頼まれた材料を全て集めたフィリアたちがシンデレラの部屋へ戻ってくると、たくさんの鳥やネズミたちがドレスの裁縫を行っていた。

「ジャック、材料を持ってきたよ」
「おっ、ありがとう! んー、あとは真珠の玉一個でオーケーだ。頼んだよ!」
「任せろ!」
「ジャックたちもがんばってね!」

 ジャックたちを激励し再びヴェントゥスとネズミの通路に潜りこむ。
 大きな段差にさしかかった時、ヴェントゥスが一足先に飛び降りて自分に手を差し出してきた。

「はい、フィリア」
「あ……ありがとう」

 差し出された手を借りて段差を静かに飛び降りる。心の中で小さくため息――先程の戻り道でも、ヴェントゥスは“こう”だった。

「ヴェン。私、本当に大丈夫だから」
「うん」

 頷きながらもヴェントゥスは次の段差でまた同じことをする。気遣いは嬉しいが素直に喜べない。これはやはりヴェントゥスに足手纏いだと思われているということだろうか。
 先ほどの怪我と毛糸玉の件を考えれば当然だが、せめて怪我をした時に、ヴェントゥスが辿り着く前にケアルを唱え終えていれば……。

「もっと、魔法の練習しなきゃ」
「ん? 今、何か言った?」
「わ、な、なんでもないの!」

 意図せず漏れた言葉に焦りながら、フィリアは首を横に振った。










 フィリアがヴェントゥスとまたあの部屋にやってくると、今度は部屋の中央で真っ黒な毛並の猫が身を丸くして眠っていた。
 恐らくあれがジャックの言っていたルシファーだろう。ぐぅぐぅ眠るルシファーの前には、目的である真珠の玉が転がっている。

「よりにもよってあんなところに」
「俺が取って来るよ。フィリアはここで見張ってて」
「ん……気をつけてね」
「ああ」

 ヴェントゥスが机から飛び降りてルシファーの側へ忍び足で歩いてゆく。真珠の前に辿り着き、念のため手を振って確認していたがルシファーは動かない。どうやら熟睡しているようだ。

「よし……」

 ヴェントゥスが意を決し、そっと真珠を運び始めた。

「あっ」

 ヴェントゥスがルシファーに背を向け歩き出すと、寝ているはずのルシファーの黒い毛並みがむくりと動いた。爪が立てられた太い腕が静かにヴェントゥスに向けて振り上げられる。

――燃えろー!」

 動物が苦手だという炎の魔法をルシファーに向けて放った。ルシファーに比べればろうそくの火程度の大きさの火は、気付いたルシファーのひと息で消されてしまう。
 それでも、ヴェントゥスがキーブレードを呼び出す時間は十分稼げた。武器を構えるヴェントゥスを見て、ルシファーは狡賢そうな目でヴェントゥスと自分を見比べてくる。

「……!!」

 ルシファーと目が合った瞬間全身が粟立った。足が震えだするのが止められない。
 そんな自分の様子を見てかルシファーがこちらに向かって駆けてきた。ドスンドスンと床が揺れる振動が伝わってくる。

「い、雷よ……っ!?」

 震える手でやっと唱えたサンダーは、掌の先で音を立てただけで消滅した。――不発。もう何年も魔法を失敗することはなかったのに。
 困惑している間に、ルシファーはもうすぐそこまでやってきていた。もう一度魔法を、いや、逃げなければ……? しかし、足は床に張り付いてしまったかのように動かない。
 机が一際大きく揺れる。ついにルシファーが机の上に乗ったのだ。

「フィリア! 逃げろ!!」
「う……っ」

 ヴェントゥスの声が聞こえる。目の前でルシファーがベロリと舌舐めずりをした。
 どうして……。
 振り上げられる鋭い爪を呆然と見上げながらそう思った。先の世界ではあの巨大なアンヴァースと戦ったときでさえ、こんなに恐怖を感じなかった。

「危ないっ!!」

 爪が振り下ろされようとした瞬間、ジャックの声がしてルシファーの頭に毛糸玉がぶつかった。毛糸玉が飛んできた方向に顔を向けると、毛糸玉を持ち上げたジャックが棚の上に立っている。

「ジャック!」
「今のうちに逃げるんだ!」

 ジャックはそう言うと、ルシファーに向かって毛糸玉を投げつけ始めた。次々と頭へ命中する毛糸玉にたまらずルシファーが机の上から飛び降りる。

「フィリア! 大丈夫か?」

 ジャックがルシファーを惹きつけている間に、ヴェントゥスが駆けつけてきた。
 掴まれた手が暖かい。またヴェントゥスに心配させてしまったと悔やむと同時に、まるで雪のように体の緊張が解けてゆく。

「うん。ジャックのおかげ……」
「この間に行くよ!」

 ヴェントゥスに手を引かれネズミの穴へ逃げ込もうとした瞬間、後ろから大きな物音とジャックの悲鳴が聞こえてきた。振り向くと先ほどまでの棚にジャックの姿はなく――その下の床にいるルシファーの前でぐったりと倒れている。

「ヴェン、ジャックが!」
「くっ……!」

 ヴェントゥスが手を離しジャックの元へ走り出した。自分も必死にそれに続く。
 ニヤニヤと笑ったルシファーが、ジャックにその腕を振り降ろす。――このままでは間に合わない!

「うわあぁ!」
――雷よ!」

 ジャックに当たらないよう気をつけながらサンダーの魔法を放った。今度はちゃんと成功し、光速で放たれた電撃は振り下ろしかけた腕で弾けルシファーの動きを一時止める。忌々しそうに再度振り下ろされたその爪は今度はヴェントゥスのキーブレードに弾かれた。

「お前の相手は俺だ!!」

 何とか間に合ってくれたヴェントゥスが真珠を抱えたままキーブレードをルシファーに向ける。ルシファーが少し後ろへ飛びのいた隙に自分も二人の側へ駆け寄った。

「ヴェン! フィリア!」
「こいつは俺に任せて!」
「私も。私もヴェンと一緒に戦うよ!」

 視線だけでヴェントゥスが「平気か?」と訊ねてくる。頷くと、すぐにヴェントゥスも頷き返してくれた。

「これを持って、早く!」
「わかった!」

 ヴェントゥスが後ろ手で差し出した真珠をジャックがしっかりと受け取った。
 ジャックの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、フィリアはルシファーをまっすぐ見つめた。未だに恐ろしさは感じるが、今は側にヴェントゥスがいる。
 ルシファーがゆっくりと動き出す。それが戦闘の合図になった。




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