シップと世界を繋げられる場所は限られている。チップが指定した入口は特大の落とし穴みたいな洞窟だった。底が見えない通路のなかをふわふわゆっくり落ちてゆく。途中でグーフィーが悠々と泳ぐ仕草をしたのが面白かったので真似してみると、慌て顔のソラに止められた。なぜか訊ねる前に、帽子を押さえたドナルドにも「フィリアはやっちゃダメ」と言われてしまった。
ついに床が見えたときには、だいたい雰囲気が分かってくる。土だった壁は綺麗に敷き詰められた煉瓦に変わり、テーブルや暖炉のような生活感のある家具たちがポツポツ宙に浮かんだ状態で置かれていた。
「誰かのおうちなのかな?」
「何が出てきてもおかしくない。心構えだけはしておくんだよ」
ソラのフードに潜むジミニーの忠告に頷きながらも、かわいらしい世界だったし、きれいなものがたくさんある素敵なところであってほしいと期待する。ようやく着地したときには、グーフィーはすっかり寝てしまっていて、受け身もとらずにドデーンと落ちた。ソラとびっくりしている横で、ドナルドがやれやれと息をつく――そんなときだ。
「大変、大変、遅刻! あの方きっとお待ちかね」
まるで出迎えのように、パタパタ足音が近づいてきた。上等な赤いスーツに身を包んだ初老の白ウサギが慌てふためいた様子で走ってきている。彼はぜぃぜぃ息を切らしつつ、十一時二十五分を指す大きな懐中時計を幾度も覗き、その度に焦っていた。
「急いでいかなきゃまた叱られる。今度のわしの首が飛ぶ」
こちらをチラリともせずに、側を通りすぎてゆく白ウサギ。床に倒れたままだったグーフィーがやっとのんびり顔をあげた。
「しっちゃかめっちゃか遅れちまって、歩いてたんじゃ間に合わない」
彼は短い足を歯車のように動かして、かくかくカーブを切りながら通路を曲がり壁の向こうへ消えて行った。
メルヘンチックな見た目の割に、物騒な単語が気になるが……。
「ずいぶん、慌てていたねぇ」
「俺たちも行ってみよう!」
通路の突き当たりにあった三枚の扉を開き中に入ると、かわいい小部屋で行き止まりになっていた。小さなベッド、ぬいぐるみ、ピンクとブラウンで描かれた市松模様の床――女の子の部屋かしら――ほんのり想像していると、足元を先程の白ウサギが手のひらサイズになって駆けて行く。さっきの彼はせいぜい自分の腰くらいの高さはあったはず。驚いている間に、白ウサギはそのサイズにピッタリの扉を開けて行ってしまった。
ポカンとしたソラが扉の前でしゃがみこんだので、その隣に倣う。小さい以外には金ぴかのドアノブがついているだけの、ごく普通の扉に見えた。
「どうしてあんなに小さくなったんだろ」
「おまえさんが大きいだけさ」
ソラの疑問に答えたのは知らない声――目の錯覚でなければ、今確かに
「どっ、どっ、ドアノブがしゃ、きゃっ」
「しゃべった!」
後ずさったらベッドにぶつかり、弾みでベッドが壁に収納されてしまったせいで更にバランスを崩して盛大に尻もちをつくという惨事に見舞われたが、言葉の続きをドナルドが継いでくれた。一方でドアノブは、こちらの驚愕に取り合わずに大きなあくびを繰り返している。
「あんまり大きな声だから、目が覚めちまった」
「おはよう」
挨拶したグーフィーに、彼は迷惑そうな顔を向ける。
「おやすみ。もう少しねかしとくれ」
「待てよ」
ソラが慌てて手を伸ばす。
「どうすれば小さくなれるんだ?」
「薬があるじゃないか。そこにさ」
ぽんっと音がして振り向くと、手品のように白くて丸いテーブルが現れた。ブルーとオレンジのラベルが巻かれた薬ビンがそれぞれふたつ、その上にちょこんと乗っている。
「これかを飲めばいいのか?」
「あっ、ソラ――」
ソラがブルーのラベルのビンを取って、ためらうことなく一口飲んだ。するとあっという間にしゅるしゅるソラの体が縮んでゆく。
「ソラが、本当に小さくなっちゃった!」
「これなら、あの扉を通れるねぇ」
「みんな、薬を飲もう!」
続いてドナルドが飲み、グーフィーが飲んだ。最後に自分の番が来て……ふと、間接キスという単語が浮かんだが、もう三人も飲んでいるのだ。意識することの方が恥ずかしいことに思え、飲み口を指で軽くぬぐってゴクンと飲んだ。中身は様々な甘いものがいくつもまじりあったような味で、あまりおいしいとは思えなかった。
全員が縮んでからもう一度小さな扉の前に行くと、ドアノブはすでに深く眠り込んでしまっていて扉を開けてくれなかった。けれど、先ほど自分が転んだベッドの足元に隠れていたネズミの穴のような通り道をソラが見つけたので、叩き起こす必要はない。
道の先からは澄んだ空気の気配がした。ドアノブが生きている世界。次はいったい何と出会えるのだろう。ワクワク早足に進むソラに遅れまいと、彼の横まで小走りした。
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