小さな滝壺の足元には夜に咲く蓮の花がある。テラとアクアの試験の日には、思わず触れたくなるほど純白な花びらがほころんでいたが、今は汚らしく茶を混じらせた無残な姿なものが多い。
今年は星空の帰りに四人で眺められたものの、まだ全員では見ていない。
横目で蓮を眺めていたが、最後の小さな橋の上でどちらともなく足を止めた。
「今年の蓮も、あとわずかだ」
「みんなが帰ってくるまでには、とても間に合わなそうですね」
「残念です」と呟きながら、遠くの友たちに思いを馳せる。
ヴェントゥス、テラ、アクア。今、どこの世界にいるのだろう。ヴェントゥスは自分を迎えに来てくれているのかもしれないし、テラとアクアはちゃんと仲直りできたか心配だった。
「その時は、来年また皆で見ればよい」
「『この地がある限り、この地に芽吹く花もまたいつまでも、何度でも咲き続ける』から、ですね」
「そうだ」
「…………」
厳かに頷く横顔をチラリと見て、思う。訊くならきっと、このタイミングしかない。
短く息を吸い込んだあとの言葉は、想像していたよりもするする口から滑り出た。
「マスター。私、ずっとずっと昔から、疑問に思っていたことがあるんです」
「む?」
マスター・エラクゥスの視線がこちらに移ったのを感じたが、蓮を見つめたまま言った。
「蓮はここに芽吹いたのだから、この滝で咲くのは自然で、ごく当たり前のことです。……けれど、私はそうじゃない」
「……」
視線が少し痛くなった。唇が震える。息の仕方すら忘れそうだ。
「ここはヴェンやテラやアクアみたいな、キーブレード使いがいるべき世界なのでしょう? それなら……キーブレードに選ばれなかった私はどうして……」
マスター・エラクゥスの眉間に皺が寄ったことなんて、手から伝わる強張りで見ずとも分かった。
「どうして私はこの世界に、マスターの元にいたのですか?」
ついに、ついに訊ねてしまった。直後に浮かんだのは、達成の気持ちよりも後悔の念だった。もしも仮面の彼が言っていた通りだったならどうするのか。本当に知るべきことだったのだろうか。知ってしまったら、もう知らなかった頃に戻れないのに。
「確かにキーブレードのことのみを言えば、おまえは相応しい者ではない」
想像はしていたが、静かに放たれた言葉に胸を抉られる。
繋いでいた手がそっと引かれ、マスター・エラクゥスの方へ体を向けさせられた。彼が片膝を地についたので、星空のような瞳とちょうど高さが同じになる。
「しかし、おまえの幸福を願うなら。私が知りうる限り、この世界が最も適当なのだ」
「えっ……?」
解釈が間違えてなければ、世界の方が自分に合わせられたという意味になる。首を傾げるしかなかった。
「マスター? その……意味がよくわかりません」
「それでも、私が心の底から真実を話していることは理解できるな?」
強い意思をもった漆黒の双眸。とても嘘を言っているとは思えなく、それに頷く。
「私には果たすべき使命がある。だが、おまえのことも守りたかった」
微塵も光がぶれない瞳をじっと見つめた。どこか切なさや苦しみを孕んだ声は、心の奥まで誠実に響いてくる。
「故に、私の近くにおまえを置いた。キーブレード使いではないおまえがこの世界にいたのはそのためだ」
「マスターは、いったい何から私を守ってくださっているの?」
「我らが戦うのは、全て闇の存在だ」
「なら、私は闇に狙われているってこと……ですか?」
「私の側にいれば、ありえん可能性だ。何も心配することはない」
頭を軽く撫でられたあと、話は終わりだと言わんばかりに立ち上がられた。これ以上質問されたくないというより、全てを答える気はないというのように。淡々となされた回答の裏にある真摯さと愛情は十分すぎるほど伝わってきたが、まだまだ質問し足りなかった。
だからせめて、最後にこれだけは確認したい。
「あの、マスター。あとひとつだけ教えてください」
「なんだ」
「わ、私は、マスターたちにとって邪魔な存在なんかじゃ……ありませんよね?」
「…………」
これまで淀みなく答えていたはずなのに、その時だけ奇妙な間があった。不安や恐怖のせいで感じたものだったのかもしれないが、心をべろりと舐められたかのような、ざわざわとした薄気味悪さが確かにあった。
「言ったはずだ。――私は、必ずおまえを守る」
嘘など微塵もない、きっぱりとした回答だった。だからもう、細かい疑問や疑心を隅に追いやって、彼を、マスター・エラクゥスをただ信じようと、そう思った。
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