木々はお互いに枝や葉を重ね合わせ、空からの光をほとんど隠してしまっていた。おかげで森の中はほの暗い。
少し先を走っていたヴェントゥスがいきなり立ち止まって、キーブレードを呼び出した。フィリアも足を止めてそこを見ると、目の前の地面に何かがいた。血のように赤い瞳をもった魔物。
「また、こいつら!」
魔物たちがフィリアたちを取り囲むように次々と現れる。地面に半身を沈ませているものや大きな爪をもったものなど、特徴は様々だったがどれも赤い瞳でこちらを見ていた。
初めて見る魔物だったが思い当たる名前がひとつある。あのときエラクゥスが言っていた、負の感情に芽生えし魔物。
「ヴェン、アンヴァースだよ!」
「アンヴァース?」
ヴェントゥスが近くにいた一匹からの攻撃をキーブレードで防ぐ。他のアンヴァースもいっせいにこちらに向かって走ってきた。フィリアはヴェントゥスに頷きながら、両手に魔力を集中する。
「新しい敵だよ!――凍れ!」
魔法で作り出した氷が襲い掛かってくる2匹にぶつかる。氷に触れたアンヴァースの表面が冷気によって凍りついた。初めての実戦で魔法が成功したのにホッとするのもつかの間、すぐ後ろで金属音が鼓膜を貫く。大きな爪を振りかざしたアンヴァースからの攻撃をヴェントゥスがキーブレードで受け止めていた。近さから察するに、どうやら庇ってくれたようだ。
ヴェントゥスが剣に力を込めてアンヴァースを押し、よろけた隙に斬りつけた。倒れたアンヴァースは黒い霧のようなものになって消えてゆく。
「フィリア、俺の後ろに!」
「うん!」
ヴェントゥスに答え、すぐにその背後へ走る。
武器を持たない自分には、敵の攻撃を避けるかリフレクを唱えるしか身を守る術がない。リフレクは詠唱しなくても念じればすぐに発動する魔法だが、一瞬先、敵の動きを先読みする必要がある。敵に取り囲まれ襲われる中、そんな余裕も慣れもまだ自分は持ってなかった。
「俺が前に出るから、フィリアは後ろから魔法で攻撃して。あ、飛んでるやつには気をつけろよ」
「わかった。って、ヴェン前、前っ!」
「うわっ、とと!」
アンヴァースたちは森の奥――深い深い闇の中から湧き出るように現れてきている。世界はエラクゥスたちのおかげで光で溢れているはずなのに、この這い出てくる闇は一体――? ぞわりとフィリアの背筋に悪寒が走った。
「――燃えろー!」
不安を吹き飛ばすように、フィリアはヴェントゥスの横のアンヴァースに魔法をぶつけた。
アンヴァースを全て倒し、フィリアはヴェントゥスと再び森の中を進んでいた。
「フィリア、あそこ」
「え?」
ヴェントゥスが指す方向を見ると、誰かが森の地面に座り込んでいるのが見えた。女性だ。顔を両手で覆い隠し、怯えたように肩を震わせ泣いている姿はとても弱弱しい。先程の悲鳴はおそらく彼女のものだろう。
ヴェントゥスと一度顔を見合わせ、泣き続ける彼女に近づいてゆく。こちらに気づいていないのか、それともどうでもいいことなのか、すぐ側にやってきても彼女は一向に泣き止まない。
「どうしたの?」
ヴェントゥスがそっと声をかけると、女性はしゃくりあげながら可憐な唇を動かした。
「木が、木が襲ってくるの……」
「木が?」
予想外の答えに思わず周りの木を見上げてみた。もう何十年も生きているであろう大木はたくさんの蔦に絡まれて不気味な影を作り出している。
ヴェントゥスが泣き続ける彼女に手を差し出してやさしく言った。
「だいじょうぶ。たぶん、幻を見たんだよ。怖いって思う心が幻を見せるんだ」
女性の涙が止まる。滴を指先で拭いながらやっとこちらを振り向いた。
彼女を見た途端呼吸を忘れた。まるでいつか本で見たお姫様のように、彼女はとても美しい女(ヒト)だった。身にまとっている物もそこはかとなく上等なものだとわかる。
雪のように白い手がヴェントゥスの手に触れて立ちあがる。その光景に体が強張るのがわかった。胸の奥からぐらぐら煮えたぎるような、それでいて凍えるほどに冷たいような不思議な感情が湧き上がってくる。こんな気持ち、今まで感じたことがない。
「ええ、ありがとう。元気が出てきたみたい。この分ならだいじょうぶだわ」
女性の笑みは仕草や身なりに相応しく気品に満ちていた。やさしげなほほえみと目が合って、不思議な気持ちを見透かされていまったのではと焦ってしまう。
気持ちが落ち着いたのか、彼女は疲労を滲ませた息を吐いた。
「でも、ずいぶん森の中を走ったからくたびれてしまったわ。休めるところはないかしら? どこか心当たりない?」
「休める場所? それならこの先に小屋があったよ。俺たちが一緒に行ってあげる。俺、ヴェントゥス。ヴェンって呼んで」
「あ……私、フィリア」
「ありがとう。ヴェン、フィリア。私は白雪ですわ」
「じゃあ、行こう」
ヴェントゥスが先に歩き出す。城まではまだどれほど距離があるかわからない。確実に場所がわかっているところへ案内したほうがいいと考えたのだろう。
……先ほどの気持ちは一体何だったのか。ヴェントゥスと白雪が先に歩いていく姿を見ていると、またドロリと溢れてくるような気がした。
「フィリア? どうしたんだ?」
ヴェントゥスが振り返る。白雪もつられてこちらを見た。
「なんでもない。……今、行くっ!」
この激しい気持ちはすごく怖くて、とても嫌な感じがする。
フィリアはそれ以上考えないようにと軽く頭を振って、二人のもとへ歩き出した。
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