闇の中を落ちて、落ちて、いきなり光に包まれた。
「きゃっ、あっ!」
ベッドと同じような高さから落下した痛みに呻く。目に光が染みた。まだ太陽に温められていない澄んだ空気の肌触りからして刻は早朝、場所は……。
「ここ……」
石のベンチ、黄金の鎖に縛られた岩山たち、遠くに見える城。いつもみんなで来ていた故郷の山頂からの景色だった。
ちゃら、と音が降ってきたのでそちらを見る。すぐ側にキラキラと降ってくる光の破片があった。それらを全て出し切ると、闇の回廊は空に溶け消える。
「……あ……」
変わり果てた姿になってしまった、つながりのお守り。フレームはぐしゃりと歪み、五つの花びらのうち一枚だけが無事で、完全に色を失ったものが二枚、欠けているものが一枚、ヒビだらけのものが一枚という状態だった。
「――痛ッ!」
慌てて拾い上げようとして、指先に痛みが走ってまた落とす。割れたガラスの破片で切ってしまっていた。
「…………」
あの日、これを受け取ったのと同じ場所。大切にすると誓ったのもこの場所だ。
鼻の奥がツンとして、脆い気持ちがこみ上げてくる。
――落ち込む必要はない。アクアが帰って来たら修理してもらえばいい。作り直してもらうのとは違う。これでなければ意味がないのだから、自分にとって、たとえ彼からの情けであったとしても、取り返せただけで上々の結果だ。
……しかしそれでも、やはり悔しく、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「……どうして?」
どうして彼は、こうも自分たちを傷つけようとしてくるのだろう?
怒りに彩られた、美しい金の瞳を思い出す。甘く優しい声は凶器のように冷たくて、深く、強く憎まれていると感じた。光に与する己と闇に属する彼。敵対してしまうのは必然のこと――仕方のないことなのかもしれない。けれど彼の言動は、それだけは説明がつかぬ部分もある。
彼はいったい何を知っている。目的は――?
こうして故郷に帰ってきてしまった以上、マスター・エラクゥスに会わぬわけにはいかないだろう。だが、それこそが彼の狙い。彼の掌の上で転がされるばかりである。
なに、ここに住んでいた理由など、素知らぬ顔をして、ただ訊かねば済む話だ。けれどもこんな気持ちのまま、そのような真似ができるだろうか? ずっと昔から、その答えを震えながらも欲している己がいた。彼の言葉に納得しかけている己もいる。
大切な人を疑い続けるなど辛い。思い切って訊ねてしまえば……もし彼の言うとおりであったなら……?
しばらく堂々めぐりの思考に囚われるが、覚悟が決まることはなかった。夜から早朝へ移動したのでまだ一睡もしていない。魔力も使い果たし、精神的にも体力的にも限界だった。
せめて山道の小川で顔を洗い、頭を冷やそう。
そうして、のろのろとお守りをポケットにしまい立ち上がった時だった。
「フィリア」
懐かしい低音に、心臓ごと体が震える。
息を飲んでからゆっくり後ろを振り向けば、やはり、山道の方向にマスター・エラクゥスが立っていた。朝の自主鍛錬に来たのだろう。いつも使っているお気に入りの手ぬぐいを持っている。あの白布は、まだ裁縫が下手だったときに繕ってあげたのでよく覚えている。上達した後に何度も繕い直しますと申し出たが「このままでよい」と断られ、少し恥ずかしいものだから。
「……マスター……?」
笑顔を浮かべようとして、できなかった。
師の元へ駆け寄ろうとして、できなかった。
「おまえを消すためだ」
たった一言の彼の呪いが、顔を凍らせ、足を縛る。
会えて嬉しいと思っているはずなのに、もう会ってしまったと思っている。その胸に飛び込みたいと思いながら、次の瞬間、キーブレードを向けられてしまったらと怯えている。
最悪な“もし”が頭から消えない。その可能性を否定しきれず警戒している。
身動きすらできない緊張の中――正面に立つマスター・エラクゥスの表情もいつもより強ばっていて、産毛が逆立つほどに恐ろしい気持ちを向けられているような感じがした。彼の眉間の皺は四本。勝手に姿をくらませた自分を叱咤し、罰を与えようと怒っている。そのためなのだと思いたい。
「マスター……その、私……」
何か言わないと。けど何を?
こめかみから頬へ汗が伝った。
「今までどこに――いや……」
ようやく迷ったように口を開いたマスター・エラクゥスが、軽く瞼を伏せる。
「方々、探したのだぞ」
「えっ?」
叱られる。そう思っていたので、柔らかな声音が意外だった。
顔を上げて見れば、深く刻まれていた眉間の皺が嘘のように無くなっている。
「無事で良かった」
「あ……」
ゆっくり開いた瞳から鋭い光が消え失せて、穏やかな色のみに変わっていた。
「ただいま戻りました……マスター」
けれど、ほんとうに帰ってきて良かったの?
どうしても、そんな言葉がチラリと浮かんだ。
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