突然足場を壊されて驚いたが、闇の中でちょうどよい具合に浮かぶことができた。
体の中に自分本来のものとは違う力が流れているのを感じる。ヴァニタスのものだろう。無理やりだけれど、こいつとも繋がることができたのか。
「おまえは抜け殻だ……」
余裕のない、真剣な表情をしたヴァニタスが目の前にいた。顔色は悪く、息の乱れを言葉を強めに言うことでごまかしている。
「俺は抜け殻なんかじゃない」
「黙れ!」
煩わしそうに、ヴァニタスの顔が歪む。いつもあの仮面の下で、こういう表情を浮かべていたのだろうか。
「俺を拒むことはできない!」
Χブレードから闇が混じった青い光が放たれたので、負けじと金色の光で対抗した。二色の光の洪水がぶつかりあって、きらきら闇の中へ溶けてゆく。
自分から別たれ生まれた心。許せないけれど、一方でこいつのことをもっとよく知りたかったと、そんな考えが浮かんで消えた。
「完全なる融合を果たせ!」
「断る!」
ヴァニタスの力が弱まった時を狙って押し切った。ヴァニタスがよろけている間に、宿る力をかき集める。
「――光よ!」
ラストチャージで何度も突撃を繰り返し、最後の一撃を繰り出す瞬間、ヴァニタスと目が合った。その刹那、時は止まり――すぐに流れる。とどめを刺す寸前、何を思ったのか自分でもよく覚えていない。ただ、見開かれた金色の瞳に少しの哀れみを感じたのは確かだ。
「……なぜだ……」
大きな光に貫かれたヴァニタスが、かすれた声で呟いた。その体は浮力を失い、闇の底へと落ちてゆく。
★ ★ ★
Χブレードから手を離してしまい、慌てて取り戻そうと腕を伸ばした。あれさえあれば、まだ戦える。しかし、届くはずの距離はなぜか絶対的に縮まらなかった。そのうち体がひどくだるくなってしまって、闇の深淵へ緩やかに落ちてゆく。Χブレードはその場に留まったまま、どんどん遠ざかってしまう。
女も、夢も、存在の理由も――必死に足掻いたけれど、惜しいところまでいったけれど、結局、なにひとつ手に入らなかった。
闇の存在であるはずなのに光の粒子となって消えてゆく己を自嘲したい気分だったが、それすらできる余力がない。
あぁ、ほんとうに消えるのか。
閉じたがる瞼を必死に開き続ける。この心が、思念が無かったことにされるのは嫌だった。滅びたくない。自分はいったい何のために――。
今際のきわに見えた彼女が、自分に向かって穏やかに微笑んでいた。幻想だ。それを向けられることは終ぞなかったのだから。
優しい声に呼ばれた気がして耳を澄ます。遥か頭上に離れてしまったΧブレードが儚く壊れる音を聞いた。
★ ★ ★
Χブレードが壊れたあと、右手のキーブレードも自然に消えた。
ヴァニタスだった光の粒子たちが、ある場所に触れる。そこから光が溢れ出し、輝いて、新たなステンドグラスが現れた。緑色で自分の姿だけが描かれたものだ。先ほどの絵に比べると寂しいものにも思えたが、完全に心がひとつに戻った証だった。
おかえり、ヴァニタス。
心の中で囁きながら、新たな足場に着地する。かけがえのないものを数多く失ったが、Χブレードを破壊することができたことに何より安堵を感じていた。
だけど、ごめん。
みんなに辛い思いをさせる。フィリアをまた泣かせてしまうかもしれない。もうその涙を拭ってやることすらできなくなるのかと思うと、たまらなく寂しくて悲しかった。
強い眠気がやってきて目を閉じれば、体が透けるように軽くなってゆく。いつか空を飛んだときの感覚に似ていた。楽しかった思い出が次々と胸の中を駆け巡る。
故郷で見上げた星空。蓮の花。本当の家族のように愛してくれた大切の人たち。
旅では、たくさん友達ができた。数え切れないほど知らなかったことを学んだ。様々な約束も交わしたがもう守れないし、それを謝罪することもできない。
あの時、フィリアに最後まで言っておけばよかった。きっとリンゴのように顔を真っ赤にするであろう姿を、壊れるほどに抱きしめたかった。
体の感覚がついに失われる。縛り止めるものはなにもなく、心はあるべき場所から遠ざかっていった。
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