Χブレード。
自分はΧブレードのためにいる。
今まで自分が欲していたものは、存在の理由だったのだ。
Χブレードが完成すれば全てを奪うことができ、失敗すれば飲み込まれる。ヴェントゥスと存在すら賭けて奪い合うのだ。今までさんざん苦しむ元凶であったあいつと。負けるつもりはない。今すぐにでも、その時がくればいいのに。
「Χブレードを手に入れるまで、我らは慎重に行動しなくてはならない」
闇の回廊を進みながら、マスター・ゼアノートは説明を続ける。
「何より、エラクゥスとイェンシッドに計画を悟られるわけにはいかん」
「邪魔なら、消せばいいだろう」
「双方ともにキーブレードマスターだ。うかつに戦うようなことになれば、計画は失敗するだろう」
「じゃあ、どうするつもりなんだ?」
すでに策は決まっているらしく、マスター・ゼアノートは薄ら笑う。
「おまえの感情により生まれし魔物――あれで、やつらを分散させる」
「あれを? 使えるのか?」
放っておけば好き勝手に暴れまわる魔物たち。ある程度、たとえば立ち入らない場所を指定することくらいならできるだろうが、様々な世界にばらまいた魔物を全て操りきることは不可能だ。
「あの程度の存在がはびこるくらいならば、まずは弟子を遣わすはずだ。あれらと戦わせ、成長させる。あやつらには、もっと力をつけてもらわなければならないからな」
「Χブレードに必要なのは、ヴェントゥスひとりだけだろう?」
訊ねた途端、マスター・ゼアノートが足を止めたのでこちらも止まる。
「ヴェントゥスにとって、鍵となる存在であろうテラ。あの心に潜む闇には期待できる。我が器にふさわしい……」
「器……?」
そう口端を釣り上げる顔にぞくりとする。マスター・ゼアノートがたまに見せる、底知れない不気味さがそこにあった。
「アクアという弟子もいたな。あれは万が一にも、ヴェントゥスが使えなくなったときの予備として生かしておけ」
「わかった」
「ヴァニタスよ。魔物を世界にばらまくのだ。できる限り広く、多くの闇をな」
闇の回廊が終わり、静寂に包まれた森へ移動する。この世界で用があるらしいマスター・ゼアノートと別れ、魔物を解き放つ作業が始まった。
「あいつなんかに、いったい何ができるんだ?」
少々、やけになっていた。計画にフィリアまでも利用するというが、キーブレードを使えない者をどうしてわざわざ起用するのか。人質が必要ならば、ちょうど予備のアクアがある。
マスタ・ゼアノートは軽く目を伏せて言った。
「あの娘の能力が目覚めれば、計画はより揺らぎないものとなる」
「能力? キーブレードも使えないやつだぞ」
「知ってしまっても、知らぬふりはできるだろう。しかし、知らなかった頃には戻れぬのだ」
もったいつけた説明にいらつきが増す。「そう剣呑な顔をするな」とたしなめられた。
「かつて私が世界の広さを知らなかったように――あの娘はまだ知らぬのだ。妬みや恨み、憎しみや殺意を」
「それを知らないからって、なんなんだ?」
「心のたった一部の側面しか知らぬということだ。それだけでは足りぬのだ」
「……」
核心を早く話せ。目で訴えると、やれやれという顔をされる。
「われわれ誰にでもある、他者の心を感じる力。あの娘には才能がある。使い物にするには、もっと清濁を織り交ぜた多くの心と触れあわせ、学ばせる必要があるが……」
先ほど、マスター・ゼアノートはエラクゥスが孵化を恐れていると言っていた。学習させないようにしているものといえば。
「戦闘を禁止されているのは、それのせいなのか?」
「勝利への欲望、相手をうち負かそうとする敵意――いくら愛するものが相手でも、あの瞬間は負の感情が入り混じるものだ」
フィリアはいつもキーブレードに対し嫉妬しているが、嫉妬される側ではない。魔法の競争でヴェントゥスを負かすことはあったとしても、結局は絶対的弱者。ヴェントゥスの不満は己の未熟に向けられて、彼女が憎まれたり恨まれる姿は見たことがない。
「他者からまっすぐ向けられる想いは強い。もし心の闇を延々と感じ続けていれば、鋭敏で弱い心はたやすく己を見失うだろう。そのため、エラクゥスはあの娘を無力で無害な存在にさせておく必要があったのだ」
しかし、いまはフィリアに魔法の修行を許している。マスター・エラクゥスとは随分と甘く不器用な男なのだと思った。
それにしても、それほど心の感受性が強いならヴェントゥスの精神の先にいる自分に気がつかないものだろうか。もし彼女の心が十分に成長したら、言わなくてもこの想いが伝わったりするのだろうか。
「でも、それが、Χブレードとどう関係するんだ?」
「Χブレードの完成により、キングダムハーツが現れることは教えたな。その登場をより確実なものにするためだ」
「俺が失敗すると思っているのか!?」
寄りかかっていた岩から背を離し、拳を戦慄かせる。マスター・ゼアノートと自分の間に信頼があるかどうかは今でもよくわからなかったが、それでもその言葉は心外だった。
マスター・ゼアノートは涼しげな顔を変えずに言う。
「キングダムハーツは正しく世界の心が集まったもの。人ひとりに支えきれるものではない。あくまで、対の存在であるΧブレードが完成するまでの予備策だ」
「必要があるとは思えない」
言い捨てて去ろうとしたとき、次のひとことで足が止まった。
「その先を想像してみろ――もしΧブレードが完成しなければ、あの娘は消滅することになる」
Χブレードがなければ生きられない。自分がいなければ、フィリアは存在できなくなる。腹の奥まで響いてくるような、甘い甘い誘惑だった。
「計画が無事完遂すれば用済みだ。そのあとは、おまえの好きにするといい」
今は自分の存在すら知らない彼女が、自分を見つめるようになる。ヴェントゥスから全てを奪って作るΧブレードに縋って生きることになる。どうしたって手に入らないと思っていた。それを、ヴェントゥスたちを消して、自分だけのものに――。
「娘の存在がかかっていると思えば、あいつもΧブレードの完成に協力的になるかもしれんな」
「…………」
ばからしい。こんなこと、とてもばからしいことだ。
そう思ったものの、終ぞその言葉を言えなかった。
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