ヴァニタスとゼアノート。二人を一度に相手にすることは容易なことではなかったが、なんとかフィリアの側の近くまでたどり着くことができた。
 自分とフィリアの間へ執拗に割り込んでくるヴァニタスが闇の回廊の中から斬りかかってくる。渾身の力で押し返すと、ヴェントゥスと同じ身長の彼は舌打ちをしながら大きくこちらから距離をとった。

「フィリア!」

 滑り込むように走り、左腕で掬うように抱きかかえる。たやすく持ち上げられたフィリアの体温はぞっとするほど冷たくて、生きているか疑いそうになるほどだった。

「フィリア、目を開けろ!」

 敵からの攻撃を警戒しながら彼女に呼びかける。何を考えているのか、ヴァニタスもゼアノートもフィリアを取り返した途端、静かにこちらを見つめ始めた。

「…………テラ……」

 周囲の雑音で聞き逃しそうなほどに小さな声が、自分を呼ぶ。ぐったりとしたフィリアは薄らと目を開き、うつろな視線でこちらを見上げた。

「フィリア、だいじょうぶか?」
「テラ……テラ。おねがいが、あるの」
「なんだって叶えてやる。だから、しっかりしろ」

 今にも消えてしまいそうな儚さは、マスター・エラクゥスとの最後の会話を思い出させた。フィリアはひとつ息を飲み込んだあとに言う。

「私を消して。ヴェンをたすけて」
「な――

 思ってもみなかった言葉に返事すらできなかった。フィリアは目を細め、胸を上下させるほど辛げに呼吸を繰り返す。

「私は……もう……だから、ヴェンを……おねがい」
「ばかなことを言うな!」

 闇に蝕まれてはいないはず。なのに、どうしてここまで弱っている? 天を陣取るあの光が関わっているのだろうか?

「……ああ。俺はヴェンを助ける」

 戦うため、フィリアをそっと地に寝かせる。

「そして、おまえのことも守ってみせる」
「テラ……」
「もう少しだけ、待っていてくれ」

 ゼアノートに何をされたのかは知らないが、絶対に諦めない。誓ったのだ、必ず守ると。



 ヴァニタスの魔法を回避し、ゼアノートにありったけの力を込めて斬りかかる。剣は力の衝突により小刻みに震え、金属音と火花を散らした。
 歪んだ笑みを浮かべたゼアノートは、自分の背後にいたヴァニタスに命令する。

「ヴェントゥスのすべてを奪い、アクアを消せ」

 ヴァニタスは無言で頷き、自分たちとは逆側の崖へ向かってゆく。あの先に、ヴェントゥスとアクアが――。ヴェントゥスとヴァニタスを戦わせるわけにはいかない。慌ててヴァニタスを追おうとすると、再びゼアノートに行く手を塞がれた。反射的に立ち止まっている間に、ヴァニタスはまっすぐ飛び降りてゆく。

「おまえはヴェントゥスもアクアも救えん!」

 この男を倒さなければ――

「己の無力に怒るがいい!」

 この男を倒す力を――

「怒りを力とするのだ!」

 どんな力でもかまわない。

「……許さんぞ。ゼアノート! 我が師、いや、我が父エラクゥスだけでなく、フィリアも――あの二人まで!」

 体の奥深くから湧き上がってくる力。師を傷つけた闇の力――。エラクゥスの心配を、アクアの警告を忘れたわけではない――けれど。

「そうだ、いいぞ! もっとだ! 怒りで心を闇に染めあげろ!」

 怒りを収めることができない。自分から何もかもを奪おうとしているこの男が許せない。憎くて、憎くて仕方がない。

「だめ、テラッ!」

 その時、フィリアの声が届く。
 急いで後ろを振り向くと、疲弊しながらも立ち上がろうともがくフィリアがいた。こちらを見て、悲愴な表情を浮かべている。

「それ以上、闇に――

 言葉の途中でその足が凍り、大きく後ろへ傾いてゆく。

「フィリア!」

 走って手を伸ばしても、距離がありすぎて届かない。いつも繋いでいた手はこちらを求めて伸ばされたまま、掴むことなく崖下へ消えていった。

「う、あ……あ……あ、ああああああああっ!!」

 堰が切れたように体から闇が溢れ、立ち昇り、自分のすべてを包んでゆく。我が身を食い尽くさんばかりの憎悪を込めて、目の前で笑う男に剣を向けた。




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