アクアが旅立った後、エラクゥスと別れ、フィリアは自室の窓から空を見上げていた。先ほどまで開いていた異空の回廊は消えてしまっていた。
アクアからもらったお守りが音をたてる。お守りを見つめながら深いため息が口から零れた。
今までテラとアクアが旅に出ている間、いつも側にヴェントゥスがいた。しかし、今回は彼もいない。寂しさと虚無感で胸の奥が苦しかった。
思い返せば、あの時のヴェントゥスの様子はどこかおかしかった。テラを追いかけると言っていたが、エラクゥスの言いつけを破ってまでテラに追いかける理由とはいったい……?
「お前は、ひとりでずっとここにいるのか? フィリア」
「え?」
思考にふけっていると、男性の声がした。そちらを見れば、黒い仮面をつけた少年が部屋の入り口に立っている。
名を呼ばれたが、こんな鋭い気を発している少年を自分は今まで見たことがないし、会ったことがあるのならきっと忘れないだろう。気圧されて思わず距離をとろうとしたが、すぐに背が壁にぶつかった。
冷や汗が頬を流れる。お守りを両手で強く握り締めた。
「君、誰? どうして私の部屋にいるの?」
「ここにいたら、二度とあいつらに会えなくなるぞ」
“あいつらが”誰を指しているのか、説明されなくてもすぐにわかった。いきなり現れた見知らぬ少年に自分の心を見透かされている気がして、全身が粟立つ。あれは今回だって杞憂のはずだ。テラとアクアはいつも無事にこの世界に戻ってきた。
「どうしてそんなこと言うの? そんなことない。みんなちゃんと帰ってくる!」
「帰ってこないのさ。もう、二度とな」
フィリアは唇を噛んで少年を睨んだが、少年の仮面に怯えた自分の顔が映っているのに気づき、床板に視線を移した。お守りの紐が揺れて止め具が再び音をたてる。
「檻の中から出られない奴には何が起きても知ることはできないし、知ったとしても何もできない」
「檻?」
いきなり投げかけられた言葉に顔を上げると、少年の声が先程より穏やかになった。
「なぜキーブレードを使えないお前がこの地にいるのか、考えたことはあるか?」
「それは……マスターが私を引き取って、今まで育ててくれたから……」
少年はこちらの質問には答えずにどんどん話を飛躍させていく。ついてゆくのに必死で意図せず素直に答えると、仮面の裏で少年が笑った気がした。
「本当にそれだけか?」
「何が言いたいの? 君はいったい何を知っているの!?」
強気に言い返すはずが叫んでいた。この子が怖い。少年が歩み寄ってきた分退がろうとして、背が壁をすべり部屋の隅に追い詰められた。
「こんな世界に閉じ込められて与えられた真実で満足している奴に、本当の真実は手に入らない。知りたいことがあるのなら、檻を出て自分の手で確かめるんだ」
「そんなこと言われても、私は……」
無理だ。再び下を向いた。自分にはヴェントゥスたちのような力はない。
「お前が出たいと望むなら、俺がここから出してやるよ」
「え……」
囁きにフィリアが顔を上げると、少年は手をかざしてフィリアの部屋に黒いゲートを作り出した。
「これは」
いつかエラクゥスが教えてくれた闇の回廊。闇の住人ならば操れる、心を蝕む禁忌の道。世界を自由に行き来できるが、無防備に多様すれば心に闇が入り込み、いつしか闇に溶けてしまう。
闇の回廊に近寄ってそっと覗き込んでみた。中は一面闇色で何も見えない。ただただ、深くて強い大きな力が渦巻いていた。
「この先へ進めば、ヴェントゥスに会える」
なぜこの少年がこんなことをしてくれるのかわからない。しかし、これを逃したらもうこの世界を出るチャンスはないだろう。
……知りたい。ヴェントゥスがどうしてテラを追いかけたのか。それに、この少年の言葉を信じるならば、彼らに一体何が起きようとしているのか。
フィリアはお守りをポケットにしまい、左腕につけている鎧の装着装置を作動させた。これはかつてアクアが使用していたもので、アクアが贈ってくれたものだ。使用する機会はなかったがいつも身に着けていた。初めて着る鎧は少しだけ緩い気がしたが、動かしてみるとちょうどよかった。
闇の回廊に入る前にもう一度仮面の少年を見てみるが、近くでもその素顔を見ることはできなかった。
いきなり自分がいなくなってしまったらエラクゥスはきっと心配するだろう。それでも、もう心は決めた。
フィリアはエラクゥスに心の中で謝ると、闇の回廊に足を踏み入れた。
原作沿い目次 / トップページ