まだか。
かつて鍛え上げた肉体は時の流れに従って、今や思い通りに動かない。魔法を駆使することでかろうじて凌げているものの、若く力強い剣には勝てぬ。いい加減、やり過ごすのも限界に近かった。
「うおおおおおっ!」
サンダガの雨をかいくぐって、テラが怒りの一撃を下さんとばかりに接近してくる。黒銀のキーブレードを横に構えた。
Χブレードよ。まだなのか。
少年の頃夢に見た、未だかつて誰も到達したことがない世界の果て――恋愛小説の乙女に恋する青年ように、ずっと焦がれ続けてきた。そのために何もかもを捨ててきた。これからもだ。もう少しで手に入る。知ることができる。だから、この場をなんとしても耐えねばならない。
一際大きな音を立てて、テラの剣に弾き飛ばされる。曲がり、手を添えねば痛む腰には支えきれる衝撃ではなかった。なんとか無様に地へ伏せることはまぬがれたが、キーブレードを支えに片膝をついた。
「…………」
テラが無言で近づいてくる。その瞳は美しいほどに怒りと憎しみが渦巻いていた。エラクゥスの仇を討ちたいのだろう。
まだ、負けるわけにはいかない。老体に鞭打とうとしたときだ。地が揺れ、眩い閃光がはしった。世界の空気が変わる。
「おぉ……!」
ちょうど、自分の正面にそれはあった。感嘆を漏らすなど、あの日の夜、ヴェントゥスがキーブレードを掲げた時以来かもしれない。
「あれを見ろ」
「……?」
テラはいぶかしむような表情で、それでも素直に背後を見た。天に伸びる一筋の光に目を見開く。
「Χブレードの完成だ!」
「ヴェン!」
テラの絶望も、またちょうどよい闇となる。キーブレードを地から抜いた。これで全てが完成する!
「次は我々の番だ、テラ!」
「なに!」
キーブレードを己の胸に突き刺した。テラはただ驚いた顔のまま棒立ちしている。
「この時を待っていた!」
体が光を帯び、キーブレードが消失してゆく。胸元から丸く輝く心がほろりと出た。
「老いて脆弱な器を捨て、若く強い肉体を手に入れようとな!」
心がふわふわ空に浮かぶ。肉体の感覚が徐々に消え失せてゆき、緩やかに消滅しようとしていた。
「これで見届けられる……キーブレード戦争の先に待つものを!」
まっすぐにテラを見た。まったく素晴らしい、理想通りに育った器。優しすぎたヴェントゥスには足りなかったものが彼にはある。
「おまえの闇が、我が器となるのだ!」
指すと同時に心がぎゅん、と降りてきて思ったとおりにテラへ向かう。最後、戸惑っていたテラが鎧の装着装置に手をかけたのが見えた。心が触れる。鎧の発動による光は、心が根付いた闇により消え失せた。
微笑みを浮かべたまま今度こそ“ゼアノートだったもの”が消える。静寂の支配のなか、残されたのはひとり。その体からガラガラと鎧が剥がれ落ち、地に散らばった。
「……心は闇に帰った」
足元に落ちた、主を失ったキーブレードを見つめながらつぶやく。
「世界は闇に始まり、闇に終わる……」
頭上より降り注ぐ、キングダムハーツの青白い光。祝福の光だ。
「心も同じだ。心に芽生えた小さな闇が、やがて心のすべてを飲み込む。それが心のあるべき姿……」
己の信念は正しいと証明された。だからこそ、この結末へ至れたのだ。
「あらゆる心は、闇に帰るべきなのだよ」
いずれ、世界の全てもおまえたちのように闇に返そう。協力してくれたテラへ、エラクゥスへ別れの言葉のように告げる。
これでひとつが終わり、次が始まる。いつもの黒銀のキーブレードを呼び出して歩き出す。これからΧブレード戦争のためにすべきことが山ほどあった。
円形の崖上を半分以上進んだときだ。突然、宙に巨大な金の鎖が走る。それはいくつも現れて絡み合い、空間を締め上げる。
「なに!」
あっという間に閉じ込められた。この鎖には見覚えが――いいや、忘れるものか。旅立ちの地で幾度も見たことがある。
背後の気配に気づき振り向いた。バラバラになっていた鎧が組み立てられ、キーブレードに縋るようなかたちで静かに地へ両膝をついている。テラ――あのまま消滅しておけば良いものを。小賢しい。
「思念となってなお逆らい、留まろうというのか!」
鎧が動き出し、立ち上がる。ゆっくりキーブレードを掴み抜くと、あの男と同じく構えた。
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