「平助、わざわざ来たってことは、今朝の事何か心当たりがあるのか?」
 先ほどまでのこっぱずかしい暖かい雰囲気を払拭して、土方工場長が身体ごとこちらに向けて口を開いた。
「いや、心当たりがないから来たんだ。昨日、俺は確かにケースにシールを貼ったぜ。」
「ああ、それは町田にも確認した。」
「で、二人で配送場所に置きに行って、その後は今日の準備を始めた。」
「ちゃんと貼ったのか?」
「俺はちゃんと貼った。」
「なら、やっぱり町田か…?」
 二人の真剣なやり取りに気を取られながら自分の作業を進めていたけれど、ふと朝の事を思い出して顔を上げた。
「あの、町田くんの靴の裏に、その配送先のシールがくっついてましたけど、やっぱり剥がれて落ちたのを踏んだってことでしょうか。」
「はあ?マジかよ…。」
 平助くんが驚いたように返事をしたけれど、土方工場長は首を横に振った。
「朝、町田を別の用事で呼んだ時にその話を自分からしてきたんだが…、今朝仕事に入るまでは確かについてなかったって言ってた。」
「…俺も昨夜一緒に上がったとき、靴の裏に何かついてたような記憶は無いな。」
「たぶん、今朝戻ってきたケースを取に行ったときに踏んだんだと思うって、泣きそうな顔で弁明してたが、それが確かだと誰も言えないから、厳重注意で仕事に戻した。」
「…それで、ミス連発してたのか。」
 平助くんが、憐憫の情を抱いているのがありありと分かる表情で頬を掻いた。
 そうか、それであんなに…。普段からだと疑って申し訳なかったな、本当に。怒った土方工場長は鬼も顔負けだから…。
 事務所で何度も部下を怒鳴る土方工場長を目にしているだけに、町田くんの不調が哀れで哀れで、久雨は心の中で同情の涙を流した。
「で、平助。お前はしっかりと、剥がれないように貼りつけたと、確実に言えるのか?」
「…いや、それは、確実かどうかって言われると…。いつもの通りに貼ったとしか…。」
「いつもの通りってのは、どの程度の力で、どんな風に、どこに、どうやって、貼りつけているんだ。」
「その…、いつも貼ってる場所に、こう、ペタッと…。すいませんでした。今後気を付けます。」
 言い訳がましいと思ったのか、説明の途中で平助くんが勢いよく頭を下げた。
 土方工場長は、その姿を見て大きくため息をついて目頭を揉み解した。
「異物混入に、配送先間違い、立て続けに問題を起こしやがって…。」
「…すんません。」
「今後は、今まで以上に気を付けて仕事をしろよ。」
「はい。」
 しょんぼりと肩を落とす平助くんを見ていられなくて、久雨はパソコンの画面に見入って気を逸らした。けれど「久雨!」と土方工場長に呼ばれて、気を逸らすどころでは無くなってしまった。
「はい!」
と立ち上がって二人の方を向くと、気まずそうに平助くんが目を逸らした。
「お前も、これからは通常業務に戻っていいぞ。あんまり監視していても、逆にミスに繋がっちまったら元も子もねえからな。」
「あ、はい。分かりました。」
 それは有難い。これまで滞っていた仕事にゆっくりと携われるというものだ。
 ひっそりと溜息を吐いてから、久雨は椅子に座り直した。
 平助くんは、未だに土方工場長の前に立っている。土方工場長も平助くんを見つめたまま、二人の間には微妙な雰囲気が流れている。
 どうしたもんかと視線を彷徨わせていた平助くんが、ポリ…と頬を掻いてからヘラと笑った。
「あの、じゃあ俺、帰ります。」
「ん?ああ。…仕事をして行ってもいいんだぞ。」
「いや、あーそれは、遠慮しときます。俺、普段着だし。」
「着替えれば良いだろう。」
「せっかくの休みなのに、仕事なんかしたくないってば。」
 頬杖をついて平助くんの話を聞いていた土方工場長が、人の悪い笑みを浮かべて、久雨を盗み見た。
「どこで待つのか知らねぇが、今日は久雨は残業するぞ。」
「へっ?いや、そんなつもりじゃ…、え、残業!?」
 え、私!?
 せっかく仕事に戻ってホッとしたと言うのに、突然話題を振られたものだから、久雨は顔を上げて二人を見てから、思い切り顔を背けた。
「残業って、聞いてねえぞ…。」
「言ってなかったのか?」
 土方工場長のからかいを含んだ声から、にやにやと笑っているのがうかがい知れる。
 だからと言って、土方工場長に食って掛かる勇気など有りはしないのだから、唇を噛んでぐっと堪えるしかない。
 けれど、平助くんの胡乱な目つきが心臓に悪い…。
「今日は残業するなって言ってあっただろ。」
「でも、仕事なんだから仕方ないでしょ。」
 ボソボソ呟きながら反論するけれど、後ろめたいだけに力がこもらない。
「仕事なんだから仕方ないって…、それと、俺に伝えなかったのとは関係ないだろう。」
 お説、ごもっともです…。
「平助の割には、まともな事を言うな。」
「ちょっ、工場長!」
 土方工場長のからかいに、平助くんが黙ってて、と意を込めて叫ぶと、苦笑して己の仕事へと体の向きを変えて戻っていった。
 いやいやいや、工場長、私も今仕事中なので、お休みの平助くんの邪魔を阻止してくれていいんですよ?何で放置?何で仕方ねぇなぁ、なんですか?助けてくれていいんですよ!?
「俺、お前が行きたいって言ってた映画のチケット、買っちまったのに!」
「え!?」
「どうすんだよ、時間変更なんか今更出来ないぞ!お前がちゃんと言ってくれてればこんなことにならなかったんだからな!」
「うそ、ごめん、ね、それもしかして…、今日からの…?」
 背けた顔を平助くんへと勢いよく戻し、久雨は泣きそうな顔になりながら両手を顔の前で組んだ。
「そうだよ。初日は混むから、空いてからにしようって言ったら、お前今みたいに泣きそうな顔で、朝からチケット取りに行けば平気だって言ってた、あれだよ。俺、朝から望み通りチケット取りに並んだんだぜ。」
「もしかして、それで電話に出なかった…?」
「ああ、ちょっと周りがうるさくて気づかなかった。」
「うそ、絶対に昼まで寝てる平助くんが…、朝から並んで…?ごめん、何時からの!?行きたい、残業したくない、どうしよう、わ、わ、私のドラ○もんが…!!」
 嫌だ!観たい!絶対に観たい!
 久雨は頭を抱えて目に涙を浮かべた。デスクに積まれている書類をめくっては頭を抱えて、パソコンを操作しては何かを確認してデスクに突っ伏して…。
「あぁ、駄目だ、これも明日までで、こっちは今日までで…、どうしよう、どうしよう、どうしよう、きょ、今日までのだけを処理すれば早退出来るかな、あぁ、やだもう、泣きそうで頭が働かないよ…、これじゃどんどん遅れちゃう…。」
 半ばパニックを起こしている久雨を見て、平助くんが溜息を吐いてお財布からチケットを取り出して久雨の前に置いた。
「お前…、俺には黙って残業するくせに、ドラ○もんの為なら早退するのかよ…。」
「当たり前でしょう!付き合いの長さが違うの!子供のころからずっとお世話になっていたんだから!それを、まさか朝に弱い平助くんが、チケットとってくれたなんて、嬉しすぎて絶対行かなきゃでしょう!!!」
 目の前に置かれたチケットを手に取って食い入るように眺めた久雨が、突然脱力して手をパタリと落として、背もたれにもたれ、椅子から滑り落ちた。
「。。。。。。」
 口をパクパクと開けて閉じて、まるで魚のような表情で放心していた久雨を、平助くんがのぞき込んできた。その口元がにやりと歪み、満足そうに瞳を細めている。
「悪い、ちょうどいい時間のだと、いい席が残ってなくて、レイトショーになっちまったんだけど、良いだろう?」
「っ…!ふぅ〜〜〜〜〜〜〜。」
 言いたいことがあるのに、言葉にならずに口から息だけが漏れていく。
「映画の前に飯食って、ちょうどいいと思ってたのによ。飯を食う時間とれんのか?」
「…ごはん、いい、映画館、たべる…。」
 それだけを言うのに精一杯になった久雨を、平助くんが苦笑して手を伸ばしてきた。その手に捕まって引き上げられて椅子に座り直すと、久雨はチケットを胸の前で握り締めて嬉しそうに溜息を吐き出した。
「レイトショーならレイトショーって、最初から言ってよ…。」
「残業だって言わなかったお前の真似したんだよ。」
「そんな真似しなくていいよ…。」
「悪かったな。…ま、さっき良い事聞いたから、それで帳消しになった。終わったら連絡しろよ。俺、一回家に帰るから。」
「分かった。なるべく遅くならないようにするからね。」
 平助くんが聞いた良い事が何のことだか分からなかったけれど、帳消しならばそれに甘んじてしまおう。
 久雨は腕まくりをして張り切って仕事に取り掛かり始めた。
「あー、終わった…のかな?うむ、仲良きことは美しきかな。だが…、職場であることを忘れてもらっては困る…と、その、みんなが…。」
「近藤さん、遠慮せずにきちんと言ってやれ。みんなが見てる前で恥ずかしげもなくイチャイチャしてくれるなってよ。」
「久雨さん、主任…、そうだったんすね、俺…俺…、本気だったのに、悲しいっす…。」
 ハッと辺りを見渡して、久雨は悲鳴を上げて顔を両手で覆った。
 頬をほんのりと赤く染めて、恥ずかしそうに注意を促した近藤専務、ニヤニヤ笑いを隠しもせずに突く土方工場長、そして出入り口には…、悲しそうに袖を濡らす町田くん、苦笑しながら腕組みで立っている原田さん、パソコンで顔を隠して見ていない振りをする島田さん…。
「ああ、そう言う訳だからよ、町田。久雨にこれ以上ちょっかいかけんなよ。」
「平助くん!」
 平助くんの上着の裾を引っ張って、これ以上恥の上塗りは勘弁だと訴える久雨の手を、平助くんが握って高く掲げた。
「俺とこいつ、結婚前提に付き合ってるから、みんな、狙うなよ!!」
「けっっ!こんっ、ぜ…!?」
 聞いてない!そんなつもりで居てくれたとか、知らない!しかも、何でこんな、みんなが居る前でそんな宣言〜!!?
「恥ずかしいから、もうやめてーーー!!!」
 手を振りほどいてデスクの下に隠れようとする久雨を抱き寄せて、みんなの前でぎゅぅっと抱きしめて、平助くんが人差し指を町田くんに向けた。
「久雨は俺のだ!!!」
 勘弁してーーー!!!
 平助くんの胸に真っ赤に染まった顔をうずめてみんなから隠れる久雨の耳に、どこから沸いたのか、幾人分もの拍手が浴びせられたのであった。



―完―




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