しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはマスター・エラクゥスの方だった。
「ずいぶん魔力を消耗しているな。顔色も悪い」
「平気。少し、疲れただけです」
強がってみたものの、体に力が入らなくて、足元がふらつく。
「何を言っている。その状態では歩くのも辛いだろう。まだ備蓄にエーテルが残っていたはずだ」
「あ。待って、マスター」
そう言って近寄ってくる、城まで付き添ってくれようという仕草に、咄嗟に言葉を上げていた。
「どうした?」
「朝の鍛錬に来られたんでしょう? 私なら……ひとりで戻れますから」
矛盾と疑心暗鬼な気持ちを悟られたくなくて、なるたけ明るめに声を出す。まだ心も気持ちも整理しきれていないため、もう少し時間がほしかった。
しかし、望み叶わず。目の前に来たマスター・エラクゥスは片手をこちらに差し出てくる。
「遠慮することはない」
「けど……」
「おまえと話がしたいのだ」
そう言われてしまえば、もう拒めようはずもない。おそるおそる、右で師の手を掴んだ。彼と手を繋ぐのは何年ぶりのことだろう。硬くて暖かくて大きな手。テラと似ているが、こちらの方が少しだけ小さく感じられた。
「行こう」
気遣ってくれているのだろう、非常にゆっくりな速度で坂道に向かって歩きはじめる。
いつもテラと下っていた道。彼がいないときにはヴェントゥスと。マスター・エラクゥスと二人きりで歩くのは……もしかしたら、初めてのことかもしれない。
坂道にさしかかると、マスター・エラクゥスがくすりと笑った。
「覚えているか? 昔、この辺りでおまえが頭から転んだのだ」
「……ぼんやりと」
こういう過去の失敗話は、つい口を尖らせてしまう。
「私が泣いて、テラとアクアを困らせて。マスターがケアルを授けてくれました」
「まるで昨日のことのようだ」
マスター・エラクゥスが足を止めて、目を細めてこちらを見てくる。優しくて、包み込んでくれるような微笑みだった。
「……大きくなった」
「マスター? あの時と比べたら、当たり前だと思うのですけど」
しみじみ言われると照れくさいもので、もごもごと言い返す。こちらの気持ちを知ってか知らずか、マスター・エラクゥスは更に笑みを深くした。
「ああ、そうだな……」
懐かしむように言って、マスター・エラクゥスはまた歩き始める。
「…………」
なんだか、胸の中にもやもやとしたものがあった。
どうして今、一番にする話がソレなのだろう。先に問い詰めたいことがあるはずだろうに。
一定のリズムで砂利や草を踏む音が続く。会話を再開したのは、ちょうど蓮の滝が見えてきたところだった。
「外の世界は楽しかったか?」
「――とても」
ついにやってきた問いにドキリとする。何から質問されるだろうか。
「見るもの、触れるもの。なにもかもが初めてで、不思議で、すごく楽しかったです。たくさん友達もできました」
「友、か」
「はい。初めの世界では、まず白雪と友達になりました。森の中で『木が襲ってくる』って泣いていて……」
会話の流れのまま、白雪姫とドワーフたち、シンデレラにジャック、三人の妖精たちにリア、チップとデール、ザックスとヘラクレスたちのことを、詳細をぼかしながら話し始めた。マスター・エラクゥスは時折頷きを挟みながら聞いてくれる。
焦りからか饒舌に語った。しかし話せば話すほど、強くなってくる違和感に首を傾げたくなってゆく。
――どうしてだろう?
宇宙船で会った生きもののことを話す前に、ついに我慢できず滝の前で足を止める。マスター・エラクゥスが振り向いた。
「どうした? 速かったか?」
「いいえ」
俯いて首を横に振る。
だって、ほんとうにおかしい。彼らしくない。
厳しいときは、優しくしてほしいと思っていた。けれど普段、覇気に溢れる峻厳な人が温厚で優しいと――罪悪感を抱いている今は殊更に――恐くなる。儚く消えてしまうような、遠くに離れて行ってしまうような距離感や、不安や寂しさがこみ上げてくるからだ。
「マスター」
手に力を込める。何かに祈るような気持ちを込めて言った。
「私が勝手にいなくなったことについて、何も訊かれないのですか?」
「おまえが無事に戻ってきた。今はただ、それだけでよい」
先ほど「たくさん探した」と言われたことを思い出し、唇を噛む。
絶対に許可は下りなかったであろうから、無許可で旅に出たことについて後悔はしていない。だけど、書置きすらしなかった。何も配慮をしてこなかった。
「……心配かけて、ごめんなさい」
「ああ」
そして、これでもまだ信じきれなくてごめんなさい。
皆までは言えず、顔は上げられなかった。
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