ソラの様子がおかしい。
壁を見つめてカイリの名を呟いたかと思えば、あれ、と周囲を見回した。
いまは呆然としているらしい、悲しそうな後ろ姿に、なんとなく声をかけにくい雰囲気だと仲間たちと目くばせしていると、場の空気を換えたのは、のんきなおじいさんの声だった。
「ふう、やれやれ」
いつからそこにいたのだろう。青いとんがり帽子とローブを身に着けた長い髭を生やし、丸い眼鏡をかけた老人が、古いカバンと指揮棒のような杖を持って立っていた。
彼はこちらをひとりひとり確認するように眺めると、にっこり笑った。
「ふむ、思ったより早く来おったのう」
「俺たちが来るのを知ってたのか?」
少々元気のない声でソラがおじいさんに歩み寄った。おじいさんは「そうじゃよ」と軽い調子で答えながら、トコトコ部屋を歩き回る。
ソラはしばらく考えるそぶりをして、ハッと言う。
「まさか、ハートレス!?」
「……には見えないよ」
どうみても人間でしょ。ドナルドがあきれ顔でソラにツッコミをいれる。ハートレス扱いされたおじいさんは、特に気分を害した様子もなく、ほっほっほっと笑っていた。
「ワシの名はマーリン。見ての通り、魔法使いじゃよ。ふだんは世界を飛び回っておるが、久々にもどってきたというわけじゃ」
マーリンがドナルドとグーフィーに目線を送る。
「君たちの王様から、力を貸してほしいと頼まれてな」
「王様が?」
「そうじゃよ」
マーリンはグーフィーに微笑んだ。「ところで」と今度はソラと自分を見てくる。
「ドナルドとグーフィーはいいとして、君たちは……?」
「俺はソラ。こっちはフィリア」
「……ほう」
マーリンが眼鏡の奥にある目をわずかに細めた。
「どうやら鍵を見つけたようじゃな」
「王様に何を頼まれたの?」
ドナルドが身を乗りださん勢いでマーリンに訊ねるも、マーリンはまぁまぁと手を振った。
「その話の前に、と……立ち話もなんじゃ、ちょっと待っておれ」
カバンを地面に降ろし、部屋の中央にあった高台へ上ると、ほうれ! と声をあげる。すると魔法の力が部屋を満たし、くるくる振られる杖のリズムに乗ってカバンの中身がひとりでに動き出した。ティーセット、テーブル、イス、ベッド、本に机に実験器具。どうやってあの小さなカバンに入っていたのか問うのは野暮だ。マーリンは魔法使い。それもとびきりすごい魔法使いだ。
あっという間に、何もなかった汚い小屋は、火に照らされた生活空間へと姿を変えた。テーブルにはクロスが敷かれ、香り高い紅茶が振舞われた。
「これでよし」
オホンと咳払いをして、マーリンは紅茶をひとくち飲んだ。
「ワシはな、君たちに魔法のレッスンをするように頼まれたんじゃ。レッスンの用意はできとる。いつでも思うぞんぶん練習できるぞ」
やる気になったらワシに言っとくれ。とマーリンはまた紅茶をひとくち。
「それから、あれじゃ」
緑の小さな馬車だった。きらきら輝きが集まりだして、青いローブを纏った老女の姿が現れる。
「はじめまして。私はフェアリー・ゴッドマザー。私も王様に頼まれたのよ。あなたたちの旅の手助けをさせてもらうわ」
ニコニコと優しいまなざしと、おっとり、包み込んでくるような優しい声だった。
「まあ、大したことはできんが、いつでもよってくれ」
なんだか、おじいちゃんとおばあちゃんができたみたい。
こそばゆい気持ちにうずうずしている間に、ソラがマーリンへ本を手渡していた。
「はい。これ、届けもの」
「おや、その本は……そうか、シドにたのまれたのか。ありがとうよ」
「それ、どんな話なの?」
ドナルドが本をジロジロ眺めている。
「なんの本かって? そんなの、ワシにもわからんよ。そもそもワシの本じゃないんじゃ。いつからかカバンの中にあって……なんとも不思議な本なので、シドに直してもらったのじゃ……ではさっそく、部屋にかざっておくとしようか」
「ひとりでにカバンの中にあるなんて、あるのかなぁ?」
マーリンが本を飾るため階段を降りている最中、グーフィーが耳打ちしてくる。「忘れているんじゃないの」聞こえてしまったら叱られるかもしれないため、ドナルドが声を絞って言った。
「この本には秘密がありそうじゃ。ちぎれたページさえ見つかれば、最後まで読めるじゃろう。この本は、あそこに置いておくから、好きな時に見るといい。シドにはちゃんと受け取ったと報告しといてくれ」
マーリンは本をきちんと棚に置くと、髭をひと撫でしたあと、こちらの手元を指した。お守りを握っているほうだ。
「それから君が持っとる石のことじゃが……フェアリー・ゴッドマザーに話しを聞いてみることじゃな」
話の中心となったので、石をソラに返す。フェアリー・ゴッドマザーは「シンデレラは大丈夫かしら……」と天井をぼんやり見上げながらつぶやいていたが、こちらの接近に気づくとすぐに笑顔を浮かべた。
ソラがおずおずとお守りを彼女に見せる。
「あのさ。こんなのもらったんだけど……」
「あらあら、かわいそうに……この子も“召喚石”になってしまったのね……」
「“召喚石”……?」
「この子はね、今はもう消えてしまったどこかの世界で暮らしていたのよ。世界が消えれば、住人もいっしょに消えてしまう……知っているわね?」
ほんとうに世界は闇に飲まれて消えているのだと、こんなものから実感させられるとは。ゾッとして、思わずソラの服を掴んだ。
フェアリー・ゴッドマザーは憐れむように、お守りをソラの手ごと包み込んだ。
「だけどこの子は、とても強い心を持っていたのね。だから完全には消えてしまわずに、こうして結晶になって残ったの」
「助けられ……ない?」
ソラに問われ、彼女はどこからともなく杖を取り出した。マーリンと同じようなサイズだが、こちらは淡く輝く白い杖で、彼女が振るたび光の粉が舞っていた。
「そうね、この子の心だけなら……見てらっしゃい。ビビディ・バビディ・ブー!」
謎の詠唱と共に、光が一気にお守りへと注入された。グルルルル、とお守りから鳴き声が聞こえる。
「この子はシンバというのね。立派なタテガミの若いライオンの姿が見えるわ」
「シンバ……ライオン?」
人間ではなかったことに些か驚く。
フェアリー・ゴッドマザーはソラに説明した。
「あなたが呼べば、この子はきっと力を貸してくれるわ。他にも、こんな石を見つけたら私のところに持ってきてちょうだい」
他にも世界が闇に飲み込まれ、それでも心の結晶だけで生き延びている者たちがいるという。
「世界がよみがえれば、この子たちも元の姿を取りもどすはずよ。ソラ、みんなを助けてあげてちょうだいね」
「ああ、わかった」
頷いて、ソラはまた召喚石をこちらへよこしてきた。先ほどより強く、ありありと感じるシンバの心の温かさに切なくなった。こんな可哀そうなひとたちが、きっと数えきれないほど世界じゅうに溢れていて、みんな、ソラへ救済を求めている。もし――もしソラが闇に負けたら、世界はどうなってしまうのだろう。
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