晶だね。それと同じ形が、ここにもあるよ」

 彼に言われるまま藻や海藻を払ってみれば、確かに水晶と同じ形の窪みがあった。厳密には一回り大きく、まるであつらえたかのように水晶をはめ込むことができそうだ。みんなで顔を寄せ合い、この不思議な偶然にワクワクし始める。アリエルが待ちきれないとばかりに言った。

「ソラ、はやく、ここに水晶をはめてみて!」
「わかった」

 みんな水晶に気を取られていて、入口の岩が動いていたことに気づかなかった。
 水晶がくぼみにぴったり嵌められ、今まで何度か経験した不思議な気配がゆっくりと近づいてくるのを感じる。

「この感覚は──」
「アリエル!」

 突然の怒声に思わずヒッと委縮した。陰の中から現れたのは怒り顔のトリトン。まさか一国の王がこんな狭き場所に現れるはずがないと思っていたので、みんな不意打ちをくらっていた。

「またわしの言いつけに背いたな! 宮殿の外へは出るなと言ったはずだぞ!」

 ふと、トリトンの視線が水晶を捕らえると、彼の眉根がぎゅっと寄った。ひゅんとトライデントの矛先がこちらに向けられ、輝きだす。
 確か、前にもこんなことが────。

「命令だ。そこをどけ!」
「いやです!」
「師の言うことが聞けぬか!」
「聞けません!」

 唐突に脳裏に声が浮かんだ。
 こめかみに激痛が走り、思わず頭を抱えた瞬間、トライデントに宿る魔力が臨界に達する。

「待って、パパ!」

 アリエルが叫ぶもむなしく、トライデントから放たれた光線はあんなに頑丈だった水晶を一瞬で粉々に砕いてしまった。水晶のカケラが水の中でキラキラ流れてゆくのを呆然と見つめる。海の激流を超え、狂暴なサメを退治し、やっと手に入れたものだったのに。これだけ細かくなってしまっては、復元は不可能だろう。

「なんてことを!」

 悲痛の声をあげたアリエルがかくれがから出て行ってしまった。とっさにみんなで彼女を追いかけようとして、怖い顔のままのトリトンに阻まれる。

「少年よ。おまえたちは遠くの海ではなく、他の世界から来たのだな」

 これまで他の世界の存在を知り、見抜いてきた者はいない。サッと青くなった顔色でトリトンは確信したようだった。

「では、やはりおまえが“鍵”を持つ者か」
「どうしてそれを?」

 ソラはトリトンの前でキーブレードを出していない。訊ねたソラへ、トリトンは敵視しているといってもいいほどに険しい表情で答えた。

「アリエルはだませても、わしの目はごまかせん。その不慣れな泳ぎ方ではな」

 ウッと思った拍子に尾びれが揺れる。トリトンが続けた。

「“鍵”を持つ者ならわかっているはずだ。異なる世界に属する者はたがいに干渉してはならない」
「そんなの知ってるよ! だけど──」
「おまえたちはそのルールを破ろうとしている。“鍵”を持つ者は平和を乱し、災いを招く」

 世界を救ってくれと頼まれてソラはキーブレードの勇者になった。いままで傷つきながらも戦い続け、たくさんの人を助けてきた。それをまるで無法者の破壊者のように一方的に言われるなんて納得がいかない。

「ソラはそんなことしないよ」

 そーだ、そーだ!
 グーフィーの反論にドナルドと何度も頷いて同意するけれど、トリトンはこちらを全く信用していない目つきのまま、ふいと背を向けて去ってゆく。

「アリエルを助けてくれたことは感謝する。だがわしの海にその“鍵”は必要ない」

 セバスチャンもトリトンと一緒に出て行った。
 ソラは何も言わずキーブレードを呼び出して、しばらくそれを神妙な顔で見つめていた。

「ソラ……」

 こういう時、何か気の利く言葉を言えたら。もどかしくなるが、やはり浮かばない。
 トリトンの言いざまから、どうやらソラ以外にも鍵を持つ者がいるらしい。どうしてその人たちは世界を救ってくれないのだろう。だからソラが世界を救わねばならなくなった。出会っていないだけ? それとも力尽きてしまった? それともまさか──トリトンの言うとおり、他の鍵を持つ者は平和を乱しているから? 世界がこうなっているのは、別の鍵を持つ者のせい?
 そこまで考えてゾッとする。もしそんな人とソラが出会ってしまったらどうなるのだろう。

「気にしないほうがいいよ」
「昔、何かあったのかもね」

 ドナルドはトリトンが去った方向を睨み、グーフィーはのほほんと言う。ソラは更に数秒らしくなく黙り込んだあとにキーブレードを消して「ヘーキ、ヘーキ!」とケロッと笑った。




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