魔法で傷を癒しても、失血などはどうしようもない。指先の感覚が冷えて鈍くなっているのを無視しなんとか立ち上がると、軽い立ちくらみに襲われた。こめかみから頬にかけてぬるい血が滴り落ちる。

「う……」

 膨れ上がる恐怖と不安から堪えるため、自然と唇を噛む。
 ヴェントゥスの素早さにヴァニタスの力強さも加わって、Χブレードの一撃は岩を砕き、返し刀で衝撃波を渦巻かせた。一方で、こちらの魔法はたやすく裂かれ、かき消される。隙のない圧倒的な力を前に勝つ算段を見いだせないでいた。
 岩にもたれたまま気配を探る。長剣を得意に振りかざす姿はまるで欲しがっていたおもちゃを手に入れた子どものようで、早期決着などつけるつもりはないらしく、こちらを何度も嬲り倒しては起き上がるのを待っていた。

「アクア、だいじょうぶかい?」
「ええ」

 片足を庇いながらミッキーが歩み寄ってくる。彼もあちこちに切り傷やアザを作っていて、もう長く戦い続けるのは難しそうに見えた。
 友の体を乗っ取った敵と戦う。ヴェントゥスとは修行時代に幾度も剣を合わせてきた仲だが、彼が絶対に向けてこないであろう殺意と狂喜の面貌で襲いかかってくる状況は精神的にかなり堪えた。

「友達だから、頼みたいんだ――俺を、消してくれ」

 心が弱まる度に脳裏に蘇る、彼からの頼み。戦慄く体を叱り、きつくキーブレードを握りしめて岩の隙間から這い上がる。

「フィリア!?」

 目に飛び込んできたのは、あいつがフィリアの首元を締めつけ、岩に押し付けている光景だった。フィリアは抵抗もせず、ただただヴェントゥスの頬に手を伸ばして何事かを囁いている。相手がヴェントゥスの姿であるせいか、戦えずにいるようだった。
 救い出さなくては。キーブレードの先を定め、魔力を宿す。するともう一本のキーブレードが横に並んだ。ミッキーと目配せあいながら、力を同調させ、高めあってゆく。

「いっしょに!」

 彼の合図で光の魔法、ホーリーバーストを唱えた。周囲に光の渦が現れて、洪水のように溢れ出してゆく。

「くらえ!」

 光の津波が届く直前、こちらに気づいたヴェントゥス=ヴァニタスがフィリアを突き飛ばすのが見えた。フィリアは倒れ、光の波の範囲から外れる。ヴェントゥス=ヴァニタス自身は光をまとも浴びて、苦痛の声を漏らしていた。
 なぜ回避しなかったのか。フィリアを盾にしなかったのか。まるでフィリアを守ったかのように見えた。フィリアが光に苦痛を感じることはないはずなのに。様々な疑問を頭を過ったが、すぐにΧブレードを構えなおした相手への警戒に意識を集中させた。

「この程度で敵うと思っているのか? 甘い……」

 頬を手の甲で擦りながら、ヴェントゥス=ヴァニタスが低くつぶやく。すると、次の瞬間には目にも止まらぬ速さで繰り出された突進が迫ってきていて、反射的にリフレクを唱えていた。耳に痛い音をたてリフレクの一部が決壊する。首の側まで侵入してきた刃の先端にひやりとしたが、面には出さずバリアクラッカーの爆発で反撃した。眩い光に相手が怯む。すかさずキーブレードを振り上げたが、残像を捉えただけで終わった。

「これで最期だ――

 はっと振り向くと、ヴェントゥス=ヴァニタスは少し離れた場所で蹲っていた。空気が強大な魔力によりざわめいている――なにかとてつもない攻撃がくる。
 発動させまいと必死に駆けたが、彼がΧブレードを地に突き立てる方が早かった。

「静かに眠れ……!」

 Χブレードを中心に地を奔る十字の閃光と、すさまじい衝撃波。グランドクロスだ。リフレクを唱えても耐えきれない。顔を両腕でかばって目を瞑り、身を焼かれるのを覚悟した。

「え…………?」

 しかし、いくら待てども熱や痛みがやってこない。おそるおそる目を開くと、いつのまにか何重にも張られた光の膜に守られていた。いったい誰がこの魔法を? 横を見ると、自分と同じ表情をしたミッキーも同じものにくるまれていた。

「アクア!」

 声のほうを見る。フィリアはヴァニタスに倒された場所のまま、祈るように両手を組み合わせていた。この強力な守護魔法を遠距離で、しかも複数、幾重にも唱えたのがまさか彼女だったなんて、驚愕を隠せなかった。自分はもちろん、きっとマスター・エラクゥスでさえこの芸当をこなすことは困難だろう。
 フィリアは強い瞳で、迷いなく叫んだ。

「おねがい!」

 頷いてヴェントゥス=ヴァニタスに向き直ると、彼もフィリアの方を見ていた。眼力の厳しさは保ったままだが、余裕のある穏やかな視線は優しささえ感じられ、違和感を覚える。

「いいだろう。おまえの都合なんか関係ない」

 ふっと笑う顔は不敵。絶対的強者の立場である者が浮かべる顔だ。

「おまえの大切なものを、ひとつ残さず消してやるよ」

 ヴェントゥス=ヴァニタスがこちらを見て、目を細めた。まだいくらもダメージを与えられていないが、こちらの残力は心もとない。

「……これは?」

 せめて回復魔法を唱えようと思ったとき、緑に煌めく魔法がそよ風のように流れてきて、ふんわりと肌を撫でていった。すると今まで体を蝕んでいた全ての痛みや苦しみが嘘のように消え、消耗した魔力すら潤いだす。
 どうやらこれもフィリアが唱えたもののようだが、ケアルガより上位の、おそらく究極魔法――いつか故郷の古い文献で見かけたフルケアではないだろうか。こんな魔法まで扱えるなんて。

「アクア、いこう」

 ミッキーがしっかりとした足取りで隣に立った。仕切り直しだ。

「ヴェン。もう少しだけ待っててね」

 キーブレードの柄に取り付けたチャームが小さく鳴った。




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