たどり着いた庭園はバラの香りで溢れていた。剪定された赤バラの木が青空の下で美しく咲き誇っている。落ち葉など一枚もない芝生に、ハートの形にくりぬかれた垣根のアーチ。それらを見るだけで、ここの主がどれほどこの庭へ心を砕いているのかわかる。
「すてきなお庭!」
「きれいだな」
「ここでお昼寝したら、とっても気持ちいいと思うよぉ」
「グーフィーは、さっき寝たばかりでしょ!」
ドナルドのため息を聞きながらアーチを潜ると、いきなり厳格そうな場所に着いた。向かい合った高さの異なる席が二つあって、高い方に腰かけた恰幅のいい中年女性は澄まし顔をし、低い方ではトランプの兵隊に囲まれた青いワンピースの少女がそわそわ落ち着かない様子で立っている。
何をしているところなのだろう? 観察していると、先の白ウサギが高台に駆け登りラッパを吹いた。
「ただいまより開廷する」
「裁判するの? どうして?」
少女が首をかしげたが、ウサギは取り合わずに言葉を続ける。
「裁判長はハートの女王陛下」
女王と呼ばれた中年女性は、持っていたハートの錫杖を振り回し、戸惑う少女を睨みつけた。
「この娘が今回の事件の犯人であることは間違いない。なぜなら――この私がそう決めたんだから!」
「そんなのってないわ」
推理が始まるかと思いきや、これでは一方的な決めつけである。思わずドナルドを見ると、もうちょっと様子を見ようと首を振られた。
「被告アリス。何か言いたいことがあるかね」
女王は余裕たっぷりにアリスを見下し、さも自身が慈悲に溢れた賢君であるかのような振る舞いを見せる。勇気あるアリスは強気に反論した。
「あります。私、悪いことなんてしてないもの」
誰も反論するとは思っていなかったのだろう。トランプの兵隊たちがぎょっとした顔でアリスを見る。
「女王かなんだか知らないけど、あなたみたいなわがままな人、今まで見たことないわ」
「おだまり! この私を怒らせる気かい!」
湯で上がったタコのように顔を真っ赤にした女王は、そのたくましい腕を机に叩きつけ唾を飛ばしてわめき散らした。家来のものたちはみんなオロオロするばかりで、さすがのアリスも女王の大声には圧倒されている。
どうやらこの世界は期待していた通りではないらしい。庭に感動していた気持ちはすっかりどこかへ行ってしまった。
先頭で静観していたソラが振り返る。
「なあ。あの子を助けてあげようよ」
「でもねえ」
「ドナルドも、あの子が悪い人には見えないでしょう?」
「そりゃあ、僕だって助けてあげたいと思うけど……」
なお渋るドナルドに不満を示すと、グーフィーが考えるそぶりをした。
「それって勘定することになるんじゃない?」
「干渉=v
すかさずなされるドナルドの訂正に、グーフィーは「そう、それはダメなんだよね」と頷いた。世界を渡る者は、その世界の秩序を守らなくてはならない――確かに旅立ちの寸前にドナルドが教えてくれたが、悪事を働かないとか、ごみを捨てないとかだ思っていた。まさかこんな理不尽に手を貸すことすらできないなんて。
「判決を言い渡す! 被告アリスは有罪!」
まともな審議もないまま、女王はアリスに錫杖を突きつける。
「ハートの女王である私を襲い、ハートを奪おうとした罪である!」
ハートを奪う者。とっさに三人と顔を見合わせあった。やはり、アリスは冤罪だ。
「この娘の首をはねよ!」
命令に従い、大きな斧を持ったトランプ兵が身構えアリスに近づく。
「いやよ! 助けて!」
アリスの悲鳴で、ついにソラが駆け出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
女王のギョロリとした目がこちらを向く。その鬼のような形相に思わず足がすくんでしまった。
「何だおまえたちは? 裁判の邪魔をする無礼者め!」
「俺たち、真犯人に心当たりがあるんだ」
「そうそう。ハートレ――」
"ハートレス"という名称は他の世界でつけられたもの。他の世界のことは教えてはならない約束を寸でのところで思い出し、グーフィーが己の口を押さえつけた。
「とにかく、その子は犯人じゃありません」
ソラがアリスを指差し女王をまっすぐ見る。女王はつまらなそうに台座へひじをついて、錫杖をパタパタ動かした。
「バカをお言いでないよ。なら証拠は?」
ソラが言葉をつまらせる。そっちだってアリスが犯人だという証拠を示してなどいないのに。しかし、ここで引き下がったら無実のアリスは首をはねられてしまう。
「証拠ならあります!」
「フィリア?」
とっさに叫んだが、頭のなかは真っ白だった。でも今はソラが隣にいる。だから恐れる必要はない。
女王が顎を上げて目を細めた。
「ほう、あるのかい。ならお見せ」
「ええと……今はありません。けれど、捜せばきっと……」
「なんだって?」
カバのように大きな口がグワッと開き、大声で怒鳴られる。
「証拠があるのかないのか、ハッキリおし!」
頭で理解していても、今まで見たこともないほどに恐ろしい顔で睨まれて、とっさに目を瞑りソラの後ろに隠れてしまった。
「だから、今は、まだなくて……」
やっとそうっと顔を上げると女王は鼻の穴を膨らませ、カンカンに怒っていた。
「あやしい奴らめ。この私をだまそうとしてるね!」
「だましたりするもんか! 僕たちはあの子の弁護人だっ!」
反論してくれたのは、あれほど躊躇ってたドナルドだった。グーフィーも彼女の威圧に動じずニコニコ伝える。
「ちょっと待っていてくれれば、ちゃんと証拠を持ってこられるよ」
「……ふんっ」
女王はしばらく剣呑な表情を続けていたが、やがてどっかり背もたれに寄りかかった。
「いいだろう。弁護人に命じる。アリスが無罪だというのなら、その証拠を捜しておいで!」
女王の命令で、アリスが鳥かごの型の牢屋に入れられてしまう。
「証拠がなければおまえたちの首もはねてやるからね!」
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