「指輪、綺麗だな」

思わずコーヒーを混ぜる手が止まり、自動的に自分の右手にある指輪を見てしまう。視線をコーヒーに移したまま「でしょー?思わず奮発して買ったんだ」ふふ、と昔より大人っぽく笑うようになったそれを声に出しながら微笑んだ。彼は、何も言わない。どうか悟られないようにとコーヒーを混ぜる手が早まるのと同時に心臓の音も早くなったような気がした。沈黙がいやでふと脳に浮かんだ言葉を口に出す。「赤ちん、彼女とかできた?」とんだ墓穴を掘った。

「彼女は、いない」

ゆっくり彼を見てみれば彼はもう温かいコーヒーを口に運んでいた。目の前のシロップやミルクは入れないまま。「赤ちん、シロップとかいれないの?」昔はよく入れてたよね、と昔を思い出しながら言えば「ああ」と、間の空いた返答が返ってくる。その瞳とほんの少しだけの間で何かを悟った事に一瞬戸惑うけど悟られないように振る舞って「そうなんだあ」なんて。少しの沈黙で、昔はこの沈黙が心地よかったのに、今はどうしてこうも居心地が悪いんだろうか。「あの、ね」

「わたし」

今度は彼が私に「…紫原、私と言うようになったのか」と聞いてきた。思わずしまった、と思ってしまう。「昔とは、変わっちゃったから」ぽつりと口から出た言葉に彼の瞳が少し揺れた気がした。わたし、って、似合わないなあ。




「…そろそろ帰らない、と」

その意味を深く探ってから、分かったとしても何も言わずそうだね、と言って席を立って会計を済ます赤ちんを見ながら払うよ、と言おうとしたが「いいよ、俺が払う」そんなとこ、変わってないなって思うけど。やっぱりなんか違うっていうのは分かって、俺は席を立ったけどテーブルからは離れずにいた。あの、ね。先ほど言おうとした言葉を口に出そうとするが出せなくて口を閉じる。赤ちんが帰っちゃう、もうあの時みたいに一緒に帰ろうだなんて言えないし、言える立場でもなかった俺はただ俯くしかなかったけど、

「結婚、するんだな」

え?顔を上げた時、赤ちんは微笑んでいた。

「指輪、ちゃんと左手にしとけよ」

どう返答していいか、分からなかったけど、「う、ん」胸が苦しくなってどうしていいか分からなくなる。何か言わなければいけないという事は分かるのに言わなければいけない言葉は見つからない。

「おめでとう」

昔のいつものように微笑まれて、ああ昔みたいだと錯覚させるがきっとこれはそうではない。この胸のしこりを取り除くように「赤ちんも、おめでと」へらりと笑ってみせた。昔のように、俺も。

「ありがとう」

きっと昔みたいに笑えるはずはないんだけど、でも今この胸のしこりを取り除くにはこうでもしなきゃとれないはずだから。俺は左手にはめられた赤ちんの指輪を見て、それの仕返しみたいに今度は自分の左手の薬指にできた指輪の痕を見せつけるように手を振った。きっと、昔みたいに決して綺麗ではないこの感情は押し殺してしまうものなのだ。


色を失った甘い白昼夢


121124:花畑心中
とある曲をききつつ