階段を転げ落ちるような勢いで降りて、マスター・エラクゥスの前を横切った。

「なにごとだ」
「帰ってきたんです!」

 話す時間すら惜しい。
 そのまま走り続け、入口のドアノブを力いっぱい動かして、扉が開ききる前に名を呼んだ。

「ヴェントゥス!」
「フィリア――!?」

 前庭にいたヴェントゥスが、ポカンと足を止めこちらを見上げた。
 会いたかった。会いたかった!
 離れていた時間は一日ほどだったのに、何週間ぶりにも、何ヶ月ぶりにも感じられた。
 彼の戸惑う様子など気にも止めず、ただただ嬉しさのあまり駆け寄って、勢いのまま抱きついた。

「おかえりなさい!」
「う、うん」

 そっと肩を掴まれたとき、やっと己の大胆さを自覚し、パッと離れる。

「ごっ、ごめん、つい」
「フィリア。どうしてここに?」
「それは……」

 そこで、ヴェントゥスの声の張りがいつもと違うことに気がついた。緊張しているというより、不安を抱えていると表現した方が近い。彼が今、とても深刻な問題を抱えているのだと直感した。

「ヴェンこそ、何か……」
「ヴェントゥス一人か? アクアといっしょでは――

 訪ねかけたとき、マスター・エラクゥスがやってきて、階段を降りながらヴェントゥスに話しかけた。会話の遮りにならないよう、ヴェントゥスの隣に移動する。
 ヴェントゥスはチラリとも笑顔を見せず、難しそうな顔で俯いていた。マスター・エラクゥスが片膝を地につけて、彼の両肩に両手で触れる。

「いやー、しかしよく戻ってきた。おまえが旅立つにはまだ早い。もっとこの地で修行を積んで――
「閉じ込めるのか?」

 怒りを孕んだヴェントゥスの声に、マスター・エラクゥスが言葉を止める。

「何?」
「そうやって俺を、この世界に閉じ込めているんだな」

 らしくなく苛立ちをあらわにして、ヴェントゥスがマスター・エラクゥスを睨みつけた。ヴェントゥスから手を離し、立ち上がったマスター・エラクゥスの表情も険しくなる。

「何を聞いた?」
「俺がχブレードになる――χブレードって何だよ!」

 きーぶれーど≠ヘ選ばれし者が扱うもの。ヴェントゥスの言っている内容が分からず、ただ混乱した。自分と離れていた短い間に、彼に何があったのだろう。想像するための材料など何もなかったが、「まさか」と思い浮かぶことならあった。彼の過去だ。

「ヴェン……落ち着いて。そんなに怒っていたら、ちゃんと話せない……」
「やはりゼアノート。あきらめていなかったか――

 マスター・エラクゥスには、ヴェントゥスの話の内容がわかっているようだった。
 顔の古傷を指先でなぞりながら呟かれた言葉を引き金に、マスター・ゼアノートのことを思い出す。承認試験の日に行方不明になった人。マスター・エラクゥスの古知で、底が見えない金の瞳。

「あっ?」

 突然、マスター・エラクゥスに手首を掴まれ引っ張られた。わけがわからないまま従えば、マスター・エラクゥスの背後に立つかたちとなる。

「ゼアノート――あの時、おまえを止められなかった我が過ち……ここでたださせてもらうぞ」

 マスター・エラクゥスの手に光が溢れ、薄茶色の柄と黒鉄の刃のキーブレードが現れた。隙のない構えには、殺気がある。手合わせや模擬戦など比べ物にならないほどの覇気にその場のすべてが支配された。
 直接己に向けられたものではないが、彼ほどに鍛え抜かれた者からの鋭利な気迫に立ち会って、動けなくなる。

「マスター、何を――

 キーブレードを向けられたヴェントゥスが怯えて後ずさった。マスター・エラクゥスは、剣先をぶれさせることなく言う。

「χブレードは世界に存在してはならぬもの。ゼアノートの真意を知った以上、ここで封じなければならん――

 封じる? ヴェントゥスを? マスターが? 封じられたらヴェントゥスはどうなってしまうのだろう。きっと消滅まではしないだろうが、二度と会えなくなるだろう。マスター・エラクゥスの胸の内にどんな事情や納得があったとしても、そんなこと、絶対に

――だめっ!」

 全身から絞り出すように声を出せば、つられて体も動きだした。しかし、ヴェントゥスの元へ行く前にマスター・エラクゥスに右の手首を掴まれる。

「フィリア、下がっていろ!」
「やめて、マスター! ヴェンを封じるなんて、そんなのいやです!」
「おまえが口を挟むことではない!」
「おかしいです! 今までずっといっしょに暮らしてきたのに!」

 マスター・エラクゥスの目元がひくりと痙攣した。キーブレードを握る手からは鉄が絞め上げられる音がする。厳しい決意の裏側で、本当はマスター・エラクゥスもこんなことをしたくないという気持ちが強く伝わってきて、ますます理解できなかった。

「従えぬと言うのなら、私はおまえを消さなくてはならなくなる」
「え……?」

 ついさっき「守る」と言ってくれたのと同じ口からの、同じくらい真剣な言葉だった。「言ったとおりだったろう?」と、あの少年は笑うだろう。悪い夢を見ているのだと思いたかった。
 ショックで棒立ちしていたせいで、マスター・エラクゥスがヴェントゥスに向き直ったとき、反応が遅れた。

「許せ、ヴェン! おまえは存在してはならんのだ」

 マスター・エラクゥスのキーブレードから放たれた光の鎖が、いくつもヴェントゥスに向かってゆく。

「やめっ……」

 これでは、あの荒野のときと――彼を失いたくないと、あれほど――

「ヴェン!」

 光の鎖がヴェントゥスを襲う前に、力強い男性の声が響いた。次の瞬間、光の鎖は砕け散って、ぱらぱらと宙を舞う。

「なに!?」

 マスター・エラクゥスが信じられないと言った面持ちで叫んだ。
 庇うようにヴェントゥスの前に立っていたのは赤い鎧を着た長身の男――テラだった。




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