珍しく怒り顔のフィリアが見られたのは、手合わせの件で揉めたときのことだった。
「マスターったらね、テラとアクアに私とだけ手合わせ禁止って言ってたの!」
こいつは弱い。せいぜい、初級の魔法を撃てるだけだ。キーブレード使いでもない、誰もこいつに強くなることを求めていない。なのに、なぜ力を求めようとするのだろう。
フィリアから逃げ切って山道に来たヴェントゥスは、滝の側で足を止めた。弾んだ息を整え、軽く汗を拭う。
「私は手合わせをしたいの!」
「俺はフィリアが手合わせするのは嫌だ!」
「私、そんなに弱くないよ!」
「弱いとか、そうじゃなくて……」
「それじゃあどうして?」
「どうしてって……えっと……それは……」
どうして、だろう。
ヴェントゥスの自問が、水滴の波紋のように響いてくる。
フィリアが女の子だから? それならアクアとも対峙できないはずだ。けれど、彼女となら躊躇いもなく模擬戦ができる。
腕を信じられないから? アクアほど熟練してはいないものの、フィリアの魔法だって信頼できる。
「あーあ……」
ため息のような声を落としながら、ヴェントゥスが空を見上げた。無自覚の殻を剥がせないうちは、自分の内の真実にたどり着くことはないだろう。
「あんな顔、させたかったわけじゃないのに……」
傷ついて欲しくない、辛い思いをして欲しくない。俺が訓練で怪我をしてきたのと同じくらいフィリアも傷みを味わうのかと思ったら、俺がそれを与える側なのだと想像したら、かわいそうで耐えられないと思ったからだ。
やはり彼女には、安全な場所で笑って過ごしていてほしい。それが俺の力になる。
「つまり、やっぱり、あいつが弱いからじゃないか」
綺麗事な理屈を軽く笑い飛ばしてやる。
キーブレードも持たない弱者。大人しく庇護されていれば、光のキーブレード使いの「守ってやっている」優越感を満たしてやれる存在だということか。
フィリアの気持ちがわかった気がした。きっと、あいつは独りが怖いのだ。いつかヴェントゥスたちが手の届かない場所へ行ってしまって、帰りを待ち続けるだけの未来を恐れている。
「フィリアは戦わなくていい。マスターもそう言ってた」
「あいつはそれを望んでいない」
「大切な人だ、守ってあげたいんだ」
「そうやって、突き放すのか」
「ずっと、笑顔でいてほしい」
「あいつの気持ちなんて、少しも考えていないくせに」
特別の中の更に特別な感情に気づきもしないヴェントゥスに呆れながら、自分の中の違和感にも気づき、顔をしかめる。どうして自分はあの女にここまで肩入れしているのだろう。ただ魔法が少し使える程度の、ちっぽけな存在なのに――。
「……フィリア……」
思いつきの行動だったが、初めてあいつの名前を言葉として呼んだ途端、心に何かが広がった。その感覚は、今、ヴェントゥスの精神の中で眺めていたものと酷似している。
「?………………!?」
片手で片目ごと顔を覆う。自分自身、信じられないことで、動揺していた。
「フィリア、まだ怒ってるかなぁ。もう少し経ってから戻ろう」
己の正解を確信したままのヴェントゥスが、時間を稼ぐために山頂へ向かって歩き始めた。
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